「新しい光」−現研究生より

(1-10-01)

私がここを見つけるまではずっとエホバの証人の人の言うことを信じていました。
会衆に対しても長老に対しても、そして統治体に関しても。
お話を聞けば聞くほど、そんな一員になれたらどんなにすばらしいだろう!
単純にもそう思っていたのです。
ただ自分の我や欲をどれだけ捨てきれるか今一つ自信がなかったので研究を続けながら
覚悟を決めて行けたらいいなと考えていました。
というのも私の生い立ちにおいてどうしても父親を許す気になれない部分があったからです。
そのことは来てくださっている方にも相談しづらいものでしたので、インターネットを通して回答が得られたら
という思いがあって検索していくうちに(結局見当たらなかったんですが)思いがけずこのサイトにたどり着き
、これまで良い話だけ聞かされていた事と全く正反対の事実を知るに至ったのです。
「公正な立場」を主張するならば事実を知ることも必要なのに、私がインターネットで見つけた様々な疑問を
投げかけると全てサタンが惑わしていることに過ぎないと取り合ってはもらえませんでした。
それでも食い下がって「では、なぜ統治体はコロコロと教義を変更するんですか?」と尋ねると、
「新しい光が増し加わったから」だそうで、「あくまでも調整がなされ、そこをどう
みるかも真のクリスチャンとして試されているのです」と取り付く島もありません。
私の心の中で「ああ言えば上裕・・」という言葉がポツンと思い浮かぶだけでした。
彼らが事実を知ろうとしないのは、こうしたネットが背教者の巣窟であるからということでしょう。
つまり、体に害があると分かっていて食べる人はいないのと同じ・・・という理屈なんです。
組織に対してもきれいな部分だけを拡大して信じ込み、サタンが難癖つけてるとしか思えないようです。
彼らは何十年と聖書を学んだ、いわばキャリア組み。
私はというと、こういうネットで知った事柄だけで話し合えば言いくるめられるのは日を見るより明らか。
「新しい光」・・・と言って箴言4章18節を引かされる。
だったら聖書に書かれてないことをも断定して公表してきた罪はどうなるんでしょう?
神は必要に応じて答えを導いてくださるのなら、はっきり分かるまで差し控えておく
べきだったのではないでしょうか?
ああ・・・こういうことを言っても通じる相手じゃないし本当に頭が痛いです。

《編集者より》
「新しい光」という言い方で教義の変更を正当化する議論は、ものみの塔の常套手段です。しかし箴言の4章の前後を読んでみると、これは「義なる者」の人生が「邪悪な者」の人生と比較してだんだんに明るくなっていくと書いてあるのであって、何もエホバが次々と「新しい光」を与えるという意味では書いてないのです。つまり「義なる者」は自分でだんだん明るくなるのであって、どこからか光をもらって来るとは書いてありません。元統治体員であったレイモンド・フランズもこの部分に触れてこれは聖句の当てはめ違いであることを指摘しています。また、もしものみの塔協会の統治体がだんだんに光を与えられているのであれば、元の教えに戻ることはないはずですが、たとえば臓器移植を「人食い」として禁止していた1967年から1980年の間の光はどこに行ったのでしょう。1967年に臓器移植は「人食い」であるから禁止するという新しい光は、1980年に臓器移植は「人食い」ではないから良心の問題という古い教えに戻った時点で真っ暗に消えてしまったのではないでしょうか。もし、新しい光でそんな大事なことが次々に変わるのであれば、今の新しい光も直ぐに古いくらい光になるのですから、しばらく待ったらどうなのでしょうか。こんな点を研究の司会者に質問してみてください。