脱会された方への癒しの一助に

(6-16-00)

はじめまして。このホームページ自体はかなり以前に拝見しておりましたが、はじめ
てメールさせて頂きます。
私は両親の猛反対にもかかわらず中学3年のときに研究生となり、高校2,3年のと
きには伝道者にまでなりました。当時はバプテスマを熱望していましたが、長老たち
の判断により見送りとなり、結局大学1年のときに集会に行かなくなり自然脱会とな
りました。

脱会してからというもの、宗教以外のその他諸々のことに関しても、自問自答を繰り
返し、自己分析を繰り返すことにより、何とか自己救済をはかってきました。思え
ば、私は自らの置かれた環境が嫌でたまらず、極端な理想に救いを求めようとしてい
たことが少しずつ見えてきました。

このような経歴および家庭の事情等もあり、大学卒業後も思うような就職ができず、
放浪や遍歴を繰り返してきましたが、今は小さな会社で働いております。

中には、エホバの証人に対していたずらに攻撃的な投書もみられますが、私が思うに
は、自分自身の内面に何らかの問題を抱えつつも、とても純粋な人が多いです。
確かに多くの投書のように、神の名を語りつつも実際には一般の人よりも低俗なこと
を考えている偽善的な人も多くいることも知っていますし、私自身そのような人に失
望して脱会することになりました。

しかしながら、自分を責めても、他人を責めても、何も生まれません。反省・自戒は
当然必要ですが、いつまでも過去にこだわっていてもしょうがないです。

エホバの証人が禁じている、人文科学系の書物も、脱会後自己救済のために読みあさ
りました。結論としては、自分を受け入れなければ、他人も、自分の周囲も、また広
く社会全体も受け入れることはできないということに気づきました。キリストは「自
分を愛するように隣人を愛しなさい」と言われましたが、まず自分を愛することが出
発点なのですね。

とはいえ、口で言うほどこれは簡単なことではないです。世間一般の人だけでなく、
エホバの証人をも含めて、自分を受け入れられずに他人や社会を攻撃することにばか
り奔走している人のなんと多いことでしょうか。もしくは、攻撃の対象を自分自身に
向ける人も同様です。

考えてみれば、他の新興宗教と同様、やたらと外部の社会を批判し、自らを絶対視す
るあのような教義も、自分を受け入れられない人を釣り上げるのには格好の材料とい
うことでしょう。宗教に入らずとも、同様のことを個人レベルで行っている人は本当
にゴマンといますし、またそのような弱さを全く持ち合わせない人というのはほとん
ど例外的に幸運か特別人格的に成熟しているような人だと思います。

かく言う私も、時折たまらない自己嫌悪にかられますが、問題の所在がほんの少しず
つでも見えてきた現在では、以前よりはマシになっているような気がします。

世間的にも、エホバの証人の基準からも、落ちこぼれとなってしまいましたが、今後
は出来うる範囲で自分なりに納得のいく人生を送ろうと思います。

脱会された方は、きっと私のように平坦ではない道を歩まれておられることと思いま
すが、私の投書もそのような方への癒しの一助にでもなれば幸いです。

《編集者より》
あなたの元エホバの証人としての、後に続く人々への忠告は深い視点から自分の体験に基づいた建設的なものであり、今後困難な人生を送らなければならないかもしれない元エホバの証人、脱会を考えている証人の人々への大きな助けになるようでしょう。ありがとうございました。