「エホバの証人にとっての危険/私の場合」を投稿された方へ

(5-4-01)


「エホバの証人にとっての危険・私の場合」を投稿された方、
あなたは決して無能な人材ではありません。むしろ有能な方であることは、
あなたの投稿を読んだ人はみな認めるでしょう。しかし、長老団には暗黙の掟と言えば
大げさであるかも知れませんが、ひとつの雰囲気というものがあります。

たしかに会衆によって異なりますし、すべての会衆がこのようであるとは思いません。
しかし私のいる会衆では、主宰監督が絶対者という雰囲気が暗黙のうちにあります。
エホバの証人としてキャリアが長く、協会の方にも人脈を持つ人物です。私たちも、
また会衆の姉妹たちも彼を第一人者とみなす雰囲気が私の会衆にはずしりと存在しています。

しかしこれもまた事実で、もうこのサイトを訪れてこられた皆さんには、目新しい事では
ないと思いますが、彼は聖書にそう通じているというのではありません。人脈の華やかさと
彼の風貌(美しい白髪に穏やかな顔立ち)、そして巧みな世渡りと人事処理で巡回監督たちの
評判を勝ち得てきた人物です。この人物を差し置いて聖書に通じるのは危険なことでした。

私は、「長」たる立場には有能さが求められるのではないことを言おうとしています。しかし困難を
覚えます。下手な書き方のために、この投稿を不満の文章、あるいは単なる中傷と見られるような事を
したくありません。どう言えばいいのでしょうか。あなたが長老を目指されたのは、出世欲でないことは
うつ症の方との粘り強い研究を続けられた、その努力を見てよく分かります。しかし、私の会衆の
長老団の雰囲気として、絶対的な立場の主宰監督がかすんではならない、という暗黙の空気があるのです。

誰もそんな事をしゃべりはしません。言葉としてそんな発言はなされません。それは大前提なのです。
あなたはきっと若い人ではないでしょうか。まだ結婚もされてない方ではないでしょうか。
若手の人が絶対的な監督を出し抜く(卑俗な言い方で申し訳ない)というようなことがあってはならないのです。
聖書がそう言うのではなく、雰囲気がそうなのです。縦割り意識と言えば分かりやすいでしょうか。

それに協会の意向は私たちにとってはまさに「ご神託」です。理屈抜きで従わなければなりません。
巡回監督も、自分たちと同じ土俵で若手に活躍される事に反発を覚えている場合なら、
あなたを長老として推薦するより、年齢の人を移動させる方を考えるに違いありません。
あなたはそれでも露骨ないじめで抹殺されずに済んだのですから、まだましなのです。

この事だけは声を大にして言います。
この組織は決して神の選ばれた特別な組織などではありません。ただの人間的な、きわめて人間的な
社会です。しかも時流にかなり遅れている組織です。姉妹たちはうわべだけを見て、あるいは組織に
にらまれることを恐れて、この組織はすばらしい、という形容詞しかしゃべりません。まるで北朝鮮の
人間です。にこやかな笑顔も今の私には不気味にしか見えません。

私はもうこんな生き方をすることに恐怖をさえ覚えます。
まさに全体主義です。今、研究しておられえる方々、ひょっとして人間とのつながりを求めて
エホバの証人になろうとされるのでしたら、あるいは聖書を読んで理解したいと思って
来ようとしているのでしたら、家庭聖書研究で話されないことをも調べてからにしていただきたいと
心より願うものです。これが中傷だと片付けられてしまわないことを願います。

《編集者より》
これは「エホバの証人にとっての危険(私の場合)」−「不活発な伝道者」よりに対する発言です。決して北朝鮮の方々を差別する気持ちのないことを前もって申し上げますが、私もエホバの証人が笑顔で組織の全てを美化する態度を見ると、北朝鮮の金主席に旗をふる国民や、1960年代に毛沢東語録を歓喜の顔で振りかざしていた、毛沢東政権下の中国の紅衛兵たちの姿と二重写しにならざるを得ませんでした。もちろん、北朝鮮にも中国にも、きっと少数の目ざめた国民はいるのでしょうが、それらの声は押し殺されてしまいます。あなたの声も、ものみの塔協会側から中傷として片付けられるとすれば、これも同じパターンであると思います。


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