二世の現役の証人として思ってること

(5-23-00)

  はじめまして。二世の現役の証人です。思ってることを書きたいと思います。

  まず最初にこのページを見て、本当にみんなよく勉強してるなと思います。しかし 
そこに問題があると思います。自分が協会のあやまちを正そうと感じているところで 
す。ぼくはあまり研究しているわけでも研究していないわけでもありませんが、疑問 
をすぐに解決しようと思うなら、自分の理解に頼ってしまう傾向があると思います。 
協会の考えが間違ってる可能性があるなら、自分の考えだって間違っている可能性が 
あるわけです。つまり、結局その時点で神の考えがあとまわしにされて組織を中傷す 
るだけに至るとおもいます。ぼくは深く学ぶことが悪いとは言いません。しかし知識 
というのは時に人を分派に導くと思います。ほどほどの研究にして、たまにはすかっ 
とカラオケでうたってみたらどうですか?

  次に二世のあり方について述べたいと思います。二世の典型的な特徴は「自分」が 
ないことです。これは一般の子供たちにも見られますが、僕はその点が嫌です。何を 
するにも中途半端で決定を自分で下せません。で他人が決定すると、それに対してけ 
ちをつけるのです。進路の問題にしろ、趣味の問題にしろ、自分で物事を考え決定を 
下せるようになってほしいです。その点は一昔の二世の離れた方々の経験を読むと思 
えます。私は縛られて青春がなかったとか述べていますが、離れるにしろつき従うに 
しろ、その時点でその人たちに決定を下すことができなかったという人間的な弱さが 
あったんだと思います。これは宗教のマインドコントロールとかいう以前の問題だと 
思います。僕が言いたいのは子供たちも一度自分がなぜこの宗教組織にいるのかを良 
く考え、はっきりとした答を求める必要があると思います。その答が離れると決めた 
ならそうすればよいし、やると決めたなら一生懸命すべきです。悩んでる子を見ると 
本当にかわいそうです。人間としてかわいそうです。そしてなぜここまで親がうるさ 
く言ってくるのかをいちど考える必要があると思います。しかし親が余りにも恐ろし 
かったのでそんなこと考えることも許されなかったと思う人がいるかもしれません。 
そんなときには「私は自分で考えて自分で決定を下したい。私の人権を親であっても 
尊重すべきである」と言ってみてほしいです。

   3つめに組織内のさまざまな嫌なことなどについて。
皆さんは組織にこだわりすぎだと思います。個々の良心の決定に関する問題を暗黙の 
組織のおしつけ、規則と考えている節があります。人間をみすぎです。あくまでエホ 
バの証人の生き方は神との関係のほうが組織との関係より重要だと思います。人間を 
裁いているかぎりいつまでたっても不満や疑問は後がたたないとおもいます。僕は証 
人をやめる人達の原因のひとつは誇りだと思っています。誇りはいつも人間関係にこ 
だわります。頭のいい兄弟たちはその点が問題だと思っています。仕える人間である 
ことを忘れています。多くの人達は誇りを動機として進歩していると思います。動機 
が神への愛でない以上、つまづいてしまうのは当然だと思います。「つまづく」とい 
うことについて一言。日本人ほどつまづくことを気にする人種はいないと思います。 
つまづいてもまた起き上がればそれですむことだとおもいます。いつもつまづくとか 
そんなことばかり気にしてるようじゃケツの穴が小さい(失礼!)と思います。

    考えが調整されていくことに対して。
聖書にはっきりと、「あなたがたはまだ分からないことがいっぱいあります」とか「 
真理の光がますます明るくされていく」と書いてあります。ぼくは素直に調整されて 
も「あ、そっか」と言えます。たとえそれが間違いであっても、神はかならず調整さ 
れると信じているからです。自分が信じていることが変わったからといって、なぜ協 
会を批判する必要があるのでしょうか。自己中心的だと思います。自分の都合の良い 
ように解釈したいからではありませんか?

    家族生活に対する問題
証人が家族にいると家庭が壊れるとよく言いますが。これは事実であり事実ではあり 
ません。問題は証人がいるということではなく、家族、親として夫婦としての役割が 
きちんとなされていないところに複雑な宗教事情がまじりあうことにあると思います 
。家族として機能しないのはそもそもの理由がアダルトチルドレンだからだと思いま 
す。これは一般社会で数多く見られ、エホバの証人であっても例外ではありません。 
(ぜひその関係の本を読んでみて下さい。)いずれにしろ証人は家族を壊したくありま 
せん。むしろいっぱいいっぱい努力してると思います。


   最後に
僕はこの組織をやめたい人はきちんと正式にやめるべきだと思います。やめたいけど 
やめれないという人たちのように優柔不断な態度はいけないと思います。結局そうい 
う一個人としての力、自尊心などがないのでやめることも続けることもできないのだ 
と思います。そういうものを組織のせいにしたりするのは筋が通ってないと思います 
。組織は関係ありません。僕たち自身が考え、決めることです。ですから組織に不満 
がある人は分派でも何でも作ればよいじゃないですか。同じ組織内で一致できないの 
はあまり良いことと思いません。以上、僕の考えを要約するなら、個人で考えるべき 
ことを棚に上げて、組織の問題にしてしまっているといったとこでしょうか。

エホバの証人だって悪い人も最悪な人もいっぱいいます。でも僕はその人たちに救わ 
れるわけでも何でもありません。神との関係を重視したいと思うからです。

どう思われますか? 自分で考えて決めたのなら何の問題もないでしょ?それでもまだ 
情報をとりいれるひつようがあるのでしょうか。結局人間は自分が決断したことが真 
理なんですから、そういった人達を救助する必要は本当にあるのでしょうか?


わけのわからぬ文章ですみませんでした。

さらに最後にエホバの証人の若者に。
もうちょっと社会勉強をすべき!マナーとか一般的な常識をもっと身につけましょう 
。いいかげんにエホバの証人するのが一番人生で損な生き方ですよ!それと学校の勉 
強を手を抜かないようにするべきやと思います。


おわり。

《編集者より》
現役のしかも組織にとどまる立場を明確に論じた投書として興味深く読みました。私もあなたの投書を読んで思ったことを幾つか述べてみます。

ぼくはあまり研究しているわけでも研究していないわけでもありませんが、疑問 
をすぐに解決しようと思うなら、自分の理解に頼ってしまう傾向があると思います。 
協会の考えが間違ってる可能性があるなら、自分の考えだって間違っている可能性が 
あるわけです。
自分の考えが間違っている可能性があるから自分の理解に頼るべきでないというのであれば、あなたは協会の考えも間違っている可能性があるから協会の理解に頼るべきではないのではありませんか。現実にはあなたは毎週ものみの塔誌を通じて一生懸命協会の理解に頼ろうとしているではありませんか。同じように間違う可能性があるのなら、(そして私は協会も個人も全て人間共通の間違いを持っていると思いますが)どうして自分の理解に頼ることだけがいけなくて、協会の理解に頼ることはいけなくないのでしょうか。こう言うとあなたは「エホバの理解に頼れ」と言うかもしれませんね。しかしそれではあなたが毎週一生懸命に頼っている協会の理解がどうして「エホバの理解」であると直ぐに結論できるのでしょうか。そうして協会の理解と関係なく、個人が聖書を読み祈って理解したことがどうして「エホバの理解でない」と結論できるのでしょうか。

聖書にはっきりと、「あなたがたはまだ分からないことがいっぱいあります」とか「 
真理の光がますます明るくされていく」と書いてあります。ぼくは素直に調整されて 
も「あ、そっか」と言えます。たとえそれが間違いであっても、神はかならず調整さ 
れると信じているからです。自分が信じていることが変わったからといって、なぜ協 
会を批判する必要があるのでしょうか。自己中心的だと思います。自分の都合の良い 
ように解釈したいからではありませんか?
私も神の真理の全貌はわからないことが沢山あると思いますし、それが時に応じて人々に現されることもあると信じます。それだからこそ、今の理解は絶対に正しいわけではないのではありませんか。あなたもご存知のように、現在エホバの証人が信じていることの中には、その昔背教者の教えとして退けられたことが幾つもあり、逆に昔エホバの証人が「真理」として信じていたことが、今は誤りであると教えられていることがあります。たとえば昔はエホバの証人は心臓や腎臓の移植を「人食い」として禁じました。その当時、「聖書にははっきりと臓器移植を禁止している箇所はないから、私は聖書に基づいた良心によって臓器移植を受ける」と言ったエホバの証人は排斥されました。あなたがおっしゃるように協会の理解も間違っている可能性があり、将来調整されて反対意見が「真理」となる可能性があるのであれば、どうしてそのような反対意見を述べるものを排斥し、黙らせる必要があるのでしょう。実際、現在の協会の臓器移植に関する理解はまさしくこの排斥された人の理解そのものになっているのです。同様に現在あなたがエホバの証人として「真理」として信じていることが将来廃止されて、現在反対者達の言っていることが「真理」とされる可能性は歴史的に見てあることはあなたも認めますね。そうであれば、どうして現在協会の理解に反対する意見を会衆の中で封じる必要があるのでしょうか。それは協会が本当に大事にしているのは「真理」そのものではなく、早い話が何でもいい、協会がその時に教えたことだけが「真理」であり、それ以外は将来間違っているとわかったとしても、全て真理ではないという、それこそ「組織中心的」な態度があるからではないでしょうか。あなたが協会のくるくる変わる「真理」を批判する人々を「自己中心的だと思います」と言うなら、「真理」そのものの内容より現在の協会の教えに服従することが第一とされる「組織中心的」な態度を先ず問題にすべきではありませんか。

僕はこの組織をやめたい人はきちんと正式にやめるべきだと思います。やめたいけど 
やめれないという人たちのように優柔不断な態度はいけないと思います。結局そうい 
う一個人としての力、自尊心などがないのでやめることも続けることもできないのだ 
と思います。
この議論は協会を擁護する立場の人がよく使う議論ですが、このサイトの投書でも、私が受け取った無数の投書でも、やめられない理由は一貫して自尊心や優柔不断な態度にあるのではなく、脱退者に対する不当な処罰と差別があるからです。このことはあなたもご存知のはずですが、どうも意図的に無視しているようですね。なぜきちんと正式にやめた人たちを「エホバに背いた」「背教者」と同じように扱って家族や友人から断絶させられなければいけないのですか。たとえ家族や友人がある程度の関係を維持してくれたにしても、「エホバに背いた」という差別と偏見の烙印は一生つきまといます。これも他の方々の投書にある通りです。自分達がそのような見せしめのリンチに近い扱いを元証人にしておきながら、自尊心の問題にするのは私は全くのお門違いと思います。

他にもまだ思ったことはいくつかありますが、今回はこれだけにしておきます。