「物事をありのままに考えるエホバの証人」に対するお礼

(9-25-00)

この投稿は「物事をありのままに考えるエホバの証人についての質問(6-19-00)」に対するお返事に対するものです。

物事をありのままに考えるエホバの証人についての質問に対するお返事、
           を書いてくださった兄弟へのお礼

タイトルが長くなってすみません。こちらの兄弟に、とても詳細なお返事をいただい
て感謝しております。
お礼とともに、投稿をさせていただこうかと思いました。
======================================
大変詳細なお返事を、ありがとうございました。
兄弟のような方が、実際に会衆にいらっしゃる、ということが、私にとってはとても
新鮮であり、時の流れを感じずにはいられません。

会衆の長老が、ほんとうに忙しく時間を割いてくださり、成員のために労力を惜しみ
なく注いでくださっていることは、私もよくわかっていました。
個人個人がとても人間味のある、いい方達であることも、若い私なりにわかっていた
つもりです。

兄弟の言われるとおり、聖書に従っていれば、私が悩むいろいろなことも問題にはな
らずにすんだかもしれないですね。
聖書自体は、私も従うべきことが多々あると、今でも思っています。
しかし、聖書に従うゆえにエホバの証人の組織にとどまらなければならないとしたら、
やはり、私にはできない、と感じています。
エホバの証人をやめた私を、サタンよばわりする私の母との軋轢は、どうしても組織
を認めることのできない一つの理由です。
私自身は、人間として責められるようなことは何一つしていないつもりですし、人の
ために、人に迷惑をかけないように、というモットーで、生きてきたつもりです。
しかし、エホバの証人をやめた、イコール、不道徳で堕落した生き方をしている、と
考える組織には、納得がいきません。そして、親は子供のためを思って、この宗教を
すすめるのだ、という考え方もです。

とくに、うちの母の場合は自分の娘ですから、そういう考え方が強くなってしまうか
もしれません。
年々かたくなになってしまい、先日は、生きていても死んでいてもどっちでもいいの
で、連絡をよこすな、と言われてしまいました。
ひじょうに、悲しいです。
宗教が同じでないことと、親子の関係は別だと私は思っていますが、母には、そう思
えないようです。私が宗教をやめたことは、親を見捨てたことだと。

私は、もともと性格的にバランスが悪いので、イヤな部分を見ずにそこにとどまり続
けることには抵抗があります。
兄弟のように、もっとオトナになれればよいのかもしれませんが、、、。

これからも、会衆の成員達にとって避難所となるような存在でいてください。
建て前でなく、本音をはなせる会衆を作っていってください。
お忙しいなか、ほんとうにありがとうございました。

《編集者より》
返事を書いてくれた兄弟は「物事をありのままに考えるエホバの証人」その人です。あなたのお母様の「生きていても死んでいてもどっちでもいいので、連絡をよこすな」という言葉は、胸の張り裂けるような親子の断絶を象徴する言葉で、宗教の違いだけで人を差別し迫害するものみの塔宗教の教義が実際の悲劇として一般の家庭にいかに浸透しているかを示していると思います。

あなたの最後の言葉、「建て前でなく、本音をはなせる会衆を作っていってください」は非常に大きな意味を持っています。一昔前、腐敗したカトリック教会が改革を求める一般の信者により改革を余儀なくされた宗教改革のようなことが、今の腐敗したものみの塔の指導部に行われるかどうか、これは大きな疑問でしょう。確かにあなたのおっしゃるような会衆が作られればそれは「民主化」したものみの塔協会であり、そこでは人々が自由に意見を出し合って組織の矛盾を監視して間違いを正していくことになるでしょう。それはあたかも民主国家の国民が政府のやることを監視して誤った方向にそれないように正していくのと同じ事です。しかしそれはものみの塔協会の教える「神権組織」とは程遠いものです。個人個人の思想と信仰の自由を放棄して独裁的神懸かりの組織指導者に全てをまかせる体制をそのままにして、この組織を変えられるものか、それとも、そのような体制を持つ組織そのものが腐敗の原因であるとして勇気を持って組織を出るか、めざめたエホバの証人や物事をありのままに考えるエホバの証人たちの大きな決断がいずれ来ることと思います。