「10年間、本当に名ばかりの研究生でした」

(6-6-01)

こんにちは。素敵なホームページですね。
大変勉強になり、心に清清しい風が吹いて来たような気分です。
どうもありがとう!
ところで、読者の広場を何件かみましたが、どこだったか、
『洞察』の本をほしがっている方がいるとか、、。
我が家にありまして、もう処分しようと思っていますが、その前に欲しい方がおられ
るなら差し上げようかと思いましてメールを送る事にしました。

正直な話、知らない投稿者とコンタクトは取りたくありませんので、
編集者の方が間に入っていただけるなら着払いで送ります。

良かったらメールくださいね。
(ほかにも掲示の書などもあります。)


私は10年間、本当に名ばかりの研究生でした。
ただ純粋に聖書を学びたくて聖書はわりと楽しく読んでいたせいか、
『知識』などと併用して勉強しても『何で?』って思う事ばかりで全然理解出来ない
為(今考えると当然ですよね〜)                       
『協会の雑誌を使わず、聖書の1ページから順番に教えてほしい』と頼んでも心もと
ない返事で『でも、聖書は難しいからこういった冊子が必要だ』って言うんですよね。

それで、まぁ、教えるほうも色々大変なんだろうな、ただでわざわざ来てくれるし
まぁいいかっ!なんて思ってました。

でも、質問にもきちんと答えてくれないし、、、。
どうしても納得出来ない教えに、証人達の人格まで不振に思うようになって
勉強を止めた訳ですが、その中でも本当になんで?って思った事を書きますね。

”人間は行いしだいで楽園に行ける可能性があるが、動物は復活も永遠の命も与えら
れない、、、。
それなら、ハルマゲドン後に楽園に住む動物はどうやって選ばれるのでしょう。
大概、人間よりも動物のほうが『嬰児』に近いはずです。
私は動物が大好きなので、これは不平等な神に感じました。
動物も人と同様に心や性格がありますし、1000年生きるならやはりペットと
楽しく暮らしたいですものね。それに動物や子供達が一番この世で理不尽な
扱いを受けているわけですから、、、。
心無い、不完全な大人によって、、。
  

あと、<あれほど理不尽で様々な決まりがあり、掟を守らないと楽園へ行けないなら
産まれながら脳に障害をもった子供はどうなるのでしょう。
するとある証人は言いました。
『それでもエホバが素敵な神だって解れば大丈夫ですよ』と。
『親がエホバの証人なら神聖な者になる』とか、、。
こんな無責任な考えがあるのでしょうか。
 
それなら世界の貧しい国に産まれたり、国の方針で宗教の自由を与えられない人は
どうなるのでしょう。文字が読めない人もいるでしょう。

そんな事を聞いているうち、ある人が私に言いました。
『私達はエホバを喜ばせたいからここへ来ているのです。』と。
エホバが喜ぶから私に伝道してるのだと私は感じました。
私は証人達を友達だと思ってました。
少なくとも親しみを持っているからこそ部屋に上がってもらっていたのに。
わざわざそんな言い方しなくてもいいのにと思ったと同時にむかつきました。
(外にも色々ありまして、、。でも私情がからんで悪口になるといけないので
書くのは止めときます。)

しかし、今ではある意味哀れな考えの人達だと思います。
だからきっと、自分の事で精一杯だったんだと思います。

しかし、人はみな不完全だと言い訳なんかするべきではないと思う。
本当にそう思い、敵(世の人)にそう言い訳するなら、全く、
人間をなめているとしかいいようがない。
自分の心の平安の為に周りの人達を巻き込んで、何の良心の呵責も
感じていないエホバの証人にただただ、呆れるばかりです。

たまにあからさまにこのサイトを攻撃してくる人がいるみたい
ですけど、彼等の書いて来ることがまたおもしろいです。
必ず、『終わりが来る時、おまえたちは滅びるんだ、
ざまあみろ!』みたいな事、書いてくるけど、それが本心なんだなと
私は感じます。自分が助かればそれでいいのでしょう。
本当にその人達は『マタイ〜』を読んだ事があるのでしょうか。
呆れます。

エホバの証人達は自分のやっている事を振り返り、
誠実な気持ちと隣人愛を持つよう努力するべきだと私は思います。
それがイエスの言う事の基本ですからね。(ですよね?)
本当は愛を持っていても、周りの目が気になって
目立った事をさけているのでしょうけど、、、。

このサイトに出会ってまさにこの教理の基本が利己的で無責任で、
そして、伝道者(信者)がまさにそれを表現している事を思い出し、
大変ユニークだと思いました。
勿論、反論する人もいるでしょうが私には彼等が偽善者にしか見えません。
別に悪口を言ってるつもりもありません。
人はそれぞれ何を信じようと勝手ですからね。
そしてそれは素晴らしい事だと思います。
自分の考えを自分で決める自由が日本にはあるのですから。


長くなりましたが、大変編集者の方に感謝しています。
私の大好きな聖句があります。
『エホバへの恐れは知識の初めである。』(新世界訳 箴言 1章7節)
真実を知る事こそが、真実を追求する事こそが、
神を心から敬う事になるのだと私は感じています。

これからも頑張って下さい!
本当に有難うございます!

《編集者より》
洞察の本を求めていたのはエホバの証人の資料の入手−元研究生の投稿をしてきた元研究生と、「洞察の本入手希望します」の投稿をしてきた方です。後者の方はメールアドレスを公開していますので、直接交渉して下さい。前者の方は、もしご自分のメールアドレスをこの提供者に知らせてよければ、一報下さい。

私は信仰や救済の希望が自己中心であることは、全ての宗教に共通する仕方のない側面ではあると思います。全ての信者は最終的には「自分」がどうであるかの問題に帰結するからです。ただ問題であるのは、神と個人との間に組織や別の個人や指導者が介入する時です。そうなると個人と神との関係は、個人と組織、個人と別の人との関係にすりかえられ、そこに複雑な人間関係の問題が生じます。多くのエホバの証人の間の問題点はここに帰結するように思います。すなわち、人が別の人を支配したり、傷つけたり、利用したり、ある時は悪用したりすることが起こるのです。エホバの証人は「世の人」を利用して自分たちの宗教活動を広げる傾向がありますが、これは個人に属するはずの神との関係が組織の活動にすりかえられているため、「組織の活動の目的のためなら手段を選ばず」という心理が先行して、とんでもないことでも正当化されてしまうのだと私は思います。