「BC607年について考えてみました」−現役姉妹より

(2-14-01)

初めまして。現役姉妹です。大変、興味深い情報に感謝します

こちらのHPからの情報によると、エルサレムの滅びはBC587−6年とのこと、
まさに初耳でして、これは調べる価値ありと。。。
早速、図書館に出向いて自分の目で可能な限りの資料をみてみました。結果は予想ど
うり、すべての資料(15冊ほど)はBC587−6年となっていました。
他の姉妹に話すと、「そのことに関して以前雑誌に説明が書かれてた」とのこ
と。。。CD−R0Mでけんさくしてみると
ありました。ありました、塔89年3月15日号の研究記事にその違いにに関して、
くるシーい、いいわけがのってました。可能な方は、チッエクしてみてください。
その記事によると、歴史家の(単なる解釈)を受け入れることなく聖書の預言に忠実
であるために607年を指示する旨でしたが、、、へーんです。
BC587−6は、考古学的に証明されてる史実であって、
協会が固執する、607年が、史実に反する、不完全な人間の(単なる解釈)のよう
に思います。
また協会の不思議な点は、バビロンの滅んだBC539年や、AD70年(エルサレ
ムに滅び)はしっかり歴史家の(解釈)を受け入れていること。
ほーんと、都合いいですよね。
一般の年表と「霊感」のそれとを比べると、20年程度のずれがあったり、ぴったり
合ったり、ころころ変わってて、おもしろいですよ。
とっても勉強になりますよ。

そこで、研究発表ですが、
個人的には、「エルサレムの70年の荒廃」は
BC586年のエルサレムの滅びに伴う神殿の崩壊、から
BC515年の、第二神殿の完成(ゼルバベルによる)
の71年間にあたるかも。。。なーんてかんがえてます
補囚期間よりも、神殿が崩壊していた期間のほうが、ぴったときませんか?
こんなことは、組織内でははなせないので(ほんとは自由に話せるべきなのに)書き
込みしました。
独りよがりなこと書いて、すみません。

また、書き込みさせて下さいね。では、失礼します。

《編集者より》
この問題については、このウェブサイトの第三版第五章 「バビロンで七十年」の計算法 の記事で触れられています。あなたの「補囚期間よりも、神殿が崩壊していた期間のほう」という見方は多くのエホバの証人によって語られており、史実と調和する見方の一つです。確かに組織内でこれを取り上げるのは困難かもしれませんが、疑問を提起する形で少しずつ個人的に周囲の兄弟姉妹に考えさせてみてはいかがでしょう。