「エホバの証人と共に」−特別一日大会−

(5-7-00)

「エホバの証人と共に」- 特別一日大会 -

私はエホバの証人を妻子に持つ者です。家族と共に有意義な人生を歩むため、
幾つかの試みを開始しました。他の同様な状況の方々のご参考までに私の行
動記録をお送りします。

ここでは、「エホバの証人の特別一日大会」に参加した後に記したメモをご紹
介します。この内容は、当大会の講演者の一人である巡回監督、および家族が
所属する主宰監督、家族全員に提示したものです。

**************** <特別一日大会参加後のメモ:先頭> ****************
「エホバの証人の特別一日大会」雑感

1)参加目的
  2000年2月27日、海老名ベテルで開催された「エホバの証人の特別一日大会」
に家族全員で参加した。私がこの大会に参加しようと思った動機は、多くのエ
ホバの証人の言動を見ることにより、エホバの証人に関する偏らない知識を得
る為であった。エホバの証人の誰一人をとっても、その宗教の代表でもなけれ
ば、組織の代表でもないと私は理解している。よって、私の妻や子供から得ら
れる情報が必ずしもエホバの証人についての正しい認識とは限らないからであ
る。この集会の参加者は約1,900名。日本の伝道者数の1/00にも満たないので、
依然としてごく一部に過ぎない。しかし、組織集団の態様を見るには良い機会
であろう。

  但し、あくまでも宗教組織の集会であるから、非信者の私が参加して有用な
ものか否かを事前に知りたいと思った。1)目的は何か、2)対象は誰か(信者のみ
か否か)、3)何を行うのか を知ろうとしたが、プログラムは事前配布されない。
信者である妻から、2)と 3)の一部を事前に知ることができたが、1)については
曖昧なまま参加した。

2)大会プログラム
  大会は 10:00amから始まり、4:00pmに終了(昼食休憩75分含む)した。午前中
に4講演(体験発表含)と、バプテスマ希望者の誓約、午後から「ものみの塔」
要約説明と4講演で終了する。程よい部分に起立して歌を歌わせ、単調性を排
除している。講演時間は、6件が 15分〜30分程度、最後の1件が60分。時間の使
い方は見事である。無駄がない。各講演の予定時間との誤差は高々1分以下であ
った。私自身、某スピーチクラブで訓練したことがあり、15分のスピーチを1分
以内の誤差にすることの難しさを良く知っているつもりである。この日の為に
練習したというよりも、日頃の訓練の成果と捕らえるほうが妥当と思える。

3)興味ある話題への意見
3.1)インターネットに没頭することへの警告
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インターネットの使用に膨大な時間を費やす人々への警告。この件に関しては
既に雑誌等で再三その不具合が警告(AW Jul.22 '97, AW Jan.8 '98, AW Jan.22
 '00, Km-J 11/99)されており、私はその論旨を理解しているつもりである。し
かし、その弊害のみを喧伝し過ぎていると感じている。確かに、没頭すること
による弊害はある。営利目的の有害な情報を得る危険性もある。しかし、その
情報伝搬速度と範囲を考慮すれば、ものみの塔聖書冊子協会(以下協会と略す)
こそ、これを利用して有益な情報を積極的に発信すべきではないか。

現在、協会には2つの公式サイトがある。しかし、情報の相互交信(発信,受信)
に関する仕組みがなく、頑に唯一の伝達組織を通じた宣教活動に固執している。
私の様に、非信者ながらも神の意志に関して偏らない理解を得たいと願う者に
取って、個人が運営する非営利サイトの方が格段に有用と感じている。

下記の聖句では、「書く」ことの弊害を述べている。つまり、伝道の為に個人
が書くことには限界があると解釈できる。しかし、「読む」ことについては否
定していない。例えば、「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌をWebに掲載し、
一般の希望者に公開してはどうか。

*** 伝道(12:12)からの引用 ***
   「これら以外のことについては,わが子よ,[次の]警告を受け入れよ。多く
の書物を作ることには終わりがなく,[それに]余りに専念すると体が疲れる。」

3.2)バプテスマ
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バプテスマに関して、キリスト教会の方法と、エホバの証人の方法との違いに
ついて説明があった。キリスト教会では、幼児に水を注ぐそうだ。これについ
て、エホバの証人の考えは、先ず、1)幼児では神の意思を確認できないこと、
2)本来、この言葉が浸すという意味であることから、全身を浸すのが正当であ
ることを指摘した。私は 1)に強い関心がある。

この日、11名(男:4名、女:7名)がバプテスマを希望。壇上人は次の質問をした。
 a)神に献身するか
 b)神の唯一の組織の一員としてエホバの証人となることを理解しているか
11名はこれらを肯定した。

私は 特に b)の部分に空恐ろしい気持ちを感じた。組織員となることは組織の
決め事に服従することを意味し、その決め事が環境変化に伴ってどの様に変化
しても無条件に従うことを宣誓しているのである。学校には校則があり、これ
に違反すれば、最悪退学処分になる。同様に、この組織の教理に違反した場合
には、背教者として極めて大きな精神的負担を負うことが容易に想像できる。
人生の落伍者かのような精神的落胆を伴うものかも知れない。組織の目的が神
への信仰であるだけに、この宣誓は危険に満ちている。

勿論、本人が充分に考察し、自分の力ですべてを判断して責任ある宣誓を行う
のは個人の自由である。しかし、少なくとも独立して人生を歩めることが必須
条件ではないか。自分自身で生計を立てられない子供や学生が、その人生に責
任を持って判断できるとは思えない。この点に於いて、幼児へのバプテスマが
不当で、子供へのバプテスマが正当であるとは考えられない。

3.3)男女交際
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ある女性の体験談が紹介された。高校時代にクラスの男子生徒から交際を求め
られ、それを断ったことについての意見を述べていた。当人の判断は、デート
等の交際を断ったものの、電話での付き合いを認めようとした。しかし、その
母親は電話での付き合いでも心を動かされる可能性があり、薦められないとの
こと。結果的に、下記の聖句を引用しながら、クリスチャン同志の結婚のみが
正当であり、将来の結婚まで考慮すれば、交際しなかったことが良かったと結
論付けていた。

*** コリ1(7:39)からの引用 ***
   「妻は夫が生きている間はずっとつながれています。しかし,もし夫が[死
の]眠りにつくことがあれば,彼女は自分の望む者と自由に結婚できます。ただ
し主にある[者と]だけです。」

聖句は多くの場合、物語の一部である。その状況を前提として引用してこそ価
値があろう。この聖句は妻が死別した夫以外の男と再婚する条件を述べている
に過ぎないものであって、最後の文が、上記の例までの一般性を示していると
は到底考えられない。寧ろ、上述の<結婚と宗教>で述べた次の聖句が妥当では
ないか。

*** コリ2(6:14)からの引用 ***
   「不釣り合いにも不信者とくびきを共にしてはなりません。義と不法に何
の交友があるでしょうか。また,光が闇と何を分け合うのでしょうか。」

日本では、エホバの証人の伝道者数は、全人口の0.2%にも満たない。子供
と既婚者を除外しても、この限られた対象のみを前提に結婚相手を選択しよう
と考えることが正当な判断なのか。甚だ疑問である。私がもしエホバの証人な
ら、証人のみならず一般人をも配偶者の対象と考え、選んだ相手が偶然にも証
人でない場合には、愛すべき相手に真剣に布教することで相手の宗教を同化し、
結婚することを希望するであろう。判断力とはこのように使うものではないの
か。

□本大会で私がしたこと
 - 講演者に対する拍手

□本大会で私がしなかったこと。
 - 歌を歌うこと(これらの歌詞はすべて信仰を持つ者の言葉である)
 - バプテスマを受ける人々を祝福すること(賛同できない)
 - 祈ること(私はこの宗教の信者ではない)
 - 統治体に感謝すること(理解できない)
 - 寄付(自発的に希望しない)

-以上-
**************** <特別一日大会参加後のメモ:末尾> ****************

私の意見を聞いた巡回監督は、上記を"立派な個人研究"として褒めてくれまし
た。しかしながら、当人の講演話題に盛り込まれていた 3.1)に関する意見は
全く得られなかったことは残念でした。

3.2)b)に関しては、バプテスマの前に長老が対象者にインタビューすることに
より、適性をチェックしているとの由。私が期待することは、個人の"判断力
と責任"に関する正当な検証です。統治体の文章を論理的に(正当な批判しつつ)
読み解き、社会的な責任感を備えた行動が出来るか否かを、どの様に確かめて
いるのかを知りたかったのですが、伝わらなかったようです。また、洗礼時の
一的判断のみを問題視しているのではなく、離脱の困難さをも言及したつもり
でしたが、後者に関して私が確実な事例を提示出来ないのでこれ以上のコメン
トを求めることを諦めました。

3.3)に関しては、あくまでも、ある母娘の1事例として紹介されたものであり、
個人の判断に依存すると考えられている様です。オフィシャルに演壇に立てな
い女性のための"発表練習"の場なのかも知れません。
−以上−

《編集者より》
エホバの証人のバプテスマの誓いは、あなたが書かれたように二つの項目から成り立っています。
a)神に献身するか
b)神の唯一の組織の一員としてエホバの証人となることを理解しているか
このバプテスマの誓いは、当然ながらエホバの証人の宗教に入信することの意味を本質的に表しています。もちろんa)に関しては、キリスト教徒になろうとする人々一般にとって問題はないはずです。しかし問題はこの誓いとb)の「組織への誓い」とが抱き合わせになっていることです。b)はクリスチャンのバプテスマではありません。聖書にクリスチャンがこんな誓いをすることはどこにも書いてありません。これはクリスチャンのバプテスマではなく、組織に入会するための誓いです。しかしものみの塔協会はこの二項目をクリスチャンのバプテスマの誓いとしてバプテスマを受ける信者に要求します。ここに組織への忠誠と神への献身とが二重写しになり、信者の心の中で巧みに渾然一体となるように仕組まれています。この誓いはまた、ものみの塔協会の法的責任の免責条項としての意味があります。すなわち信者や元信者が「私は神への献身のためにバプテスマを受けたのであって、組織への忠誠を誓ったのではないから、組織に反対意見を述べることで排斥されるのは不当である」と訴えたとしても、この誓約を見せれば「あなたはこの組織が神の組織と信じて入信したではないか」抗弁できることになります。