七転八起さんの投書を読んで−カルトについて

(12-28-00)

 拝啓 七転八起様。

暖かい冬となっております。以前の冬よりは過ごしやすいですね。それでも今年のインフルエンザ
は質が悪いそうです。体がそう強くないので、注意したいと思っています。七転八起さんの方もく
れぐれもお気をつけてくださいね。投稿を読んだ分には活発な方のようにお見受けしました。きっ
と健康に恵まれた方なのでしょう。

とても興味深い投稿をありがとうございました。私も自分を率直に評価してみて、すべてと言って
いいほどカルトの基準に当てはまっていると感じました。自然に私はうーんと唸っていました。最
初に感じたことは、紹介されたM・シンガーさんの「カルト」という本は初めからエホバの証人を
念頭に置いて著わされたものではないだろうかということです。それは主にエホバの証人を告発す
るために書きあらわされた本ではないでしょうか。だからエホバの証人にこんなにぴったり当ては
まるのではないだろうか、と思ったのです。実際はどうでしょうか、その本の中ではエホバの証人
のことが書かれていますか。しかしもしそれがエホバの証人を主に告発する目的だけでなく、すべ
てのカルトを対象にした内容のものであれば、そこに書かれている尺度はたしかにエホバの証人の
教育の方法に当てはまります。それどころかエホバの証人の教育の方法はカルト的な特徴をほぼ備
えていると思います。

エホバの証人の方法はものみの塔の雑誌の研究記事を使って「討議」するというのが教育の中心で
した。しかし実際は「討議」ではなく、「刷り込み」というべきものです。つまり統治体の解釈、
見解、好み、方針を口頭で反復させ、その通りに行わせる方法だからです。記事に書かれている内
容に対する率直な疑問などを自由に討議されることはありません。もし自分の感じている疑問など
集会で言うとその人は「霊的に弱っている人」、正直に疑問を言い続けるなら、やがて「交わりに
注意を要する人」と見なされてしまいます。成員はみんな「もはや引き返すことのできない地点を
通過してしまった」自分の位置を(自分でははっきり意識していなくても)実感していますので、
そのように見なされることが何よりも恐ろしいのです。幾らかの人たちは、見えない神への忠節と
いうよりは、エホバの証人の組織から切り離されることへの恐怖で組織にしがみついているという
のが実情ではないでしょうか。「帰れるところはもうどこにもない」のです。ですから組織のやり
方に疑問や憤りを感じていても、それを「エホバがお許しになっ
ている試練」と呼んで見て見ぬふりをしてやり過ごしています。下手に声をあげると今度は自分に
お鉢が回ってきます。それも自分に関わりがない間のことでしょうけど。自分に順番が回ってくれ
ばようやく真剣に受けとめることになりますが、(以前の自分のように)誰もその時には助けにな
ってくれまないでしょう。無神経な人は、あの人はエホバから処罰を受けている、みたいな言い方
さえするでしょう。もちろんみんなそういう目に遭わないよううまく立ち回られるでしょうけど。

これはまさにカルトの支配、カルトの弊害ではないです。「組織に忠実な」エホバの証人の皆さん
、異議がありますか。私が以前いた会衆では、ついに抗議を述べて集会に来なくなった姉妹がおら
れました。長老たち(恥ずかしいことですが、私の父が中心)や開拓者の姉妹たち(私の母が中心
)は彼女を「不平、不満をいう霊的に弱い人」、また「精神的に弱っている人」などと評論してい
ました。私は心の中で「精神の不健全なのはあなたたちの方だ」と思っていました。口には出して
言わなかったけれど。聖書には「王国と神の義を第一に追い求めなさい」と書いてありますが、あ
の人たちが追い求めているのは「組織の安泰」です。七転八起さんの紹介された本の言葉を使って
言うと、「指導者の人格・好み・欲望が集団の発展で中心的な役割を演じている」ゆえに組織の面
目が第一に保護されるのです。神の義を発展させる組織ではなく、「指導者の人格・好み・欲望」
を発展させるのが使命の組織なのです。聖書に叶っているかどうかなどを主張する人の方を悪、精
神薄弱とするのです。私はこういう不健全でいかがわしい宗教組
織の中にいては真実にエホバへの崇拝を実践できないのではないかと感じています。こういうふう
に言うと、私は結論を急いでいると言われるでしょうか。

私はいま、このHPの中のまだ読み残しているコンテンツを読んでいます。昨日は市川北協会のH
Pを読みました。「創造」の書籍に見られるような、文脈から切り離して著者の意図とは違う意味
にしてしまう引用のやり方、ものみの塔協会の解釈を正当化するためなら何でもやるという知性の
かけらもないやり方は、普通の研究記事でも頻繁に使われているようです。私はこのような事実を
何とかもっとメジャーなメディアに載せれないかと思案しています。嘘をついて他の誠実な人々の
人生をゲームの駒のように使い捨てにするというのが私にはこのうえなく怒りを感じるのです。ま
さにあなたの言うとおり、ものみの塔の指導者たちはカルト的な指導者です。最近「カルトとして
の創価学会」という本が出版されましたが、その本のたすきにこんなキャッチ・フレーズがありま
した。「カルトとは宗教の名による独裁である」。現在のものみの塔教会にぴったり当てはまるで
はありませんか。私はこうした事実がすべてのエホバの証人に明らかにされるよう心より願ってい
ます。それは必要なことです。神への崇拝は「理性にもとづいた
」崇拝でなければならず、「正確な知識」に沿っている必要があるのではないでしょうか。

七転八起さんとしては、きっと子供さんに訴えかけるお積もりで投稿されているのかもしれません
。子供さんがちょっと冷静になって、大きな目でまわりを見渡せるように気持ちが動くよう願って
おります。でも赤の他人の私にもとても啓発的でした。また調査されたことを読ませてください。
楽しみにしております。

                                                                        敬具

《編集者より》
シンガーのカルトに関する本、スティープ・ハッサンのマインド・コントロールの本はいずれもエホバの証人を取り上げた本ではありません。あるエホバの証人はその理由でこれらの本は組織に反する本ではないと考え、読んだようです。それらの証人はもちろん、組織が何度も強調してきたように、エホバの証人はカルトではない、と真剣に信じていました。しかし、これらの本を読んでいくにつれ、あなたが上に書かれたように、余りに内容がエホバの証人の世界にぴったり当てはまるのにびっくりして、それから自分の宗教について調査をするようになりました。これらの本は、エホバの証人を対象にしていないという点を強調して、組織に残るエホバの証人の方々に読んでもらったらどうでしょうか。ものみの塔誌でも何度もカルトの問題を取り上げていますので、カルト一般に関する本は「禁書」のうちには入らないはずです。それともう一つ英語圏のエホバの証人に自分の組織について考えさせるきっかけを与えた本に、イギリスの小説家ジョージ・オーウェルの小説「1986年」があります。直接に想定した社会は共産主義、あるいはナチス的独裁体制ですが、その内容が不思議とエホバの証人の社会に当てはまるのには皆驚いたようです。日本語訳はあると思います。