「理解できました、ではどうすればいいのでしょう」−ものみの塔の3つの命令

(2-13-01)

あなたのおっしゃっていることが、とてもよく理解できました。では、私個人
として聖書にしたがった生き方をしていくためにはどうすればいいのでしょう
か。
集まり会うことをやめないようにとゆう命令、のべ伝えるようにとゆう命令、
バプテスマを受けること。この3つの命令に従う方法を探しています。

《編集者より》
あなたの質問はエホバの証人のする典型的な質問です。「この3つの命令に従う方法」を探しているうちに他に行くところがないと思い込み、ものみの塔に結局留まるか、戻っていく人が多くいます。この3つの命令にもう一つ付け加えれば、「エホバの名を使う」という命令にも従わなければならないとすれば、もうものみの塔以外に行くところはなくなります。これが堂々巡りで組織から絶対に出られなくなる檻のような役目を果たします。

聖書には無数の「命令」があります。その中からなぜあなたは「この3つ」だけを特に取り出すのでしょうか。それは、あなたが長年のエホバの証人としての訓練(これをマインド・コントロールと呼んでもいいでしょう)の結果、聖書にある無数の命令がいつのまにか「3つ」だけになり、その3つの組み合わせがものみの塔宗教にしか見つからないと自分で言い聞かせて組織からいつまでも抜けられなくなるのです。しかし、そのような「真の宗教の基準」は聖書の幾つかの命令を持ってきて組合わせればいくらでもできます。

簡単な例をあげましょう。マタイ19:21には「完全でありたいと思うなら,行って,自分の持ち物を売り,貧しい人たちに与えなさい。そうすれば,天に宝を持つようになるでしょう。それから,来て,わたしの追随者になりなさい」と書いてあります。これに基づいてある宗派は信者の財産を全部売ることを教えています。もちろんものみの塔はそんなことは教えていませんから、その宗派の基準でいけばエホバの証人は聖書に忠実でないことになります。もちろんものみの塔はこの教えを忠実に守らない理由をいくらでも挙げるでしょうが、それと同じように他のクリスチャンもものみの塔の教える「3つの命令」を文字通りに行わない理由をいくらでも挙げることができます。

もう一つの例をあげましょう。「のべ伝えるように」という命令の根拠となっているマルコ16:15の「世界じゅうに行って,良いたよりを全創造物に宣べ伝えなさい」という命令の直ぐ後には、次の命令があります。「さらに,信じる者には次のしるしが伴うでしょう。すなわち,彼らはわたしの名を使って悪霊たちを追い出し,いろいろな国語で語り,18 またその手で蛇をつまみ上げ,死を来たらせるようなものを飲んでも,それは彼らを少しも損なわないでしょう。彼らが病人の上に手を置くと,その人々はよくなるでしょう」(マルコ16:17-17)。実際あるカルトはこれを文字通りに行って「宣べ伝える」のと一緒に「悪霊を追い出し」「蛇をつまみ上げ」「毒を飲む」ことを守って行っています。このカルトがこの「3つの命令」が真の宗教を見分ける基準と教えれば、その信者には全ての他の宗教は偽りと見えてしまいます。私はこれはカルトの巧妙なマインド・コントロールに過ぎないと思います。

このように聖書の「命令」は一つ一つ取り上げればきりがありません。それでは聖書の命令で一番大事なのは何でしょう。それはイエス自身が答えています。

*** 聖8-参 マタイ 22:36-40 ***
36 「師よ,律法の中で最大のおきてはどれですか」。37 [イエス]は彼に言われた,「『あなたは,心をこめ,魂をこめ,思いをこめてあなたの神エホバを愛さねばならない』。38 これが最大で第一のおきてです。39 第二もそれと同様であって,こうです。『あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない』。40 律法全体はこの二つのおきてにかかっており,預言者たちもまたそうです」。
エホバの証人は第一のおきては実行しているかも知れません。それでは第二のおきてはどうでしょう。エホバの証人は自分たちの間では「愛がある」と言っていますが、「世の人」の隣人に対する愛はありません。もちろん個人的には宗教に関係なく隣人愛を示すエホバの証人もいるかもしれませんが、組織としては「世の人」である隣人を「自分自身のように」愛することは教えていません。これに比べて、マリア・テレサなのように、「バビロン宗教」と蔑まれている人々の中に、真にこの命令を実行している人々がいることをよく考えて下さい。

あなたはものみの塔の「3つの命令」から脱却して、聖書が真に大事な命令は何であると教えているのか、に立ち戻ることをお勧めします。