「編集者様、どうもきめ細かいご返事をありがとうございます」

(3-12-01)

編集者様、どうもきめ細かいご返事をありがとうございます。そういうきめ細かさというものを、
私は長老たちに見習わせたいと思います。そうすればもっとうちとけ合えるものを、結局長老職を
権限の強い管理職として受け止めているから官僚的にしか振舞えないのだろうと考えております。
私がするメールというのはほんとに感情的で、口惜しいこと、屈辱的なことなどを思いだしてしま
ったときに、一気に書いて送るものですから、論理的にも筋道が通っていなかったり、脱線してい
たりで読むのに苦労されているはずなのに、役立つ点が含まれているなどと言っていただいて、ほ
んとうに感激です。いくらかでも皆さんに考える糧となるのであればどうぞ公表なさってください
。ただ、慎重に過ぎることは決してないと思いますので、年齢を書いてしまっているはずですから
、そこをぼかしてくださらないでしょうか。
もう一つ、組織が一般の証人たちから隠している情報を公開するということについてですが、やは
り結果を急ぐのはうまくないと思います。私は当面はエホバの証人の宗教というものへの関心をも
っと呼び起こすことから着手するのがよいと判断しました。あたりさわりのない話題へちょっと証
人の話題を挟みこんだりして、エホバの証人の宗教の話題の知名度を少しずつ高めてゆくことに努
力するのがよいと考えています。以前のニュースにあったように、児童への、また女性への性的虐
待などのニュースが舞い込んで来たときに、エホバの証人の話題が高められていれば、あとは野次
馬的な人々が火をつけるようになりやすくなると思います。それには時間をかける必要があると思
います。何にせよ、こういうのは復讐心や恨みの気持ちでやるとうまくいかないと思います。気長
に続けるのがよいのではないでしょうか。会衆内に在って、巧みに疑問を起こすよう働きかけるの
も、けっこう危険は高いと思いますよ。いったん、「あの兄弟(姉妹)は何かへんなことを言って
くのよね」なんてうわさが立てば、レイモンド・フランズ兄弟の
言葉でいうと、機械が作動しだして、その人は問答無用で潰されるでしょうから。見せしめの意味
を持たせようと「機械」が思うと徹底的に残酷に責めたてられることになります。会衆に留まって
いる間はおとなしくしているのが無難だと思います。
また脱線しました。すいません。以上です。よろしく。
(追伸)
どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのだろう、本当に不思議に思います。崇拝に彫刻像を
使用する教派の信者はみな、その像を崇拝しているのではなく、像を通して神を崇拝しているので
すと言います。像は崇拝の対象ではなく、神を崇拝することの象徴であると言います。これはまっ
たくエホバの証人が組織について言うのと同じじゃないですか。なんで今の今まで気が付かなかっ
たのでしょう。エホバの証人が崇拝するのはエホバ神に対してのみであるが、組織に固く付かなけ
れば、ヨハネ15章のぶどうの木に付く枝にはなれない、組織に固く付き従うことで神に受け入れ
られる崇拝者になれる、というものみの塔協会の言い分はまったく偶像崇拝者の言い分と同じです
。エホバの証人は偶像崇拝者だったのです。外から冷静に眺めて初めて、自分の正体が分かります
。いくら客観的に見ているつもりでも、内部でエホバの証人の活動をしながらであるのでは、どう
しても身びいきになってしまうのですね。どんな人でもやっぱり自分が間違っていると認めるのは
ほんとうに難しいものだと思いました。こうして一つ一つ垢を落
としてゆくことで、人はマインド・コントロールの呪縛から解放されてゆくのだと思います。思考
と心が完全にものみの塔のコントロールから解放されるのはまだまだ時間がかかるとは思います。
腰を据え、焦らずにじっくり取り組んでゆけばいいと思います。

ものみの塔協会、あるいは「ものみの塔」宗教の会衆のありかたを変えたいとお考えになっておら
れる長老の方が投稿されていました。そういう方々が増えてきていることは、まだ会衆に交わって
いる人たちにとっては明るいニュースかもしれません。少なくともえこ贔屓や、ねたみ、そねみ、
長老の我がまま勝手などで苦しめられることが減ってゆくという淡い期待が持てるからです。人生
の全てをかけてエホバに献身した人々が無防備なのをいいことにして(つまり長老、監督への無条
件の絶対服従の暗黙のおきての下に置かれるから、無防備の状況にある)、長老たちの気の向くま
まに右へ左へと振りまわされるのを見ているのは、周りの正気な人(完全にはものみの塔のマイン
ド・コントロールに染まりきれない人)にとって無残きわまる思いにさせられるものです。会衆に
良心的な長老が増えることを願っています。しかしものみの塔協会を正しいキリスト教のあり方に
変えるということは絶対に不可能です。なぜならものみの塔の宗教はその初めから全く間違ってい
たからです。ものみの塔は終わりの日の年代特定の関心で起こっ
た宗教です。予言が外れまくって、これはいかんと思ったラザフォードが聖書をまったく自分の思
考の奴隷にして都合のいいように切り貼りして、教理を今の形に作り上げたのが、エホバの証人が
布教している宗教なのです。つまりものみの塔教団がまともなキリスト教であったためしは一度も
ないのです。もし、ものみの塔内にいる人が、もっと正しいキリスト教に変えたいと思ったなら、
新たに教団を創らなければならないでしょう。なぜならラザフォード製の教理を信奉している間は
聖書に忠実であることができないからです。しかし、長老や監督による圧制をやめさせたいと思わ
れているだけなら、まともな頭を持つ人が長老に推薦されてゆけば期待はできるかもしれません。
推薦された人がいつまでまともでいられるかはわかりませんが。長老として大会でよく用いられる
ようになろうと思うなら、巡回監督のいいなりにならなければなりません。マルチーズや狆などの
ペット犬のように、彼らにとってかわいい人材になる必要があります。それは官僚的になるという
意味であり、同時に会衆の誠実な成員たちにとっては嫌な長老に
なるという意味です。
 Pendulumさんの指摘は鋭いと思います。エホバの証人になる人には、本当に聖書や神に関
心があるのではなく、子供をうまく育てたいとか、そのほか個人経営の人が、不況で将来への展望
が暗いので何か慰めが欲しいと言うような動機である場合が多いということです。私のいた会衆で
もそういう人がいました。だからみんな聖書に書いてあることには実際に従えないで、階級序列や
発言力争いにたやすくのめりこむのだと思います。聖書の音信に本当に従いたいのではないのです
。1999年までの投稿の中にもありましたが、エホバの証人になる人というのは、今の社会では
うまくやってゆけない人間、競争社会では十分に生きてゆけない人が多いと私も感じていました。
それは決してそういう人たちが欠陥のある人間だというのではありません。この社会がそういう人
々の個性を受け入れることができないということで、問題はやはり社会の方にあると思います。し
かし、社会で十分に戦い抜けない人たちが集まった宗教団体内で、社会でも行われないような過酷
な競争、過酷なルールを作り上げ
、その中で「噛み合ったり食いあったり」するのに目をつりあげてきたというのはなんとも皮肉な
話です。とにかく私はそういうのからは一抜けさせてもらいます。

《編集者より》
これは協会はコンピューターを持つ証人を調べているかを投稿して下さった方からです。また前回の投稿、「良心の危機を読み終えて/「真実を求め続けたい証人」へ」はあなたのご要望に沿って年齢をぼかして掲載させていただきました。エホバの証人への世間の関心を高めるという提案には大賛成です。疑問を喚起する働きかけは確かに危険が伴いますので、夫々の人の置かれた状況に従って判断すべきでしょう。

エホバの証人の組織への忠誠の理由が、キリスト教世界の偶像を使う理由と共通するものであるというのは非常に的を得た、鋭い指摘であると思いました。

ものみの塔宗教が改革できるものか、それともあなたのおっしゃるように根本的に間違った、矯正不可能な団体であるのか、は議論が分かれる所でしょう。私は今の所、ものみの塔を全面的に否定するより変革を求めて行くほうがより現実的で建設的ではないかと思っています。もちろん、あなたのように「一抜け」することも結構であると思いますが、エホバの証人の社会全体を見た場合、「全面否定」の態度は多くのエホバの証人をかたくなにし対話拒否に追い込むだけで、大きな変化は望めないのではないかと思います。それに対し、一つ一つの問題点を捉えながら、それがどのように改善できるのかを討論していくなら、かなりのエホバの証人が参加でき、その中で建設的な発展が望めるかもしれないからです。もちろん、究極的にものみの塔がどうなるかは私たちの目先の議論を超えた大きな事柄で、私の予想はつきませんが、私は何度も書いているように、この宗教は少しずつ変革しながらも長いこと続き、信者の数も少しずつ増えつづけるであろうと思っています。