改革派JWになることについて−「pendulum」より

(1-23-01)

こんにちは。一奉仕の僕のJWです。「一奉仕の僕」では、こちらのHPを訪問
されるたくさんの他の方と全然区別がつかないと思いますので、pendulumの
ハンドルネームで、これからよろしくお願いします。年齢は22で二世の「カルト
の子」です。もう、「子」とは言えない年ですが。以下に私の略歴を記します。

幼稚園に入るころに母親がエホバの証人と研究。16歳で伝道者。17歳でバプ
テスマ。その後大学進学の意思のあることを会衆の長老に告げるも、同意を得
ることができず、また実際に世間的にも優秀とみなされている某国立大学を卒
業した兄弟からも、日本の大学生活から得られるメリットよりデメリットの大きさ
を強調されたこともあって大学進学は諦め、ベテルが作った株式会社に就職し、
プログラマとして仕事をしながら開拓者としてJWの活動にも従事。21歳で「奉
仕の僕」。

家族は、父(JWには協力的)を除く私を含めた4人がバプテスマをうけたJW。
内2人は開拓者でその片方は現在「必要」(若い人や兄弟など、ある特定の
人員の補完が必要な会衆への有志による補填)で地元から外で奉仕。

つまり、私自身も(私の思い込みでなければ)会衆内では「模範的」な家族の
「模範的」な兄弟として長いことやってきました。20歳の頃、聖書そのものに
強い関心を持つようになり、(バプテスマと順番が逆という意見もあるでしょう
が、当時は聖書は協会を通さないときちんとは理解できないものと教えられて、
私もそう思い込んでいた。全く愚かな私である) 個人的に聖書を直接読むこと
での聖書理解に努めました。同じ頃、アウグスチヌスの「告白」にも感銘を受け、
またカトリックのブレーズ・パスカルやコルベ神父、無教会主義の内村鑑三ら
の「偽りの宗教」にいる人たちの著作から、純粋にクリスチャンとして励まされ、
彼らの持つ(自分を含めた)エホバの証人よりも遥かにすばらしいキリスト教精
神を見るに及んで、自分が(そしてJWの組織が)いかに狭い視野で世界を説明
しようとしていたかを実感しました。

聖書を自分で読んで直接理解できるものだと分かったとき、この時点で自分
の聖書観に関して、ほとんど「パラダイム・シフト」と呼べるような経験をしまし
た。神との距離が、一気に縮まったように感じ、聖書を読むことそれ自体が
面白くなったことを覚えています。「何を大袈裟な」と思われる向きもあるで
しょうが、組織の言う聖書観を信じていたゆえに、私は何年も聖書を持って
いながら、聖書自体を理解しておらず、それでも自分は真理を知っていると
考えて満足してしまっていたのです。

もちろん、ここで言う「聖書を自分で読んで理解できる」と言うのは、聖書
の難解な預言などの解釈がたちどころに何でも分かってしまうなどという
ことではありません。聖書の文脈と、他の似たような表現が出てくる聖句
との比較などから、聖書のメッセージと、その背後に隠れた意味をより深く
知ることができたというだけです。そして、驚くほど明らかに協会の聖書の
見解のおかしさに気づくこともあるのです。この経験を機に私のキリスト教
観も大いに変化しました。

天動説と地動説のように、同じものを見ても全く見方が異なってしまうことは
よくあることですが、私は自分の経験から、JWの自分には無関係と考えて
いた、カルトが生じさせる一般社会との間の思考観の壁を破ることの難しさを
思い知ったのでした。フランシス・ベーコンの言う「劇場のイドラ」に私もはまって
いたわけです。また、とりわけ「カルトの子」は、人生の最初から世界観を狭
められているので、そこから外の「世界」を知ることの難しさも感じました。物事
への問題意識を元々持たない人であればなおさらだと思います。(これは一般
社会の中の人にも言える事です。そのような人同士が異なった見解を持ち合う
と、議論が全くの並行線になってしまい、問題を大きくしてしまいます。エホバ
の証人の問題は確かに大きいものがありますが、JWと同じように自分の見方
が絶対正しいとの前提をまず譲らない上のような類の人による一方的なJW非
難はかえってJW内の結束と閉塞を促進すると考えます)

さて、その後急に協会の聖書理解の不合理さや、諸指示の理不尽さが
目に留まるようになった私は、多くのJWが聖書を読むことを好きでない
理由、また、実はかなり分かりにくい(これは最初から感じていた)新世
界訳聖書をJWが殊更にありがたがる理由も分かるようになってきました。

また、このHPに出会うことで自分の交わっていた組織の実態に少なから
ぬショックを経験しつつも、一方で自分の考えが正しいかもしれないとの
ヒントを得たことも実感し、現在、真のクリスチャンとして歩むべく勉強中
です。ちなみにこれらの影響もあって勤めていた会社は辞めました。現在
は開拓も降りています。それで、周りの兄弟姉妹は「どうしたのか」と思って
いるかもしれませんが、私は真のクリスチャンになりたい気持ちの方がはる
かに強いため、ほとんど気にしていません。ただ、今後私がJW内で何らか
の行動を起こそうとするとき、これらの私の変化は私に不利に働くかもしれ
ません。まあ、それでもいいと思っています。神の意思が実現されればいい
わけですから。

現在、エホバの証人でいることとクリスチャンでいることとの間に、霊的にも
教理的にもはっきりとした乖離を感じつつも、未だ会衆の一成員として交わ
りつづけています。その理由としては、同じ信者である家族や他の会衆内
の証人との関係もありますが、もうひとつにはいわゆる「改革派」のエホバ
の証人になることを考えているからです。

さて、改革派のJWになることについてですが、私がこの道を採る上で考え
なければならない要素をいくつか挙げてみました。以下のような事です。

■活動の結果「背教者」扱いされ、排斥される危険性
これは、まず挙がってくる問題でしょう。これは、私個人に生じることとして
は何も問題はないのですが、(会衆に)残された家族への影響などを考え
ると足踏みしてしまいます。それとも、ここにイエスの「私より自分の家族
を愛する者は私の弟子にふさわしくありません」という言葉を適用すべき
なのか考えあぐねているところです。

■改革が孕む問題
現在の組織を改革したところで、統治体を中核とした統制機構が維持さ
れる以上、この組織にも人間の組織として本質的に問題を抱え込み続け
る性質がついて回ることは、元統治体の成員であるレイモンド・フランズ
兄弟も述べていますし、私もその意見に賛成です。キリストを抜きに人間
が宗教組織を作ろうと試みるその姿勢に、既に完全な組織を作り得ない
限界が内包されていると考えます。ちょうど、古代イスラエルが自分たち
の国家を強くしようと願って人間の王を立てようとしたその振る舞いが、
かえって国家の弱体化の始まりとなったようにです。

つまり、改革しようとしても本質的な問題は解決できないのではないか
と言う疑問がここに残るのです。天動説を基にしてその理論を部分的に
状況に合わせて変えていっても元が間違っているのですから、解決には
決して至りません。この点で私は改革派のJWになることの意義にいささ
かの疑問を抱いてしまってもいます。

ただ、そうは言っても、しなくても良い臓器移植の拒否や輸血拒否を
組織への盲従によってせざるを得ず、命を落としてしまう、または自分
の子供を殺してしまうということは個別具体的に避けるよう助けること
はできるかもしれません。自分が何か組織の本質的な問題を解決して
やろうなどと大それたことを考えずに、そのような身の回りの兄弟姉妹
を助けるというだけでも、改革の活動の意味は大きいと言えるかもしれ
ません。欧米「改革派」のJWの兄弟たちはどのように組織内にとどまり
ながら改革的な活動をしているのでしょうか。イギリスでは、改革派の
兄弟とイギリス支部のベテルの兄弟とで、テレビを通した討論があった
と言う情報を目にしたこともありましたが。

まだ私の年齢が若いということもあり、理想主義に過ぎていたり、
思慮が足らない考えや行動をしがちだと思いますので、よく考えて
結論を出したいと思っています。村本さんからもアドバイスなどあり
ましたら、よろしくお願いします。

《編集者より》
これは昨年3月に「組織」に対する考え-組織を憂い、真理を求める奉仕の僕よりを投稿してくださった方です。前回にも書きましたが、あなたは役職につく現役のエホバの証人でありながら、誠実に全てを調査し、吟味してものみの塔を超えた真理を見出しつつある姿に、私は深い敬意と心からの賞賛を申し上げます。さて、改革派のエホバの証人とは何か、という問題ですが、これは全ての個人が自分の良心に基づいて自分で適した行動をするとしかお答えのしようがありません。そっけない返事と思われるでしょうが、そもそも「改革派」という言葉自体に問題があるかもしれません。これらのエホバの証人は「組織」の権威そのものに疑問を投げかけているので、自分たちで「組織」や派閥を作ること自体が矛盾していることになります。英語圏では「異論を唱える」という意味で「dissident」という言葉も多く使われています。

排斥になる危険性ですが、これは十分ありますが、多くの「dissidents」は排斥になることを出来るだけ避けています。一つの理由は、排斥になればおおっぴらに組織の外で活動はできますが、組織の中での活動は全く不可能になるからです。そして過去の背教の理由で排斥された人々の働きは、組織の外に対する啓蒙運動としてはある程度の効果があったものの、内部に対しては組織の指導者をかたくなにさせただけで、何の効果もありませんでした。従って「私より自分の家族を愛する者は私の弟子にふさわしくありません」という理由を考えるより、活動の有効性を考えて、私は排斥になることはできるだけ避けるべきであると思っています。

「改革しようとしても本質的な問題は解決できないのではないかと言う疑問」は確かに大きな疑問であり、「dissident」の証人や元証人たちの間で意見が分かれるところです。私は「改革によって本質的な問題が解決されない」ことはその通りだと思います。また忘れてならないのはあなた自身の問題であり、もし組織の外に新たな人生を切り開くことを考えているのであれば、組織に残ること自体があなた自身への害になることも確かです。従って、私はすぐに見切りをつけて組織を出た元エホバの証人の方々の生き方は、それはそれで当然であるとも思っています。しかし、組織に残って活動を続けることの最大の利点は、あなたもおっしゃったように組織内の他の兄弟姉妹を助けることができるということです。これは組織を一たん出たら絶対に出来ないことです。私は、多分あなたは遅かれ早かれ組織を出る人であろうと思います。その時あなた一人で出るのか、それとも何人か、何十人かの仲間と一緒にでるのかの違いになると思います。従ってものみの塔の側から見れば、あなたは組織の中に発生した「ガン」のように見られるでしょう。逆に私たちの側から見れば、あなたは雑草の中で細々ながら増えつづける小麦のようなものだと私は思います。

イギリスでの討論はBBC放送のラジオでアメリカの改革派証人と、イギリスの支部の広報担当者との間で行われました。日本の放送でもあると思いますが、テレビでもラジオでも最近は顔を見せないようにしたり声の質を変えて、誰だか同定できないようにしながらインタビューや討論ができますので、この方法は日本でも放送局の協力があれば出来ると思います。