「エホバの証人と共に」−くびき−エホバの証人を妻子に持つ方より

(5-7-00)

「エホバの証人と共に」- くびき -

私はエホバの証人を妻子に持つ者です。家族と共に有意義な人生を歩むため、
幾つかの試みを開始しました。他の同様な状況の方々のご参考までに私の行
動記録をお送りします。

ここでは、エホバの証人の巡回監督、主宰監督を当家に迎え、家族全員参加
のもと、私の考えを述べた際のメモをお送りします。その巡回監督は米国人
で、残念ながら日本語が不得意らしく、私の問い掛けに対して適応した意見
を述べることはなかったのです。後日、同席していた主宰監督と数回会談し、
文末の意見を得ることができました。

**************** <巡回監督殿との対談メモ:先頭> ****************
1.<はじめに>
  この部分は自己(夫婦)紹介で、投稿者の個人的背景である為、省略させてい
ただきます。全体の論旨に影響するものではありません(投稿者)。

2.<結婚と宗教>
2.1)我々が結婚したのは****年でした。私は結婚の前提として、宗教の一致を
条件にしていました。その理由は、下記の考えに同意できるからです。

*** 「洞察」からの引用 ***
 「結婚は夫と妻を結び合わせるので,軛(くびき)に似ています。(マタ 19:6)
したがって,クリスチャンが不信者と結婚するなら,『不釣り合いなくびきを共
にする』ことになり(コリ二 6:14),考えや行動を一致させることは非常に困
難になります。」

2.2)当時、私も妻も、個人としての主体的な信仰を持っておらず、それぞれの
家の宗教様式に従う程度でした。つまり、基本的には仏教であり、儀式につい
ては慣習に従うことで何ら問題は無かったのです。しかし、妻は結婚後にエホ
バの証人として自分の宗教を選択しました。本人の立場からすれば、真のくび
きを知ったと主張することでしょう。その真偽はさておき、現在、我々が『不
釣り合いなくびきを共にしている』ことは事実です。

2.3)つまり、我々夫婦はエホバの証人が希望しない結婚の形態にあります。私
はこの状態を"家庭崩壊"と称し、ここ数年間、妻の活動を否定し、非難を続け
てきました。しかし、この私の行為から家族が得たものは何もありません。本
質的な解決を図るには、私がエホバの証人を遠ざけるのではなく、寧ろ理解し
ようと努力する必要があることを知りました。聖書を調べることが最も重要で
あると感じています。それは一挙両得です。つまり、妻の宗教の一端を理解で
きるのと同時に、家族や周囲の人々にとっても有益であろうと思うからです。

2.4)しかし、現在、エホバの証人の聖書、教理、組織、教育、寄付等に関して、
私は多くの疑問を持っています。つまり、私にとって、それらを明確化するこ
とが、エホバの証人の理解への第一歩であろうと思います。何故なら、エホバ
の証人の活動の根拠は新世界訳聖書と組織(統治体)の命令によるものですから。

3.<ものみの塔聖書冊子協会(以下協会と略す)>
3.1)私はこれ迄に、海老名ベテルに質問の手紙を書きました。それは、協会に
関する第一の疑問として、寄付について知りたかったからです。結果的には、
協会は私が期待していた回答を返さず、私に対して、私の家族が属している会
衆の長老に再度尋ねるように指示を与えてきました。

3.2)私の上記の手紙には2つの目的がありました。一つは まさに質問の回答を
得ることですが、他の一つは、協会が一般人に対して、どの様な情報を、どの
様に与えてくれるのかを知りたかったのです。協会からの回答は、高々数行の
文章で、既に発行された協会の印刷物を参照していました。既発行の印刷物を
参照すること自体は意義あることと理解しています。しかし、更なる私の質問
に対する協会からの回答文面に誠意を感じられなかったことは残念です。つま
り、一般人が、協会に対して個人的な持ちかけをすべきではないと感じました。

3.3)エホバの証人にとって、神の組織とは、布教教育を統制する目的で使用す
るものであり、仮にその末端信者の家族がその宗教を選択したが故に"家庭崩壊"
の渦中にあっても、協会は救済責任を負わないのでしょうか。或いは、個人的
な活動はすべて会衆の責任で行うものであって、その会衆の長老団が責任を負
うべきなのでしょうか。それとも、そもそもエホバの証人とは、聖書の原則に
基づき、日頃の宗教活動で培った判断力を以て、すべて自分の責任で行動すべ
きなので、宗教に起因する"家庭崩壊"も個人責任なのでしょうか。

4.<会衆>
4.1)私はかつて、1度だけ会衆の日曜集会に参加したことがあります。その時の
強烈な印象は、「ものみの塔」誌の注解の場面です。司会者は自明と思えるよ
うな質問を会場の参加者に投げかけ、子供達がそれに応答する。これによって、
判断力の育成が出来るとは到底思えず、洗脳教育の現場を直視したかのように
感じました。当時、私はエホバの証人を真っ向から批判する立場でしたから、
これは私の偏見のなせる業かも知れません。そこで、「エホバの証人の特別一
日大会」に興味を持ちました。近隣の複数の会衆からエホバの証人や研究生が
集まる集会とのことを知り、参加することにしました。次にその参加後のメモ
を添付します。

*** <特別一日大会参加後のメモ参照> ***

5.<おわりに>
5.1)毎年、「ものみの塔」誌の1月1日号にはエホバの証人の統計情報が掲載さ
れています。この情報から世界の平均伝道者数の傾向を見ると、過去10年間単
調に増加していますが、最近の5年間では、その増加率が減少しています。多く
の先進国では伝道者数の成長が停止し、寄付の額もそれと共に低迷するでしょ
うか。これに反して発展途上国や経済状態が悪い国での伝道者数が増加し、そ
れらの国々での費用や派遣費用が一層多く必要かも知れません。エホバの証人
の運営資金がすべて、自発的な寄付によって支えられていることから、組織と
その成員にとって、これは重要な課題であると思えます。

5.2)一方、日本に於ける平均伝道者数は過去10年間、緩やかに増加してきまし
たが、92年度をピークにその増加率が急激に減少の一途を辿っています。99年
度には初めて実数が減少しました。従来通りの宣教方法では、2000年度以降に
さらに減少するかもしれません。最近、王国宣教にて非公式な証言(学校や職場
での時間を利用)を奨励しているようですが、減少の原因を正確に把握し、本質
的な解決を図るべきではないでしょうか。インターネットの不良情報氾濫を原
因とするには早計と考えます。エホバの証人が、聖書によって培われた高い判
断力を有するなら、不義な情報を容易に見抜けるはずです。これで信仰が揺る
ぐなら偽物でしょう。統治体を頂点とするトップダウン教育方式は、エホバの
証人の聖書研究(理想)ではなく、冊子学習を実践(現実)させているように思え
てなりません。

5.3)現在、エホバの証人の日本国内伝道者数は22万人余りです。これらの人々
が属する家族の総数はどれ程でしょうか。さらに、その中で、『不釣り合いな
くびきを共にする』夫婦がどの程度占めているのでしょう。それらの夫婦は苦
しんでいます。さらに、その子供達も心豊かな家庭教育を得られない場合が多
いかも知れません。一日大会に参加して、エホバの証人が他人への宣教活動に
大変熱心であることは理解しましたが、その本人の家庭の中の『不釣り合いな
くびき』に対する真摯な取り組みが欠落しているように感じています。
-以上-
**************** <巡回監督殿との対談メモ:末尾> ****************

後日、主宰監督から以下の意見を聴きました。
2.4) 「"命令"という言葉は相応しくない。」とのこと。
     これは私の先入観かも知れません。しかし、集会現場に於ける一方的
     且つ執拗な繰り返しメッセージを聞くとその様に感じてしまいます。
3.3) 「全て自己判断なので、個人責任である。」とのこと。
     統治体がいかなる"誘導的文章"で信者の個人的考えを方向づけようと、
     さらにその結果として、信者にどの様な不具合が生じようと、統治体
     および協会組織は一切の責任を負わないことを確認しました。ダメ押
     しで、これ即ち、家族の頭である私の責任ですね、と述べたことも肯
     定しました。
5.1) 別途、"寄付"に関するメモをお送りします。
5.2) 伝道者数の減少に関して、
      「伝道者の増加が目的ではない。」
     インターネット情報氾濫に関して、
      「一般的には霊的弱者が多く、必ずしも誘惑を克服できないので慎重」
     理想と現実の乖離に関して、明解な意見(肯定/否定)を得られず。
5.3) これに対する意見は未だ得ておりません。
−以上−

《編集者より》
「統治体がいかなる"誘導的文章"で信者の個人的考えを方向づけようと、さらにその結果として、信者にどの様な不具合が生じようと、統治体および協会組織は一切の責任を負わないことを確認しました」−これはものみの塔組織の一貫した方針です。協会は信者や家族からの訴訟を恐れており、協会が責任を問われるような事態から避けることに努力しています。確かにものみの塔の出版物にはあからさまな「指令」「命令」はなく、間接的に「クリスチャンは何々します」「クリスチャンは何々しません」という表現を使って「エホバの証人はこうすべきである」「エホバの証人はこうすべきではない」という「命令」に置き換えています。実質的には命令なのですが、「協会がこう指令した為にこうなった」という批判に対しては、「協会は勧めただけで命令はしていない」と開き直ることが常にできるようになっています。更に協会は「トカゲのしっぽ」あるいは「タコの足」のやりかたで、何か問題があると末端の会衆に責任をかぶせ、いざとなればその会衆ごと断絶して協会から切り離すことで、協会の中枢部に責任追及の手が延びることを防いでいます。