「君たちは卑怯で汚い」−エホバの証人を妻に持つ夫のJWICに対する批判

(2-22-01)

私はエホバの証人ではありません。ただ、妻は約17年前にバプテスマを受け、今も
熱心に活動をしています。当初は私達の間でもよく議論が起きました。輸血・誕生日
・正月、クリスマス、葬式などに関してでした。    その後17、8年間、私は妻とそ
の仲間たちの言動や、親しくなったその仲間達との交流を通じて、私なりの「エホバ
の証人」に対する認識ができてきました。 私は宗教問題の専門家でもなく、他の宗
教のことについても一般的な知識以上のものはありません。私は現在のところ、理解
者ではあるが、自分で積極的に勉強しているわけでもありません。たまに、「ものみの
塔」や「目ざめよ」誌の関心のあるタイトルの内容を読む程度です。ですから、情報が
偏っているといわれればそうかもしれません。しかし、前にも書いたように20年近く真
近でづっと彼ら、彼女らの行動を見つづけてきた後の結論は、「エホバの証人」以上に
真剣に聖書を勉強し、信じ、行動している人たちは他のキリスト教諸派にはないだろう
ということです。君達の悪意に満ちた品のないJWICの内容は、低俗で恥ずかしいか
ぎりです。  自信があるのなら、正々堂々と論戦を挑めばよい。私達日本人でクリス
チャンではない者には、何故キリスト教にはこれほど多くの会派があるのか、というこ
とはよく理解できないが、恐らく聖書の解釈によるものと、より民衆に受け入れられ易
くするために勝手な理屈(解釈)をつけたために生じたのではないか、と私自身は想像
しています(もっと色々な理由があるとは思うが)。
私は最近妻からずっと以前にもらって、そのままになっていた聖書を初めて開きました。
1985年版の新世界訳で発行者はもちろん「ものみの塔聖書冊子協会」です。
先述した小冊子で部分的な内容は見たことがありましたが、聖書そのものを直接開い
たのはまったく初めてでした。そのきっかけは、啓示の書の内容を確認したかったから
でした。まだほんの少し読んだだけですが、正直いってその内容は非常にわかりづらい
ものですが、強烈なインパクトをもった恐ろしい内容が書かれていることは理解できまし
た。発行者によって聖書の内容(日本語訳)が異なるのかどうかは知りませんが(恐らく
そんなことはないと思いますが)、少なくとも聖書が神の意志で書かれたものと信じて
いるクリスチャンが聖書の言葉に何かを「つけ加えたり」「何かを取り除いたり」はする
筈がないと思われ、「エホバの証人」が日ごろいっていること、行動していることは信じ
られるもの、と私は思っています。勿論エホバの証人が多くの教会から目の敵にされて
いることは知っていますし、それなりの理由があるのだろうと思います。 しかし
私は問いたい。あなたがたは本当に「エホバの証人」の言っていることが間違っている
と思っているのか、ということを。自分たちは正しいといえる行動をしているのか、という
ことも問いたい。少なくともJWICの内容を一部見るだけでも、目的をもった中傷記事を
集めたタブロイド版程度のものとしか私には思えない。少ないとはいっても、世界には
500万人、日本だけでも約20万人の証人がいると聞いており、中には間違いをおかす
人もいるかもしれない。しかし、自分たちのことは棚に上げてAそのごく僅かな問題点
を必要以上に誇大に宣伝するのは、正しいものの見方と言えるのだろうか?
私は(確たる証拠はないが)まず断言できる。他のキリスト教信者が起こす問題や犯罪
が仮に1%の確率だとすれば、エホバの証人のそれは恐らくその10分の一以下だろう
ということです。
長くなってしまいましたが、最後に「偽りの宗教がまず最初に滅ぼされる」という聖句が
どの宗教になるのだろう、と非常に興味を覚えています。
私の妻も、私の親戚からはよくは見られていません。しかし、彼女は信念を持って妥協
することなく行動していますし、宗教問題以外ではみんなから信頼を受けています。
私自身は無責任な傍観者に近い者ですが、逆にしばらくの間は距離を置いて聖書とい
うものを少しずつ勉強しようと思っています。
あなた(方)も、きっと言い分があることでしょう。メールをまっています。
 
yuta01@blue.ocn.ne.jp       
 
東京都在住(単身赴任中)、58歳、男性です。

《編集者より》
あなたのメールは2月3日付けで出されていますが、こちらには2月22日に到着しました。先ずあなたと私との間には「間違いを批判する」ということに関して根本的な態度の違いがあるように思います。あなたは「自分たちは正しいといえる行動をしているのか」と問い、「自分たちのことは棚に上げてAそのごく僅かな問題点を必要以上に誇大に宣伝するのは、正しいものの見方と言えるのだろうか」と書かれています。あなたのこの論法でいけば、世の中から間違いを批判する者は極端に制限されるでしょう。自分たちが正しい行動をしていると言い切れる人はそうはいません。私自身、私の行動が全て正しいとは思っておりませんし、このウェブサイトにそのように言明したこともありません。それでは私の行動が全て正しくなければ何事も批判できないのでしょうか。

私はあなたとは全く別の見方をしています。批判は批判するその内容によって判断されるべきであり、批判する者がどのような者であるかによって批判の内容の価値が変わるものではないと私は思います。簡単な例をあげましょう。今年一月に新大統領になったブッシュは労働長官にリンダ・シャヴェズという女性を登用しようとしました。シャヴェズはaffirmative action(少数派の人種、特に黒人やメキシコ系の人々、を白人に比べて優先的に入学させたり就職させたりする政策)を批判してきたことで有名でした。これに対してaffirmative actionをあくまで守りたいと言う人々はシャヴェズの登用を何が何でも食い止めたいと考えました。そこで何をしたかというと、シャヴェズの個人的な生活に立ち入り、シャヴェズが何年も前に自分の家に難民として入国した女性をおいて、家の手伝いをさせていたことを取り上げ、それがアメリカの移民法に触れる行為であるとして攻撃をしたのでした。結局シャヴェズはその難民を自宅に保護していただけなのですが、就労の資格のない難民を手伝いとして雇ったと非難したわけです。シャヴェズはその攻撃に耐え切れず、労働長官になることを辞退せざるを得ませんでした。

この例はあなたの私に対する攻撃によく似ています。もしaffirmative actionが正しい政策でそれを守りたいのであれば、その批判そのものに対して答えるべきであるのに、逆にその批判する者の個人攻撃に出たわけです。つまりあなたの言葉を使えば、「シャヴェズ、あなたは自分が正しい行動をしていると言えるのか、自分のことを棚に上げてaffirmative action の問題点を宣伝するのは正しいのか」という攻撃です。アメリカではこの攻撃方法をよく「kill the messanger」(メッセンジャーを殺せ)と言います。その昔、独裁者は批判に答えられなくなると、その批判に答える努力をせずにその批判をしている人に対して攻撃を向けて批判を終わらせようとしました。ラテン語ではこのやり方を「ad hominem」と言い、太古からある批判を制圧する方法です。私はあなたの態度はまさに「ad hominem」、「kill the messanger」であり、議論で対応できない者の苦し紛れの攻撃でしかないと思います。批判は批判そのものの内容で判断すべきであると思います。間違っていることは誰が指摘しても間違っていることであり、批判する者が誰によるかによって批判の内容が変化するものではありません。

あなたは、「君達の悪意に満ちた品のないJWICの内容は、低俗で恥ずかしいかぎりです」と言いながら、何が「悪意に満ち」、何が「低俗」なのか、何が「品のない」のかを論じていません。理由を明らかにせずに人を攻撃するのはそれこそ「悪意に満ちた」中傷ではありませんか。確かにJWICではものみの塔のある部分をはっきりと批判しています。しかし、その批判にはそれぞれはっきりした理由があります。多くの理由は公に発行された文書で確認できます。もちろん「悪意」「低俗」「品のない」という表現はあくまで主観的、感情的な問題ですから、これでは議論もできないかもしれません。そうなれば批判者を個人攻撃して、「kill the messanger」に依存せざるを得ないのかもしれません。

なお、あなたの取り上げたいくつかの具体的な点にも少し触れましょう。

自信があるのなら、正々堂々と論戦を挑めばよい。
あなたは多分エホバの証人の歴史を知らないと思いますが、JWICだけでなく、多くの批判者が直接間接にものみの塔に対して正式の回答を求めたことは何度もありますが、全ては断られるか、なしのつぶてでした。私自身も何回かものみの塔協会の本部に質問状を送ったことがありますが、返事は来ませんでした。ものみの塔協会が「正々堂々とした論戦」に応じないことは、ものみの塔を知るものの常識です。また地元のエホバの証人や長老は確かに話し合いには一度は来ますが、その内容が彼らを批判するものであるとわかると、直に対話拒否に出ることも常識です。

何故キリスト教にはこれほど多くの会派があるのか、というこ とはよく理解できないが、恐らく聖書の解釈によるものと、より民衆に受け入れられ易 くするために勝手な理屈(解釈)をつけたために生じたのではないか、と私自身は想像 しています
私は多くの会派があるのは当然であり、それ自体がおかしいとは思いません。多くの会派がいがみあい、争うのが問題なのであって、会派同士が互いを尊重しあいある時は協調しあっていくのであれば、問題はないと思います。キリストに近づく道は一つとは限りません。全ての人が置かれた状況によって、様々な方法でキリストに近づくことができます。その意味では会派はキリストを信じる人の数だけあっても不思議はないのかも知れません。習慣や態度を超えてキリストにおいて互いに愛し合い、尊重しあえれば、私は全てのクリスチャンが自分自身の会派を作っても構わないと思っています。多くの会派があることで最も問題になるのは、宗教権力を目指し、自分の会派のみが正しく他の全ての会派は偽りであると攻撃に出る会派が出てくることです。そうなると会派同士のいがみ合い、争いが絶えなくなります。歴史的に見てこのような会派は沢山ありました。現代の世の中では、ものみの塔宗教がこの典型と言えます。私はこのような「唯我独尊」の会派の存在を最も警戒しています。

・・・少なくとも聖書が神の意志で書かれたものと信じているクリスチャンが聖書の言葉に何かを「つけ加えたり」「何かを取り除いたり」はする筈がないと思われ、・・・
「筈がない」という憶測で人を批判せずにまず事実を自分で調べてください。聖書は少なくとも二千年前にその当時の言語で書かれた書物です。これを現代の言葉に翻訳するのにどれだけ翻訳者の判断が入ってくるかは想像できるでしょう。あなたも先ず、聖書の様々な翻訳を照らし合わせ、その上で古代言語の専門家がどのように訳するのが適切と見ているかを調べた上で判断してください。

・・・最後に「偽りの宗教がまず最初に滅ぼされる」という聖句がどの宗教になるのだろう、と非常に興味を覚えています。
私はこのような聖句を知りません。聖書のどこにそのような言葉が出てくるのか教えてください。しかし、ものみの塔は聖書の一部を自分なりに解釈して、このように教えていることは確かです。従ってこれは「聖句」ではなく、ものみの塔協会の言葉です。私は偽りの宗教は滅ぼされないと思います。日本のことわざに「憎まれっ子世に憚る」というのがありますが、ものみの塔宗教も、「偽りの宗教」も、オーム真理教でさえも、いつまでも存続し続けると私は思っています。