「輸血拒否裁判の判決に関して」に対する意見−元研究生より

(5-23-00)

 エホバの証人は事実曲げて解釈する人たちです。
輸血に関する高等裁判所の判決について会衆宛てに手紙が送られ、「目ざめよ誌」にも掲載さ
れたことと記憶しますが、「勝訴であった」という主旨のものでした。
 私は、決して勝訴だとは思いません。なぜなら、その判決は50万円出せば、輸血してもよ
いからです。判決は、輸血をしたことが悪いのではなく、輸血をすると言った旨を患者に伝え
ていなかったことにある(インフォームドコンセンスの不足)をあげています。しかし、もの
みの塔は勝訴であると言っているのです。
 私は輸血拒否はは、聖書に基づいていないと思います。ものみの塔が禁じている輸血方法と
して、自己輸血があります。この聖書的根拠はレビ記のモーセの律法です(血を地面に注ぐと
言う律法の拡大解釈)。新約聖書によれば、モーセの律法は廃されているため、聖書的根拠を
レビ記に求めることはできないはずです。そこで、精神をくみ取ると言った方法でモーセに律
法を適用しているのです。これには矛盾があります。なぜなら、その他のモーセの律法の題意
部分は無視しているからです。例えば、食べていけないもの(ブタ肉、鯖、マグロ等)がモー
セの律法に規定されていますが、これらは、全く無視されています。
 結局、輸血に関しては思いつきで取り決めたに過ぎないように感じます。

《編集者より》
これは「輸血拒否裁判の判決に関して」に対する意見です。勝訴か敗訴かは法律用語の定義の問題で、金額の問題ではないと思います。ものみの塔側も輸血をした手続き上の不備を問題にして訴えており、判決もそれを認めているのですから、これはものみの塔側の勝訴としか言いようがありません。そのことと、輸血禁止が聖書から見て妥当かどうかとは全く別問題であると私は思います。あなたの指摘する聖書根拠の問題点はそのとおりであると思います。