エホバの証人二世より−恋愛・結婚・エホバの証人の擁護・元証人の被害者意識

(1-20-01)

いくつか、投稿を読ませてもらいました。
僕は、僕が3歳の時に母がエホバの証人と研究をはじめ、それ以来二世として育てら
れてきました。
今は、母を通したごく普通の人間関係としての関わりしか、エホバの証人とはもって
いません。
僕は、二世として育てられた割には、まぁ、いわゆる劣等生というのか、バプテスマ
も受けてないし、集会に行くこと自体、高1の頃くらいから覚束なくなり、ここ数年
全くです。
おかげで、二世として育ったので初めて、割と客観的にエホバの証人という組織を眺
めることができています。
このサイトの投稿にもあるような欠点も、ここのところ、なるほどなぁと思います。
僕の母は、エホバの証人の中では比較的前衛的というか、革新的というか、ある種背
教的ともいえる考え方をもった人で、まぁ、あまりのめりこんでないというか、生活
の一部として宗教を捕らえているようなひとです。
母がそのようなクリスチャンですので、僕もどちらかというと冷めた感覚をもってい
たのかもしれません。
同じ年代の二世の子供たちが中学生とかで、バプテスマをうけるのを、おいおい大丈
夫か、お前?意味わかってんの?というかんじで見ていたような記憶があります。
人の事はどうでもいいんですけど。

今回メールを送らせていただいたのは、いくつかの恋愛に関する投稿に対する僕なり
の意見をのべたっかたのと、一部のエホバの証人に対する、二世の立場からの弁明を
したかったからなのです。

まず、恋愛に関する問題ですが、いくつかの投稿にもあったように、エホバの証人は
結婚する相手にエホバの証人という条件を求めます。これは、特に二世の場合は絶対
的な条件だと思います。これにあえて刃向かう場合は、そういう決まりがあるわけで
はないでしょうが、不文律的な、会衆の成員による圧迫によりエホバの証人として、
厳しい立場に追いやられると思います。ただし、これはすべてのことにいえることだ
と思いますが、それらにはすべて地域性があり、カラオケに関する投稿にもありまし
たが、大体において、都心部よりも田舎のほうが、そういった人的、精神的制裁(い
われなき制裁だと思いますが)が強いようで、こういった問題においても、あるいは、
都心部では今は、それほどではないのかもしれません。
エホバの証人の二世というのは、一般の平均的な教育に比べると、子供の頃から聖書
に則った、(実際にはものみの塔にかもしれませんが)かなりハイレベルな道徳教育
をうけるので、道徳観、特に性的な道徳観については、一般の人たちと比較すると、
かなりしっかりした道徳観をもっています。最近の若者の風潮を見ていると、sex
はスポーツであるかのような風潮が漂っているようですが、ほとんどの二世はそのよ
うな感覚を持っていないと思います。そうしますと、そのような風潮に染められた若
者の中にあって、エホバの証人二世というのは、ある種特異な存在であり、清楚な存
在を異性に求めるようなことがあった場合、二世がその矢面に立つことになり、しか
も、きわめて珍しい存在ですので(道徳観という意味において)、もし、二世を好き
になってしまうと、代替が難しいということになり、投稿にあるような事態になるの
ではないかとおもいます。
基本的に、エホバの証人はエホバの証人と結婚しなければならないという掟はないと
思います。(そのような掟は聞いたことないですが、もしかしたら僕の知識不足かも
しれません)それなのになぜ同じ信仰の仲間同士で結婚するかといえば、ひとえに、
同じ信仰を持っている人と結婚したほうがエホバの証人として活動しやすい、という
理由によると思います。
元来、そういう理由で結婚・恋愛の問題は処理されるべきであるのに、そういう行動
のみがクローズアップされ、動機付けよりも、そう行動することが求められているの
だと思います。本末転倒というか、日本のエホバの証人の弱点を端的にあらわしてい
るとおもいますが、まぁ最初にそういうことを要求してくるエホバの証人は、よくい
えば信仰や会衆の雰囲気に従順であるといえるでしょうし、悪く言えば見えてないと
もいえるわけですから、そのような兄弟姉妹たちと交際をしたいとおもうのであれ
ば、エホバの証人になるしかないだろうとおもいます。しかしそういった不順な動機
でエホバの証人になるのはやめたほうがいいと思います。なぜならば、たとえその目
当ての人と無事、結婚することができたとしても、その時感じていた愛情が続くわけ
ないですし、なにより、エホバの証人になるということは、ある意味帰依するという
ことですから、代償が大きすぎると思うからです。別にエホバの証人になることが人
生を踏み外す最初の一歩になると思っているわけではありません。しかし、その場の
感情に流されてエホバの証人になるということは、それはその人の人生にとってもプ
ラスにはならにでしょうし、真剣にエホバの証人として活動している人に対しても失
礼になると思います。
上に書いたように、やはり結論としてはエホバの証人を好きになった場合は、あきら
めるか、とりあえず話だけは聞いてみて、打算なしでその教理を気に入ることができ
れば研究してみるのもいいかもしれないですけど。。

二番目に書きたかったのは、エホバの証人に対する弁明です。多くのエホバの証人
は、こういったサイトでも指摘されているように、妄信的でカルトな臭いのする人た
ちだと客観的に見ると思います。終わりの日が来るといって伝道をする。死んでも楽
園での復活があるといって、信仰のためなら死をも辞さない。矛盾を指摘されても背
教といって耳を傾けない。これでは、カルトといわれても仕方ないと思います。僕が
まだ高校生だった頃、同じ会衆の兄弟にうちの近所にある大学の数学科に一人暮らし
で通っておられる兄弟がおられて、僕は理系進学希望で、かつ数学が苦手だったの
で、たまに大学の帰りなどに寄ってもらって、教えてもらっていたことがありまし
た。さすがに数学科に通っているだけあり、きわめて理論的で、芸術的な解き方をさ
れて、その影響で僕自身も数学が好きになり、以後数学の勉強で苦痛を感じることが
ほとんどなくなったのですが、その兄弟もやはり宗教のことになるととたんに理論的
なところをなくし、意味のわからぬ理屈や逃げ口上(少なくとも、僕にはそう聞こえ
た)をならべるのです。数学の勉強を通して、その理屈の並べ方に尊敬の念を抱いて
いたので、そのときは残念でした。こういった方は、結構たくさんいらっしゃると思
うのでこういったサイトで指摘されることはあながち否定できないと思います。こう
いうサイトに書いてあることはすべて嘘っぱちでこういうサイトを見る事自体背教的
だなんていう意見は、単なる現実逃避だと思います。
しかし、一方で大変立派なJWがいることも事実です。真剣にエホバに近づこうとし
て、日々たゆまぬ努力をする、宗教人としても、人間としても大変立派だな、と思う
人がいることも事実です。そのことをよく理解しないでただ宗教だからとか、なんか
一年に一回くらい勧誘に来るし怪しいよね、くらいの意識でJWを否定したり、非難
したりする人がいるというのは大変遺憾なことだとおもいます。JWが訪問してきた
ら是非話を聞いたほうがいいというわけじゃないし、JWのことを認めろと思うわけ
でもないですが、JWの中にはそういう立派な、まさに聖職者だと思えるような人も
いるのだということを知っておいてほしいと思います。

最後に、こういうサイトを見ると、元証人の手記がよく載っています。このサイトに
もたくさんありましたが、たとえば、組織に青春時代を奪われたとか、今も洗脳から
解き放たれない人へのメッセージとか、そういうのは、特に前者、同じ二世としてき
わめて不愉快です。そういう被害者気取っている人は、一体何を言いたくて投稿して
いるのだろうとおもいます。確かに僕も二世として育ち、中高時代に、武道、宗教問
題と普通の家庭にうまれていればあじあわなくていい苦労をしました。僕の場合は高
校一杯でほとんどJWの影響を受けなくなりましたから、青春時代をすべて奪われた
わけではありませんが、それでも一般の人に比べれば青春時代をすり減らしてきたと
思います(それは、染み付いた習慣や、道徳観などから)。しかし、それをJWの組
織のせいにするのはあまりに幼すぎるとおもうのです。確かに二世として育ったこと
で、いらぬ苦労をしましたが、しかし、一方で、二世としてそだったことで手に入れ
ることができたものもあったはずです。例えば、かたくるしいまでの道徳観もそのひ
とつですし、本を読む習慣なども挙げられると思います。そういった、二世に生まれ
ついたが故のメリットにはめを向けず、ひたすら、デメリットにばかり目を向けて、
あまつさえ、こういったサイトに投稿して人の同情がほしいのかなんなのか知りませ
んが、まったくつまらない人たちだと思います。人間は誰しも全く完璧な状況に生ま
れることなどできないじゃないですか。親がJWじゃなかったら今ごろ性病に感染し
て、死んでいるかもしれない。そう思えば自分の生まれてきた境遇を悲嘆することな
どないとおもうのですが。


長々と稚拙な内容の稚拙な文章を書いて、恐縮です。
なかなか、こういったことをいえる場所は少ないのでなんだかすっきりした気分で
す。

《編集者より》
恋愛と結婚に関しては今までにこの広場の中で書かれたことと大きな違いはないと思います。結婚や恋愛の目的でエホバの証人になろうとするのは邪道であるというあなたの見方には全面的に賛成です。

エホバの証人の中に立派な人がいると言うあなたの意見にも私は特に反対はしません。私は元々どんな世界にも、見習うべき人と問題を起こすような人とがいつもいると思っています。究極的には全て、個人がどういう人間かで人の評価は決まるもので、その人が何に属するかによって決まるものではないと思います。あなたが言うエホバの証人として立派な人は、多分エホバの証人にならなくてもやはり立派な人になったのではないかと思います。そして同じことがエホバの証人を出た人についても言えます。あなたは世間の人がエホバの証人を「妄信的でカルトな臭いのする人」と見ていると書かれていますが、同じような一方的な偏見は、エホバの証人内部の人々が、元エホバの証人やいわゆる「背教者」を見る見方にもあります。組織に残るエホバの証人は、一般的に組織を出た人を「誘惑に負けた霊的に弱い人」、背教者にいたっては「悪霊にとりつかれた人」、「性的不品行を行う者」、「同性愛者」などと、本人がいないことをいいことに、ありとあらゆる悪いレッテルを貼り付けます。しかし、私の知っている何人もの元エホバの証人は、ちょうどあなたが言うような「人間としても大変立派な人」です。もちろん、元エホバの証人の中には全くの不道徳の世界に入ってしまった人も沢山いますが。従って、やはり大事なことは人間を「エホバの証人」とか「世の人」とか「背教者」とかのレッテルや色眼鏡で見るのでなく、そのようなレッテルに関係ないその裏にある真の人間としての姿を見ることではないでしょうか。

元エホバの証人の被害者意識ですが、これは個人個人の置かれた状況、心の状態、何年組織にいたか、など様々な要因によって異なり、一概に一般的なことは言えないと思います。比較的自由な環境ですごしたあなたのような立場のエホバの証人としての経験から言えば、いいことも悪いこともあった青春の一こま位にしか感じられないでしょうが、別の人は深い陵辱感、裏切り感、喪失感にさいなまれています。その人たちは決して「被害者気取り」をしているわけではないと思います。その人たちはエホバの証人として、あなたとは全く異なった生き方見方をしてきたためにそのような心の状態になったのだと思います。確かにあなたから見れば不愉快かもしれませんが、このような心の傷で苦しむ元エホバの証人が世界中に多数いることは現実であり、それから目をつむることは出来ません。あなたはあなたの見方があり、私はそれを否定する者ではありませんが、あなたの個人としての体験に基づいて、多くの他の元エホバの証人の生き方を裁くことはできないと私は思います。ものみの塔宗教は、無数の人々の心にそのような深く癒しがたい傷をつけることが、その最大の危険の一つであると私は思います。