(9-7-00)
たびたびメールする七転八起です。今日は離婚の根拠について意見を述べさせていた だきます。ものみの塔の見解では再婚の許される離婚の根拠は配偶者の姦淫のみで す。それ以外の理由で離婚しても再婚の自由はありません。別居の根拠としては (1)家族を扶養しない(2)極端な暴力(3)崇拝の自由を妨げるの3点を主にあ げています。 イエスがマタイ19:9で述べられた「淫行以外の理由で・ ・・」の背景はものみの塔でも述べられたように、当時妻のささいな手落ちや別の女 性と結婚したいなどの利己的な理由で、夫が妻に離縁証書を与えたという状況に合わ せて述べられたものです。当時の女性は自活する方法が極端に限られていたので、夫 の利己的やり方から保護するためのものです。それを現代にそのまま当てはめてふさ わしいのでしょうか。 現代では、多くの女性は夫の 不貞、暴力、扶養義務不履行や犯罪を犯したなどの理由で離婚して再婚し、人生を再 出発しています。ところがエホバの証人の場合、淫行以外の離婚理由では再婚できな いので、幼い子供を抱えひとり親で奮闘している人も周囲でみられます。この方法が 本当にイエスの意図されたやり方でしょうか。 古代ユダヤ人社会では、ある程度の犯罪は石打の刑に処せられました。夫が亡くなっ たら未亡人は義兄弟結婚などの取り決めによって保護されていました。今はかなりの 犯罪を犯しても死刑になるのはまれです。では、夫が犯罪者で服役しても妻はずっと 再婚の自由はないのですか。一度考えてみるべき問題だと思います。 また、配偶者の姦淫が発覚しても夫婦の性行為を行なえば、すべて許したことになり 以後離婚の根拠にできなくなります。この事もそんなに単純に割り切れる問題でしょ うか。配偶者は反省の態度を一時的に見せるかもしれませんが、再び姦淫の行為はし なくても相手と連絡を取り合っていたり、過去を懐かしむ言動を表すかもしれませ ん。離婚の根拠をなくした配偶者は精神的に傷つけられながら、忍耐していくことに なるかもしれません。 様々な状況で苦しむ人が存在する現代において、人の生活に入り込む宗教の方法は愛 や幸いに結びついているのでしょうか。
《編集者より》
あなたが取り上げた、ものみの塔協会の性生活と結婚離婚に関するルールはそれだけで一つの大きな記事になる複雑なものです。淫行の定義にしても離婚が許される場合のルールにしても、聖書に書いてあることを文字通りに現代の世の中に無理やり当てはめようとするところに無理があるのではないでしょうか。結婚離婚という時代によって異なる社会体制と法律が介入する事柄を、時代の違いを無視してあてはめることは、杓子定規の律法主義となり矛盾を隠すことができなくなると思います。あなたの書かれた「離婚の根拠をなくした配偶者は精神的に傷つけられながら、忍耐していくことになるかもしれない」という事態は現実に起こっています。特に夫が会衆の有力な長老で、被害者がエホバの証人の妻の場合に多いようです。なお、エホバの証人のこの杓子定規の離婚のルールがエホバの証人の家族に悲劇をもたらし、現役のエホバの証人の殺人事件に至った経過は、最近カナダで「羊の中のおおかみ−エホバの証人殺人事件」と題した本として出版されました。近いうちにこのウェブサイトで紹介したいと思っています。