エホバの証人の生活保障・「ダニエルの預言」の適用・迷える羊−「真実を求め続けたいエホバの証人」より

(1-27-01)

 今日は超長い投稿になってしまいました。忍耐力テストと思って読んでください。
@このHP編集者の方の輸血に関するコメントと、免責証書書き換えの前に読んでおく
よう勧められた記事に関する「ありのままに考える証人」さんの投書は、大変わかり
やすく助かりました。以前の雑誌にも書かれていたのに、私のように読んでも把握で
きていない人は多いと思います。できれば地元の長老たちも参考にしてほしいと思い
ました。

A協会は、「愛が真の弟子を見分けるしるし」とイエスが教えてくださったように、
今まで労苦しながらついてきた成員が抱えている生活苦の問題に潔く責任を持ち、組
織的な救済措置を講じるべきではないでしょうか。ベテルに入った自分たちだけが衣
・食・住・医療を生涯保障されるのでなく、骨折って働いた同労者全てが同じ保障を
得られるように尽力することが聖書的であり、公正を愛する神と調和した行いだと思
います。身分差的生活状態(王の宮殿とか)が許されていたのはユダヤ教の時点で、
原始キリスト教ではキリストでさえ寝ぐらのない生活でしたし、寄付が公平に分配さ
れたので、同労者の生活レベルに大差はなかったのです。ペテロのように寄付で生活
するか、パウロのように仕事をして生活するかは自由選択かもしれませんが、ペテロ
だけが生涯保障され、パウロはほったらかしということはなかったはずです。資金が
難しいというのなら印刷費を削るのはどうでしょうか。禁令下の国で行われているよ
うに、よく話し合って吟味してから渡すようにすれば今の3分の1の生産量でも間に
合うでしょう。雑誌配布の喜びは、奉仕報告に記入できる喜びも混じっていると思わ
れますから、奉仕報告を無記名提出にしたらいいと思います。区域の状況を把握する
のに記名の必要はありません。個人の霊的状況を把握するために記名は必要というか
もしれませんが、個人の霊的状況を管理するのは本人の責任ですし、本質的にはダメ
状態なのに、報告でカムフラージュして長老になってしまったりしたら、それこそ最
悪、社会の迷惑です。「どうしようもない長老」が誕生するのは、そういう理由かも
しれません。霊的状況は様子でわかりますから、奉仕報告に惑わされない分、正確に
把握できると思います。それで奉仕時間を減らすなら、動機が暴露されるだけでしょ
う。
 更にいざとなれば雑誌と聖書と「知識」の本だけでも、信仰や伝道は立派に成立し
ます。お客様用宿舎を減らして、ベテルを解放することもできませんか?家族をほっ
たらかして伝道に励んでも神のご意志を行っていることにはならないのと同様、組織
の提案(暗示も含む)に忠実だったゆえに生活苦に陥っている霊的家族をほったらか
して伝道にいくらハッパをかけても、神は喜ばれるはずがありません。もちろん1世
紀のようにきちんとした名簿を作って、悪質な便乗者を出さないようにする洞察力や
方法は必要だと思います。(大変な仕事かもしれませんが、名簿作りのために各会衆
を支部の兄弟が順次訪問したら、会衆の長老達は真実を敏速に調査すると思います
よ。迫力ありますから……)
 衣食住&医療の生涯保障を獲得した人が、生活苦に直面している同労者に対してい
くら紙面でアドバイスをしても、所詮は対岸の火事、言葉だけの形式的援助にしかな
りません(ヤコブ2:15,16)。大会ホールの空き地に専用の住居を建てること
もできるでしょう?ベテルほど立派でなくても、やりくりに熟練した兄弟姉妹は、簡
素で快適な生活をする知恵を持っておられます。

B「ダニエルの預言」の無理すぎる適用(エホバの証人の兄弟姉妹はどう思われたで
しょうか?)
*ダニエル12:1−3について
 「ダニエルの預言」の本の291ページ9節から、解釈が著しくおかしかったで
す。291ページ9節では、「文脈を考慮して下さい。12章の冒頭の節は、これま
で調べてきたように、この事物の体制の終りだけではなく、終りの日の全期間にも適
用できます」と述べて、以降に展開するダニエル12章の預言の適用(20世紀前半
の組織に適用している)が聖書と調和した道理にかなったものであることを強調して
います。でも皮肉なことに、考慮すればするほど、文脈はその主張が到底ムリなこと
を示していると思いました。ダニエル12:1の「神の民のために立つ大いなるミカ
エルが立ち上がる」というのは、立ったのが王権をとった1914年で(以降立って
いる)、立ち上がるのはハルマゲドン=裁きの執行の時という説明でした。「立つ」
ことに関する説明にも問題はありますが、それはこの際うるさく言わないとしても、
ダニエル12:1−4の聖句は、正常な読み方をすれば、ミカエルが立ち上がる時に
起こる出来事を述べたものす。今までにない苦難の時が必ず臨むことになるが、神の
民は逃れることができる(12:1)。既に亡くなっている人は復活し、ある人は定
めなく続く命に至り、ある人は恥辱に至る(12:2)。洞察力がある者は照り輝
き、多くの者を義に導いている者たちは永久に輝く(12:3)という内容で、明ら
かにミカエルが「立ち上がる」ハルマゲドンに関連して聖書の他の箇所で述べている
ことと一致しています。1.大患難が来る 2.神の民は救われる 3.死者の復活が起こ
る 4.洞察力ある者たちは天で輝かしい存在となる、という一連の出来事を繰り返し
述べているにすぎません。
 次に、「文脈を考慮して下さい。12章の冒頭の節は今まで調べてきたよう
に……」と言っているので、どういう風に何を調べてきたかと振り返ってみても、
「民の子らのために立つミカエル」という句の「立つ」は1914年からで、以後王とし
て立っておられる、と言っているだけです。それをよりどころに以降のダニエル12
章の聖句が20世紀前半に当てはまるというのは、全く「論」として成り立ちませ
ん。「立つ」という言葉は「大いなる君」を修飾する形容動詞でしかないのです。例
えば、「1914年に村長として立って以来ずっと村民を治めてきた桃太郎さんが、鬼退
治に立ち上がります。そして今まで臨んだことがない苦難の時があります。しかしそ
の時、記録書に記されている人は皆逃れ出ることができます。また、死んでいる人達
が復活します。ある人は永遠の命に、ある人は恥辱に至ります。また、村民に多大の
貢献をしてきた村議会議員たちは永遠に星のように輝きます」という物語を読んだと
き、誰もがこれは村長さんが鬼退治に立ち上がったときのことを言っていると思うの
ではないでしょうか。「1914年から村民を治めてきた村長さん」と書かれているか
ら、この内容は1914年以降に当てはまります、と答えたらテストでは×をもらいま
す。「1914年から治めてきた」というのは、桃太郎さんを説明する語以上のものでは
ありません。
 文脈をどうひっくり返しても、ダニエル12:2以降が20世紀前半に焦点を当てて
いるという解釈は到底ムリ、「ムリを通せば道理引っ込む」という言葉があります
が、こういう話術は世では「詭弁」と言って卑しい評価をされてしまうのです。意図
的な詭弁なのか、知力の問題なのかはわかりませんが、エホバの御名を背負うことの
重さと責任をわかっていない、軽薄さを感じます。「古い」成員の主張を、いつまで
も引っさげている必要はないと思いました。(時代錯誤の雰囲気)
 でもその後に書かれている内容によっては“ご愛嬌”と受けとめることもできます
が、結局、何を言うための詭弁だったかというと、書籍291ページの10節以降か
らわかるように、@.ダニエル12:2は霊的復活のことを言っている。 A.191
9年に組織が霊的復活を遂げた後、組織を離れていった人達はダニエル12:2で預
言されていた「恥辱と憎悪に至」る人達である。つまり「メシアなる王を退け、神へ
の奉仕から離れた人達」である。 B組織に残った人達こそが神の目に忠実な者であ
り、「最終的に定めなく続く命へと至ります。……その霊的な活力は、彼らを見分け
るための助けとなります」と記述し、12:3に預言されている「洞察力のある者」
「永久に輝く聖なる者たち」は、現在の自分たちのことである、という主張を正当化
したかったわけです。エホバの証人=唯一の神の組織という主張の“聖書的根拠”が
欲しい余りのことでしょうけれども、このような詭弁を使うことは、張子の虎を虎に
見せる効果しかありません。わからない人も多いかもしれませんが、何となく変だと
気づいている人も多いと思います。統治体は、そういう主張をし続けなければ信者が
離れていくと思っておられるのでしょうか。人を引き寄せるのは愛と義ですから、そ
れさえ実践していれば離れていきません。「神の組織」という看板を下ろしたら離れ
ていく人がいるとすれば、その人たちの信仰こそ、どこかおかしいのです。愛と義で
はなく、楽園行きの組織という看板に引き寄せられているわけですから。(または愛
と義はここにないと結論していることになります)。
脱線しました。

*ダニエル12:5−11について
 前述のことと同じです。その聖句は、「これらの驚くべき事柄の終りに至るまでに
どれほどの時があるか」という問いと、「それは三時半である」という答え(問答)
がされているわけです。「驚くべき事柄」というのは、前述した12:1−3の出来
事のことであり、それに至るまでに三時半という期間が存在することを述べているの
です。はっきり言えば、ハルマゲドンが起こる前に「三時半」という特徴的な期間が
あり、それがダニエル7:25や啓示11:3、7、9でも述べられていて、その期
間の特徴が記されています。特徴として、ダニエル7:25、26では、至高者に属
する聖なる者たちが4番目の野獣(国)に悩まされ、その手に渡される(非常な苦
難)、しかし裁きが行われてその国は滅ぼし尽くされる(救われる)ということが示
されています。また啓示11:3では、2人の証人が粗布を着て預言することが示さ
れ、啓示11:7では底知れぬ深みから上る野獣が彼らと戦い、征服して殺すこと
(これらも非常な苦難を意味)、啓示11:9では三日半の間遺体が人目にさらされ
ること、啓示11:11では三日半の後神からの霊によって復活する(救われる)こ
とが示されています。「三日半」と「三時半」は表現をわざわざ違えてあるので、別
のことを示していると考えられます。
 これらの聖句からわかるのは、「三時半」というのは、神の裁きの執行(ハルマゲ
ドン)の直前に存在する非常な苦難の時期のことを言っているのであり、救われるの
は神が裁きを執行することによってのみという特異な期間です。そして復活します。
ダニエル12:1の、“ミカエルが立ち上がる時はそれまで臨んだことのない苦難の
時が必ず臨む”という内容の記述や、マタイ24:21の「その時には今に至るまで
起きたことがない…大患難がある」という表現、またエゼキエル38章の表現(長い
ので省略します)も、裁きの前に苦難の時期があることを示しています。すべては調
和しているのです。つまり聖書で伝えている「三時半」は、ハルマゲドン直前に存在
する苦難の時期のことであり、1914年〜1918年のことではありません。そし
て「三時半」が終るのは「聖なる民を打ち砕くことが終了する(苦難が終了する)」
(ダニエル12:7)時=ミカエルが立ち上がり裁きを執行する時なのです。
 ちなみに啓示12:13−17でも、「三時半」は、蛇が神のおきてを守り行う者
と戦うために出て行く時であると示唆しています。協会はこれも1914年以降と説
明していますが、「三時半」が出てくる聖句を全て照合すると、もっとハルマゲドン
に近い時期のことであり、タルタロスにいたサタンが天で戦争を起こして、地に投げ
落とされる結果地に災いが来るという記述も、今よりもっと激しい苦難が将来起こる
ことを意味していると考えられるのではないでしょうか。それを救うのは白馬に乗っ
て天の軍勢を従えていると比喩的表現で書かれているイエス・キリストだけであっ
て、征服を終了するまでは、世界戦争、病気、食糧不足、死の災厄が地を覆っている
わけです。征服に出かけている時点では地はまだ非常な苦難の時であるので、啓示6
章の記述は白い馬のあとに、いろんな馬が書かれていますが、それらを征服すること
は必ず完了(終了)することを約束しています。
 
 もっと分かりやすく書ければいいのですが私の限界です。お手数ですが、何回か読
み直してくださると分かっていただけると思います。
 異論や間違っている点など、どなたでも率直に教えていただけたら嬉しいです。

C迷える羊
 今、迷える羊状態になっているエホバの証人はどうしたらいいのでしょうか。体質
改善を期待して残るか、出るしかありませんが、友という大切な宝を失うのは辛いで
すし、悩んでいる人も多いと思います。個人的に選択しなければなりませんが、最近
の雑誌を読んだ私の感想では、これから組織は改善されていくのではないかと希望を
持ちました。統治体が法人から手を引いたそうですが、ほとんどの人は高齢化してい
ますし、象徴的存在になっていく前触れのような気がしました。天皇陛下のような存
在でイベントには登場し、話もすることでしょうが、実質的力は持たなくなるような
希望を持ちました。古参の成員が力を持っていると、老害に振り回されるとこもある
と思います。3月8日号の「集会に行くべきか」の記事も、申命記31:12は安息年の
ことであると明記されていましたし、希望を感じました。希望的観測過ぎるでしょう
か。不完全な人間が間違いをしたり、失敗するのは当然で、それ自体は恥ずかしいこ
とでも、卑下することでもありません。その後の態度が問題なのですから、私は信頼
感を少し回復することができました。

《編集者より》
久しぶりに投稿していただきありがとうございました。引き続き醒めた目で「真実を求め続け」ておられる姿を見てうれしく思います。これから組織が改善されるかどうか、これは難しい問題です。というのもあなたのように「真実を求め続ける」多くの目ざめた証人たちが、不活発になったり辞めたりしており、だんだん残っている証人に「現状維持」の保守派が増えていく可能性があるからです。しかし他の投書にもあるように、「改革派」が増えていることも確かですので、そのバランスで今後どうなるかが決まると思います。長年築き上げた生活基盤である会衆を出ることの困難はよくわかりますし、多くの目ざめた証人たちが、家族や友人との交友を大事にするために組織に留まっています。もう少し考えつづけてください。