懺悔−「組織が私にとって絶対でした」−「宇宙論争」について

(4-12-01)

私が守ろうとしてきたものは中身のないものでした。
シャボン玉が壊れないようにしてきたのでした。それがシャボン玉であることを
私は本当はうすうす気づいていたのに。割れたって何にも生み出さない、からっぽの
幻想。
エホバの証人の「良いたより」の実体がそれだったのです。聖書は正しく解釈されて
いなかったのです。
間違った解釈を擁護する組織の「証人」、これがわれわれの正体でした。

私は一人の兄弟を葬りました。組織から事実上追い出しました。
危険だった、私たちの人生が値打ちを失う、それが怖かったのです。
あれから私は壊れてしまった。私は敗者になったのだと思います。
多くの犠牲が払われました。
払われた犠牲の多くは決済されてはいません。むしろ私たちはこれからツケを支払う
ことになります。

自分の人生の中心だった信条がはじけてしまう。文字どおりバブルがはじける。あと
には何も残さずに。
ツケだけが残っています。王国が到来して、払わずに済むはずのツケが。
うそを守り続けることが破壊するもの、それは自分自身の心だったのです。
ひとりになったとき、私は重苦しい不安に押しつぶされます。
正しいことを守り続けているのなら、こんな気持ちになるはずがないでしょう。

子どもも離れていきました。妻とも信頼しあっているとはとてもいえません。
みんな私が間違っていることを心の中で知っていたのでしょう。
家族のきずなを壊すもの、それは偽ること、自分をだまし続けることでした。
村本さん、あなたの仰ることが正しいのです。神や聖書は二の次でした。組織が私に
とって絶対でした。
私はクリスチャンのつら汚しです。

でも、あの時はもう途中で引き返すことができなかった。
自分でも自分たちを止められなかった。そのまま突っ走ることしかなかった。
一度汚れたものに理由をつける唯一の道だった。
人を轢いてしまったドライバーがとっさに逃げてしまうのは、きっとこういう気持ち
があるからでしょう。
私は責任を問われなければならない。そしてそれはすでに始まっているのです。

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カトリックやプロテスタント諸教会では、エホバの証人と同様に「宇宙論争」という
教えを持っているのでしょうか。
それともこれも我々独自の教理なのでしょうか。ご存知でしたらご教示ください。

《編集者より》
あなたのご質問の「宇宙論争」とは、ものみの塔が教える「宇宙主権の論争」のことで、次の「生き残る」の引用がその内容を説明しています。

*** 残 181 23『あなた方には忍耐が必要です』 ***
「新しい地」で命を受ける,すばらしい見込みにあずかり損ねないようにするには,全創造物が直面している大論争,つまり宇宙主権の論争を明確に把握しておくのは肝要なことです。わたしたちは断固としてエホバの側についていますか。二つの側があるだけで,中間の立場は決してないことを十分に認識しているでしょうか。
これは、つまりハルマゲドンでエホバの側につくかどうかの二者択一を迫る教えで、ものみの塔宗教の中核となる教えですが、私の知る限り、世界の主流であるキリスト教会はこのような教えはしていないと思います。だからこそ、エホバの証人はこの教えをもって、他のキリスト教世界と違うことを強調しているのでしょう。しかし啓示の書の終末論を強調する、聖書に基づくカルト、たとえば1993年4月にテキサス州で集団焼死事件を起こしたブランチ・ダビデアンも、このものみの塔の教えとほとんど同じ「宇宙主権の論争」を教えていることは確かです。危機感を煽り立てる中で信者に黒か白かの二者択一を迫るのは、カルト共通のやり方であり、エホバの証人の教えの中核がこれと一致することは大事なことであると私は思っています。