自分を捨てることができない若者より−不活発化したエホバの証人より

(10-5-00)


こんにちは...久々に投稿させていただきました。
このサイトを拝見していて、更新していく度に記載内容が
実体の本質にせまりつつあるように感じています....なかには
感情的な投書や誇張ぎみなものもあるようですが...。
 私もかつてはJWとして伝道していた一人です。一応現在も
籍は残っていますが、JWとしては死んだ存在です。
そもそも現在に至ってしまったことの理由ですが、まず自分自身が
学んだことに(組織)対して100%理解できないことと、信じきれなかった
ことです。研究とは名ばかりで、書籍や出版物の要点をくずさず、ただ
記載されたものを棒読みしただけが注解??なのでしょうか?
研究というからにはもっと本当の意味での"洞察"が必要であり、自分たちの
囲いだけの資料では当然導き出せる答えは、まったく同じもの...(組織運営には
当然なルールとは分かってはいますけど)
それから奉仕って意味の取り違いをしている点です。野外宣教を義務感(命令)
で行っているかぎりサービスにはならないと私の意識にはあります。
兄弟・姉妹とベラベラとおしゃべりに(救いとは別の話題...つまり世的な)、
ノロノロ歩きながらの奉仕?時間稼ぎで、なにが救いとなるのでしょうか?
 つまり一生懸命になれないことを惰性で続けるのは、組織の性質上偽善
そのものであると思いました。自分の目の中にある藁に気付いていながら、
他人をあれこれいう権利は私にはないゆえに.....。
イエスの言われた垂訓の重みをあらためて感じているこの頃です。
会衆のカラーは主宰によって左右され、地方などの成員の動きのないところ
ほど、暗黙のシステムが出来上がる実態です。
結論は人間が運営する組織の結果そのものではないかと思います。もしこれを
ディベートできたとしても、彼らは口を揃えて"不完全・漸進的に"が聴こえて
きそうです。 
私自身若く大切な時期に、惰性で続けてきてしまったゆえに悔やむこと、
その間失ってしまったものが大きいゆえに動揺は隠せませんが、自分が盲信の
ままに組織に献身せずに済んだだけでも幸いです。

《編集者より》
あなたは形式的には組織に籍がありますが、心の中では不活発なエホバの証人として組織から離脱しているようです。このような人は、土地が広く人の行き来が多いアメリカに多く、増え続けているようです。あなたのような人は、排斥処分をうけたり断絶した人々と違って、心に受ける傷が少なく、組織に残る家族友人との交流もある程度続くため、外の社会への適応が容易なようです。あなたもおっしゃるように悔やむことも多くあると思いますが、大部分の人は多かれ少なかれある程度の悔やむことを背負って生きているのですから、余り過去のことを深刻に考えずにこれからの人生を積極的に生きていかれることをお勧めします。特にあなたの良心が咎めないのであれば、無理に断絶をする必要はないと私は思います。


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