「物事をありのままに考えるエホバの証人についての質問(6-19-00)」に対するお返事

(7-19-00)

「物事をありのままに考えるエホバの証人についての質問(6-19-00)」に対するお返事


6月19日付けで、「物事をありのままに考えるエホバの証人についての質問」をいただきました。私が、
このウエブサイトに投稿するようになって約半年になります。これまで、ここの投稿欄で、「物事をあり
のままに考えるエホバの証人」の内容に触れた方の記述はありましたが、直接のご質問は初めてだと思い
ます。では、ご質問に真摯にお答えいたしたいと思います。


その前に、今回の質問のきっかけとなった私の文章について整理しておきたいと思います。その時のタイ
トルは、「エホバの証人の開拓者制度について」というもので、1月22日付けで投稿したものでした。
以下、内容を整理してみますと、

   1)昨今の経済事情が厳しくなり、開拓者制度の時間的な要求が緩和されたこと 
   2)これまで、エホバの証人の世界の伝道活動において、開拓者の果たした役割が大きかったこと
   3)しかし、同時に、開拓者制度のもたらした弊害もあること 
     @開拓者=特権という意識の芽生え
     Aそして開拓奉仕自体が目的化し、「時間を入れる」ということに汲々とするようになる
   4)こうした問題点を含んだ開拓者制度を廃止したらどうか。そうするなら、エホバの証人の組織
     は規模を縮小することになるかもしれないが、それでも、それは、個々の証人たちの信仰の生
     活にとってはよいことではないか

というものだったと思います。
  

それに対して、6月19日付けで「物事をありのままに考えるエホバの証人についての質問」をいただき
ましたので、以下、順を追って<質問>を引用させていただきながら、<回答>プラス<補足的な説明>
などを加えさせていただければと思います。以下、<質問>の部分は段落を下げて記述します。

      開拓者についての興味深い投稿、読ませていただきました。
      納得する部分が大変多くあり、自分自身と照らし合わせて、全くその通りであること
      に感銘を受けながらも、ショックでした。

      どのエホバの証人も、こうした問題を抱えるのでしょうか?

      長老であられるのであれば、成員のこうした問題に首尾よく対処してゆかなければな
      らないのではありませんか?

まったく、あなたのおっしゃる通りです。私も、こうした場をお借りして、ものみの塔協会に対して考え
ている事柄を述べさせていただいておりますが、こうした考えは、突然降ってわいてきたものではなく、
これまでの長年の私のエホバの証人としての生活に裏打ちされたものであり、さまざまな出来事に遭遇し
た時に感じたことなどを記述したものです。当然、エホバの証人の現在の生活は長老として送っているわ
けですから、集会を主宰したり、野外奉仕を組織したり、問題があれば個々の成員を牧羊訪問したり、そ
うした事柄を日常的にきちんと果たしながら、内容は十分かどうかは自信はありませんが、自分なりに自
分に与えられた責任については、一生懸命果たすよう努力してきたつもりです。

私が、会衆における長老として、自分の果たす役割を考えた時に、いつでも心がけている聖句が一つあり
ます。それは、イザヤ32章1−2節の言葉です。次のようなものです。

   32 見よ,ひとりの王が義のために治める。君である者たちは,まさに公正のために君として支配す
   る。2 そして,各々は必ず風からの隠れ場,雨あらしからの隠れ場所,水のない地方における水の流
   れ,やせた地における重い大岩の陰のようになる。

長老は、会衆という狭いエリアですが、それでも、そこに属する人たちに大きな影響を及ぼす力を与えら
れていますので、その力をいつでも、「公正」に用いなければなりません。そうでないと、関係する人々
に、破壊的な影響力を及ぼしてしまう可能性があります。そして、さまざまな問題に直面し、時には打ち
ひしがれている成員に対して、真の意味で、「風からの隠れ場,雨あらしからの隠れ場所,水のない地方に
おける水の流れ,やせた地における重い大岩の陰」のようにならなければなりません。十分かどうか自信
がありませんが、自分ではそのように努力してきたつもりです。

開拓者の問題についても、制度的な問題、個々の開拓者の抱える問題点などさまざまですが、基本的に、
会衆の長老には、宣べ伝える活動をどのように行なうかに関する選択の余地はあまりありません。基本的
な指示は協会から来て、それを実行するのみです。もちろん、実行にあたって事務的な事柄を取り決める
ことはありますが、会衆独自の方法を採用することはできません。もちろん開拓者制度について、これを
どうすべきかという点などについて意見を言える立場にはありません。できる事柄は、開拓奉仕を効果的
に行なうために、会衆として行なえる事柄を決めることだけです。例えば、

   ●開拓者が十分働ける区域を用意する
   ●開拓者が効果的に働けるように、会衆として宣べ伝える活動の予定を組む
   ●開拓者が喜びをもって働けるように、個々の開拓者の問題点に目ざとくあって、もし問題を抱え
    ているようなら援助する
   ●その他、開拓者の疑問、質問、困っている事柄なら何でも相談に乗る

などのことが行なえると思います。会衆の長老も完璧ではありませんし、自分自身の問題や、自分の仕事、
また、家族の世話やその他の会衆の問題、また、巡回区の仕事やその他付加的な仕事などをこなしながら、
こうした事柄を行なってゆく必要がありますので、一人の長老が行なえる事柄には限界がありますが、そ
れでも、会衆の多くの長老たちは、こうした事柄を誠実に果たすべく努力していると思います。私も、長
老の一人として、そのように努力してきたつもりです。

ですから、「長老であられるのであれば、成員のこうした問題に首尾よく対処してゆかなければならない
のではありませんか?」というあなたのご質問は、まったくもってその通りであり、私自身もそうした責
任を放棄したことは一度もありません。誠実にそうした問題に対処し、長老としての責任をしっかり果た
した上で、自分のこれまで考えてきた事柄などを、会衆の一長老という権限を越えた事柄ではあるかもし
れませんが、こうした場で意見として述べることは、私の個人的な事柄として別問題と考えています。こ
うした意見を述べているので、会衆でもむちゃくちゃなことをやっているということは決してありません。

「そうはいっても、そんな反抗分子が会衆で立派な長老として務められるのだろうか」と疑問を持たれる
かもしれません。でも、私は、これまで、エホバの証人の長老として、ずっとそうしてきました。最初に
述べましたように、今、こうしたウエブサイトで述べている事柄は最近思いついた事柄というよりは、こ
れまで色々と考えてきた事柄を述べているに過ぎません。そうした中で、長老として務めを誠実に果たし
てきたつもりです。

何故、そうしたことが可能になったのか、あなたの質問を契機に考えてみましたが、私がいつも協会の言
葉ではなく、聖書の言葉に頼ってきたからではないかと考えます。協会に意図的に反抗しているわけでは
ありませんが、協会を絶対的な存在とは認めておらず、唯一、聖書だけを頼りにしてきたということだと
思います。幾つかの事例を挙げてみましょう。

  @会衆の成員から、「子供が大学に行きたいと言って聞かなくて困っている」という相談を受けたと
   しましょう。ものみの塔協会の従来の古い指示では、「大学を含む高等教育は不要であり、むしろ
   害が多い」ということで避けるべきものと教えていました。そうした方針のもとにあった時代では、
   多くの長老たちは大学進学=悪と考えて、大学へ行くなどとんでもない、そんなことをしたら、そ
   れこそ信仰の破滅になると考えていました。ですから、上記のような相談を親から受けたら、多く
   の長老たちは、その子供に大学進学をあきらめるように説得したことでしょう。

   私も、幾人もの親や子供自身からも、大学進学について相談を受けたことがあります。その中には、
   本当に、勉強したいという意欲が高く、法律を学んで弁護士になることなどを本気で考えている子
   などもいました。私は、協会の方針をあからさまには否定はしないものの、しかし、そうした進学
   希望を無碍につぶさないように指導してきました。「聖書には高等教育は必要ないなどと述べてい
   る箇所はありません。大学は今の高校よりはずっとましですよ。後悔しないように自分で決めなさ
   い」と言ってあげることにしていました。ほとんどの人が自分の意志で大学進学を決めていました。
   結果的に、そのことによって、信仰から逸れた人もいませんでした。そして、ご承知のように、大
   学進学は今は全く解禁されています。むしろ、人並みの生活をするためには必要なものという認識
   が高まっています。過去の方針について、間違いだったという反省の言葉は一切ありません。

  A別の事例ですが、ある聖書研究生が司会者である私に質問したことがありました。次のような質問
   でした。「終りが来ると言って勧誘しておきながら、もし万が一終りが来なかったら、どうやって
   責任を取ってくれるんですか」というものでした。それに対して、私は次のように答えました。
   「責任は取れません。私は情報を提供しますが、決定はあなたが行なう事柄です。終りは来るかも
   知れませんが、来ないかもしれません。でも、たとえ予想通りに来なかったとしても、それは聖書
   が間違っていることにはなりません。聖書の神が否定されるわけでもありません。単に聖書の解釈
   が間違っているに過ぎないのです。ですからあわてないことです。よく考えて自分の人生を決定し
   てください」。結果的に、その研究生は、エホバの証人にはなりませんでしたが、その後結婚をさ
   れ、奥さんがエホバの証人になり、今でもその人自身はエホバの証人のシンパ的な存在となってい
   ます。

上記のような大学進学への対応の仕方、あるいは研究生の教え方は、ものみの塔協会としては模範的なも
のとして勧めることはできないかもしれませんが、私には、そのようにしか対応できませんでした。聖書
に書かれている事柄を超えることは誰にもできないからです(コリント第一4:6)。

ですから、大切なことは、移り変わる協会の言葉を、そのまま鵜呑みにするのではなく、それが本当に聖
書に根ざしたものかどうかを、自分自身で見極めることです。そうした事柄の範囲内で、長老も賢く行動
することが求められているのだと思います。

      私は、2世として高校を卒業し、すぐから5年間正規開拓者として働きました。
      当時は、母子ともに大会でもインタビューに用いられるなど、模範的な家族で巡回区
      でも有名でした。
      その私が、正規の状態で急にJWをやめたので、母のショックは相当なものだったと思
      います。

      当時は、月に90時間の要求がかせられていました。
      まだ20にもならない私は、開拓者であるという理由で、母とは違う群れに配属され、
      群れの司会者として任命されました。
      そこで私が目にしたものは、非協力的な態度の姉妹達、集合時間になっても集まらな
      い姉妹達、そういう人に限って、8時半には再訪問をしてきたから、と堂々と言うの
      です、、、。
      地図を持ち、一生懸命やっていましたが、人々に宣べ伝える、というより、姉妹達の
      まとめ役としての仕事が多く、だんだん疲れていきました。

いくら開拓者とはいえ、20歳前の若者が群れの司会者として任命されるなどとは正気の沙汰とは思えま
せん。もちろん会衆によって状況は全く異なりますので、軽率には判断できませんが、通常では考えられ
ないことです。私が長老でしたら絶対にそんな重荷を若者に負わせることはしたくありません。もちろん、
その当時の長老も悪気があったわけではなく、何か考えがあったのかもしれませんが、結果的にはひどい
ことをしたものだと思います。百戦錬磨の姉妹たちを相手に、さぞご苦労なさったことでしょう。本当に
あなたのご苦労を思いますと深く同情いたします。

エホバの証人の社会においても、会衆には本当に色々な人たちが集まっています。私も、「個性の強い」
姉妹たちを相手に苦労したことがありました。北海道広島会衆の金沢氏ではありませんが、「○○兄弟に
は悪霊がついているのではないか」などと何度言われたか知れません。

      時間の要求を満たす、ということは、ある面は目標になるかもしれません。
      私にも、そういう時期はありました。
      しかし、組織になると、いろいろな人の目があります。あの人は、どういう働きをし
      ているのかしら、という思惑ばかりが広がっていて、まだ若い私は、そういう圧力に
      押しつぶされてしまいました。

      時間を入れる、ということではなく、本当に自分がエホバのことを信じ、他の人に伝
      えたい、と思ったら、その時間を奉仕として計上すればいいのではないかと思います。
      そして、今なら、それができる自分も感じています。
      他の人と比べてではなく、自分自身の働きによって。
      さんざん言われてきた言葉ですが、今やっと、本当の意味で理解し、実践することが
      できると思います。

繊細な神経の人、そうでない人と、人さまざまですから、時間の要求は、ある人にとっては、かなりのプ
レッシャーになることは想像にかたくありません。私も、長老でも奉仕の僕でもない時期、かけだしの開
拓者だった時ですが、時間の要求がある程度励みになった時期がありましたが、それはほんの一時期だっ
たように記憶しています。その後は、いかに「効率的に時間を入れるか」という技術的な問題がかなりの
ウエイトを占めるようになり、何か割り切れない思いを拭い去ることができませんでした。

一人の開拓者として個人的にはそうであったとしても、会衆の長老として何かできなかったのかというこ
とですが、この件に関しては、かなり難しかったように思っています。会衆の長老としてできる事柄は、
組織の方針を、いかに、会衆で実現するかということにつきるわけで、そのために必要な取決を設け、個
々の開拓者の開拓奉仕を充実させるかということになりますが、つまり、義務的な時間の奉仕ではなく、
実のある楽しい奉仕となるようにいかに心を砕くことができるかという点ですが、これは、それなりに組
織の中の指示の範囲内で一人一人が努力してつかんでゆくしか方法がありません。もちろん、そのための
必要な援助をすることはできますが、実際には、なかなかそこまで本音で打ち明けてくれる人は少ないで
すし、長老たちもそこまで目が届かないというのが実情ではないでしょうか。結局、そうしたことが掴め
ない人は、無理に開拓奉仕を続けずにやめればよいのですが、日本人の気質として、特に1980〜19
90年頃にかけては、「開拓者にあらずばエホバの証人にあらず」という風潮がありましので、かなり難
しかったのかもしれません。こうした点で、一人の長老として、自分が何もできなかったことを本当に残
念に思いますし、無力さを恥じています。

      若い人がエホバにつかえること自体は、私は反対しません。 
      私も、エホバの証人としての教育を受けたことについては、それはよかったと今でも
      思っています。
      ただ、ほんとうに理解して、自分の歩みを見定めてJWとして組織にとどまるには、きっ
      と多くの問題があるだろう、ということです。
      そして、その問題は、多分今の組織では解決されないだろう、ということです。

      終わりの日などについて、私は細かくはわかりません。
      ただ、世を見てからでも、JWに戻るのは間違いではない、と言いたいです。
      きっと、自分のやってきたものが、どういうものなのかが、客観的にわかると思いま
      す。それでもエホバの証人でありたいならば、それはそれでいいと思います。
      組織からすれば、時間がない、ということになるでしょうけど。

私も、こうしたウエブサイトで意見を述べていますが、ものみの塔協会が憎いわけでは決してありません。
むしろ、個人的には、聖書に無知であった私に、聖書に対する啓発の目を開いてくれたものみの塔協会に
は本当に感謝しています。おそらく、私の人生の中で、エホバの証人に出会わなかったら、聖書をこれほ
ど真剣に自分の人生に取り入れるということは、なかったに違いありません。それは、間違いなく、もの
みの塔協会のおかげです。

同時に、この組織の一員として、組織が健全な方向に進むことを願うことは当然です。例えば、統治体の
人事の若返りは、それ自体大変望ましいことだと思いますが、それまでの、油そそがれたものだけが統治
体の成員として奉仕できるという従来の方針と、油そそがれた者が基本的に1935年以降集められてい
ないという原則を調和させることは、絶対不可能ではないにしても、かなり苦しい説明とならざるを得な
いと思っています。ですから、多くの会衆の成員は、若い統治体の成員が任命されたことを、喜びではな
く、驚きをもって迎えたわけです。指導部は、こうした事柄を説明する義務があると思います。それが、
人事権、教理を説明する責任、宣べ伝える業全てを監督する責任などを委ねられている統治体が行なうべ
き義務であると考えるからです。説明を加えずに通り過ぎようという態度は、規則には違反していないか
もしれませんが、大変不親切なことです。こうした点に疑問を抱いたことが、このウエブサイトに投稿す
るきっかけとなりました。

そして、その後、インターネット上で得られる情報は、驚くべきものでした。情報は玉石混合であるため、
取捨選択を間違えないようにしなければなりませんが、少なくとも、

   ●レイモンド・フランズは、統治体におけるものごとの決定プロセスを垣間見させてくれます
   ●北海道広島会衆の事件は、組織防衛の実態を垣間見させてくれます
   ●ものみの塔協会の古い資料は、そのタッキング路線が迷走路線であることを示しています
   ●協会とは最も遠い存在であると思っていたワイロやゴマカシやウソが協会内にみられることは確
    かなようです

こうした事柄は、物事をある特定の断面から捉えたものですので、必ずしも真実そのままではない可能性
がありますが、それでも、一断面としての見方を伝えていることは確かでしょう。レイモンド・フランズ
が、ありもしない事柄を次から次とでっち上げているということは、想像しにくいことですし、北海道広
島会衆の事件も、文書がある程度の証拠となっています。ただし、ものの見方というものは常に一面的に
なる傾向がありますので、これはこれとして、もう一方の意見を聞くことも大切だと思います。それが可
能であるならばの話ですが。


さて、ずいぶん長い返事になってしまって、大変申し訳ありません。私の心情を少しなりとも理解してい
ただけたでしょうか。私は、今でも、ものみの塔協会が「聖書を研究し宣べ伝える」組織として発展して
欲しいと願っています。私自身も、これまで長老としてイザヤ32章1−2節に基づいて、精一杯努力し
てきたつもりです。そして、これからも、私自身は聖書に従い続けてゆきたいと考えています。そして、
願わくば、それが、ものみの塔協会の中にとどまりつつ行なえることを願っています。

最後になりますが、あなたのこれからの人生が実り豊かなものとなりますように。


2000年7月19日
「物事をありのままに考えるエホバの証人」より

《編集者より》
詳しいお返事を頂きありがとうございました。うっかりして直接返事をお願いしていなかったのですが、早速お返事を頂けた事を感謝いたします。