「エホバの証人にとっての危険(私の場合)」−「不活発な伝道者」より

(3-24-01)

始めまして私の名前は**といいまして##県に住んでる32歳の男です。このサイ
トを拝見して自分がエホバの証人の中で経験した事柄を投書させていただきました。
現在の私はエホバの証人の言うところの”不活発な伝道者”です。そうなる前は、自
分で言うのもなんですが、開拓者、奉仕の僕として熱意を込めて活動していました。
交わっていた当時の会衆は田舎の中規模の会衆で、4つの書籍研究の群れからなって
いました。長老2人、奉仕の僕は私を含めて4人です。長老の人数の関係で4つの群
れの内2つは私と、もう1人の奉仕の僕が司会していました。そのころの会衆をとり
まく状況は、近くに##大会ホールが建設されていて、誰もが忙しい生活を送ってい
ました。また会衆内では精神的な問題を抱える人が増えてきて、(そのような問題を
持っていると思われる人が4人いた。)そうした人たちへの援助の必要性が出てきて
いました。そのため私が書籍研究の群れが同じであったその内の3人(2人の姉妹
と、不活発に陥っていた兄弟)を援助するように長老から依頼されたのがこの話の始
まりです。
 精神的に難しい問題を持つ人を援助するというのは口で言うのは簡単ですが、現実
的にはたとえ神に依り頼んだとしてもとても困難です。さらに悪いことに、その兄弟
姉妹たちは長老につまずいていました。(そのために長老ではなく私が援助すること
になった。)しかし、努力のかいあって不活発に陥っていた兄弟との再聖書研究をど
うにか始めることができたのです。ちょうどそんな時、巡回訪問があったので巡回監
督にその兄弟の援助方法について尋ねました。すると監督は、「それは無理ですね。
おそらくその兄弟はアダルトチルドレンでしょう。」と言いました。そして私がその
兄弟の援助の成功を期待しているなら大きな落胆となり霊的に危険なこと、だから何
も期待しないで援助するように告げられました。私は困惑しました。「期待できない
人をどうして援助するのだろうか?かといって何と話して取り決めたばかりの研究を
切ったらよいのか?」考えた結果しばらくやってみて、そして本当にだめだと思った
なら切ろうと思いました。こうしてその困難な援助は続きました。これはいわば心の
消耗戦でした。レンガを一つ一つ積み重ねるように慎重に言葉を選びながら信頼関係
を築いたり、辛抱強く話しに耳を傾け続けます。しかし、それはとても疲れる仕事で
す。もちろん、その他の奉仕や、世俗の仕事とも平衡をとらねばまりません。
 こうした援助を半年ほど続けたわけですが、努力すればするほど期待しないで援助
し続けることが難しくなりました。また逆に期待しないようにすればするだけ無理だ
といわれる援助に心を砕くことがバカバカしくなりました。私は今がやめ時かもしれ
ないと思い長老に巡回監督から聞いたこと、私が考えていることを話しました。する
と、長老は、「兄弟、たとえ援助が無駄だとしてもこれは長老の訓練だと思って頑張
るように。」と私を励ましてくれました。長老になりたかった私はその言葉を額面ど
おりにうけとめ、難しさを感じた時にもその言葉を思い出し援助し続け最終的には一
年半ほどに及びました。
その結果、紆余曲折はありましたが不活発だった兄弟もどうにか再び全ての集会に出
席できるようになりました。期待していなかった私にはとても嬉しいことでした。し
かし、その兄弟はいまだ精神的に不安定だったのでまだまだどうなるのかわからな
い、とも考えていました。ちょうどそんな時期のある日のことです。次の週に巡回監
督の訪問が計画されていたので夜の集会後に長老と奉仕の僕の集まりがありました。
そこでは巡回訪問中の予定や割り当てが話し合われました。それに加えて私が書籍研
究の群れの司会者を降ろされる旨の知らせがありました。まさに私には寝耳に水の知
らせで「はぁ?」といった感じでした。かわりにはこの会衆の区域内に最近家を建て
て引っ越してきた兄弟(むこうの会衆でも長老だった)が今度の巡回訪問で長老に推
薦されるのでその兄弟が司会するとのことです。その話題の間たったの一言もそれま
で私がしてきたことにたいする感謝や労いの言葉はきかれませんでした。
 とてもショックでした。私の頭には「なんで私が突然にクビなのか?なぜもう一人
の私より経験の浅い奉仕の僕の兄弟ではないのか?何か悪いことでもしてしまったの
だろうか?」こんな疑問がかけめぐりました。その場は平静を装い家に帰りました
が、(本当は、集まりが終わってすぐに真意のほどを確かめたかったのですがそのあ
と年配の兄弟を家まで送らなければならなかったのです。)家についてから本当に何
の気力も出ませんでした。私は新聞配達をしていたのですが次の日の仕事に行くのが
とてもつらかったです。その日以降私は霊的な活動に参加しようと思ってもぜんぜん
動けなくなってしまいました。また仕事の方もいつもの倍近い時間をかけて終わらせ
なければならなくなりました。そのうち心配して長老たちが家を訪ねてきたので自分
がとても落胆したことを話し、その真意を問いました。彼らの答えはおおむね次のよ
うなものでした。私が悪いことをしたわけではないのでクビにしたつもりのないこ
と、私には言わなくても大丈夫だと思っていたので言い忘れただけだということ、経
験の浅い兄弟から特権を取り上げてそのやる気を損ないたくなかったということ、な
どです。そのような答えに私は納得できませんでした。なぜならクビにしたわけでは
ないといっても実質的には何らかわりがなく、突然に特権をとりあげられたのですか
ら。さらにその決定を前もって私に話すかどうかをきめるのは、話さなくても大丈夫
かどうかという問題ではなく礼儀の問題だと思います。またその特権を取り上げるこ
とがその人のやる気を損ねることがわかっているのなら、なおのこと私に前もって教
えてほしかったです。それに加えて長老の訓練だと思って頑張れというあの励ましは
何だったのでしょうか?エホバの証人に詳しい方ならわかることですが、巡回訪問の
直前に司会者を降ろされるということは長老に推薦されることはありえないし、考慮
するつもりもないということです。私はこの点についても尋ねました。すると「長老
にするつもりはなかった。」とはっきり言われてしまいました。長老になるには「会
衆の人々からの信頼が必要なんだ。」とも話していました。そうすると引っ越してき
て一月もたたず、ろくに会衆内の人々の名前さえ知らない兄弟が長老に推薦されるの
はなぜでしょうか?もうすでにそのような信頼関係を人々から得ているというので
しょうか?もしもこの投書をよんでいる方の中に現役の、または元長老の方がいるな
らどんな基準で信頼されているか否か判断しているのか教えていただきたいです。
こうした長老たちの話を聞いているうちに私は自分の置かれていた状況を悟りまし
た。私は長老たちの使いかってのよい道具のようなものだったのです。長老の訓練と
いったのは私にその援助を継続させるための方便にすぎずそこには何の配慮のかけら
もありませんでした。
 さらに残念なことに私が援助していた兄弟もその後まもなくもとの状態に逆戻りし
てしまいました。研究の司会は私が継続していたのですが、新しく長老に推薦され書
籍研究の司会者にもなった兄弟が、その立場の故でしょう、進歩をあせらせてしまっ
たのです。この点でも一言相談してくれればそのような行為が精神的に問題を抱えて
いる兄弟にとっては逆効果であることを伝えることが出来たと思います。結局のとこ
ろ当たり前のことですけど奉仕の内容は引き継ぐことができても、今まで築いてきた
信頼関係や、知識までもは引き継げないのだと改めて思いました。またその他に援助
してきた姉妹たちも似たような結果に終わりました。
  いったいこれまでの苦労はなんだったのでしょうか?長老たちの励ましを真に受
け期待できない無理な援助を長老の訓練だと思って一年半の間頑張ってきましたが、
それは何をもたらしたというのでしょうか?私にとっては落胆をより大きくしてし
まっただけです。そして今度は私自身が精神的な問題を抱えることになりました。ミ
イラとりがミイラになったとはこのことです。
 では会衆の長老たちは問題を抱えてしまった私に何をしてくれたのでしょうか?私
が今まで援助してきたように長老たちは私を援助してくれるでしょうか?助けを神に
祈り求め続けましたが、何か得られたのでしょうか?しばらくの間短い間隔で長老に
よる牧羊訪問が行われました。本人たちは援助して慰めているつもりかもしれません
が、私にとっては本当に不愉快なものでした。
 彼らはもっともらしく問題が私にあることを告げ「神に依り頼んでいないからで
す。」、「動機が良くなかったのです。」、「兄弟が自分の限界を超えたのが原因で
すね。」とか、「私たち長老も不完全ですから。」、「神が許していることで
す。」、「私の経験したことに比べれば、兄弟の問題はたいしたことないですよ。」
等ならべたてました。しまいには私の生まれ育ちに原因があるとのこと。そして結論
は、東京都板橋区にある某病院(大勢のエホバの証人が通うことで知られている)に
行くようにすすめられました。私はウンザリしました。とてもついてゆけないと思い
ました。大きく落胆しているところに加えて本当に嫌気がさしました。それ以来私は
心身の不調、とりわけ無力感や倦怠感、抑うつ感等の不快な感覚と戦いながら今にい
たるまで生きてきました。仕事の方も、もうだめかと思った時もありましたが、「エ
ホバの証人の中でしてきた事に比べればはるかにやりがいがあるのだ。」と自分に言
い聞かせてなんとか続けることができました。その間神や、組織、会衆といったもの
は何の助けにもなりませんでした。
  この出来事以来もう約4年が過ぎますが今振り返っても嫌な気分になります。し
かし私は現在エホバの証人である人にも、これからなることを考えている人にもそれ
をやめるようにとは言いません。なぜなら言っても無駄であると思いますし、全ての
エホバの証人になった人が同じ経験をするとは思ってないからです。きっと中には本
当に幸せにその宗教組織の中で生きつづける人もいるでしょう。現実的には尊敬でき
る長老や人々もいるのですから。ただ忘れてはならないことは、やはり現実的に人づ
かいのあらい横暴な長老が存在しているということです。(もっともこれは、世俗の
会社などの上司でも同じことがいえますが、会社の上司と大きく違うのは、長老たち
は神の権威を振り回します。したがって長老に傷つけられる人のダメージはとても大
きくなります。いわゆる横暴な上司に比べたちが悪いといわねばならないでしょ
う。)ですから今エホバの証人である人も、これからなることを考えてる人もこうし
た危険を自覚しておくべきだと思います。
しかし残念ながら、こうした彼らの言うところの”消極的な話”はエホバの証人の間
で明らかにされることはありません。(実際、私が病気になった理由を当時の会衆の
ほとんどの人は知らないでしょう。)それ故にも私は自分が経験したような辛い経験
をもう誰も味わうことがないようにとの願いを込めてこの投書を書いています。
追伸:貴重な情報交換の場を与えてくださっている村本さんに         心から
の感謝を送ります。誹謗中傷もあるかと思いますがこ
    れからもがんばってください。

《編集者より》
人が人を管理する組織の中では、常に人間関係の問題が発生します。これは確かにエホバの証人以外の組織でも同じことであると思います。しかし、エホバの証人の中での問題のどこが違うかというと、あなたも書かれているように、支配する人間が神の権威を振り回すことです。その結果、傷つけられる人々の精神的打撃は計り知れない大きさになるのです。これは横暴な長老に限らず、横暴な巡回監督から、横暴な支部、そして横暴な統治体へと波及するのです。全て組織の上に立つ者には神の権威が与えられてしまうが故に、「神権」の名の下に不当な「人間の支配」が横行してしまうのであると思います。これは「兄弟愛」だけでは到底覆い切れない組織の体質的腐敗をもたらすものだと私は思っています。