「日本の業の歴史」の疑問−二世元証人より

(12-31-00)


こんにちわ。二世の元信者です。辞めてもうかなりの年数になりますが、今だにもの
みの塔について関心をもって観察しています。母と妹がまだ現役なので、いろんな新
しい情報は耳に入ります。    最近ひっかかったひとつのことは、昨年海老名の
献堂式の時に配られた案内書のなかに、「日本における業の歴史」という表があり、
そこの一番最初に「1949年1月にハズレット兄弟が日本に到着」とあります。し
かし、これはおかしなもので、1926年にものみの塔から正式に任命された明石順
三氏が日本において宣教を始めていることは、少しものみの塔の歴史を研究している
人なら誰でも知っていることです。その後猛烈な迫害があって、3名の殉教者を出
し、廃人となった人もいましたが、耐えぬいて教えを守った人もいました。その栄光
ある歴史に何故触れようとしないのでしょう。それは戦後、明石順三氏が組織に離反
したとされ、偽善者の烙印を押されて排斥となった事件があり、ものみの塔はできる
だけそれに触れようとせず、今回も黙殺しています。しかしながら、明石氏のことは
さておいても、殉教した人や守り抜いた人の歴史的事実はどうなっているのでしょ
う。聖書やものみの塔の教えを守って、口に出して言えないほどのむごい迫害に耐え
た、あるいは殺された人々のことは「日本の業の歴史」に取り上げられるに値しない
ものなのでしょうか。日本の歴史は1949年に始まったことなのでしょうか。私は
その年表に激しい憤りを感じました。そこにものみの塔の不誠実、不公平なものを感
じるのですが皆さんはいかがですか。
辞めた人、辞めようと思っている人で対話や助けを求めている方がいましたら、遠慮
なくメールをしてください。広い視野と平衡のとれた考えで話したいと思っていま
す。


                            ユリアヌス
                   kunisada@crocus.ocn.ne.jp

 
以上の文を掲載してください。

《編集者より》
明石順三については、ご存知でしょうが1998年の年鑑で再び背教者のレッテルと不道徳な人間のレッテルを貼られて悪者にされています。恐らくそれ以後は徹底的に黙殺する積もりかもしれません。組織に逆らった人間の見せしめと言えるでしょう。それと対照的に一緒に迫害を乗り越えた人の中で組織に留まった人は英雄扱いです。これもカルトやどこかの独裁政党のやり方とそっくりで、外に出た人間を徹底的に悪者にすることで組織からの脱落者を食い止める古典的なやり方と言えるでしょう。


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