研究生より−「世から離れていなさい」とは?

(4-18-00)

実は5年以上も前、友達がエホバの証人になりました。そして、友達に引きずられて
半ば信じかけた時もありました。しかし、私は仕事の都合でその土地を離れる事にな
り、その友達とも疎遠になってしまいました。
そして結婚し、現在エホバの証人の訪問を受けています。
最初は信じる事はないだろうけど、良い人達だし、話くらいはしてもイイカナ・・・
くらいの軽い気持ちでした。しかし、インタ−ネットでエホバの証人について調べる
につれ、この人はなんでこんな宗教を信じていられるのだろう・・?という疑問へと
変わっていきました。しかも今訪問に来ている方は、(仮にAさんとします)私の疑
問にも嫌な顔もせず、ちゃんと聞いてくれるのです。
常に二人で来ますが、ペアは常に代わります。そして、一方の人たちはいつも狂信的
なカンジなのです。Aさんだけが冷静に話しを聞いてくれます。それで、Aさんは本
当のエホバの証人の歴史とか、知っても尚、証人から離れられないだろうか・・・?
と思い始め、できたら真実を知って欲しいと思うようになりました。
しかし、今日も二人で来ましたが、もう一人が話の途中で腰を折ったり、そのような
話しは水掛け論だから聖書から勉強しなきゃダメだ、とか、常にかわいそう、かわい
そう・・と連発するのです。私はいいかげん頭に来て「かわいそう・・と言うのは、
私がこんなに聖書のことを知っているのにエホバの証人に懐疑的で入れないのが、か
わいそう・・・という意味ですよね?それって選民意識で、傲慢な態度じゃないです
か?」と言ってしまいました。私はAさんとは話しをしていてもイイと思うのです
が、こんな人が一緒についてきたのでは話しにならないし、Aさんにも私と話した
後、多分私の話しを考えないようにさせるのではないかと思っています。
Aさんは家族の中で一人だけエホバの証人に入っています。だんな様も子供達も入信
していません。ですから、よけいな御世話かもしれませんが、本当の事を知って、そ
れから自分でもう一度考えて欲しいと思うのです。それでも尚エホバの証人からはな
れられないのなら、それ以上はなにも言いませんが・・・私のこんな考えは不遜な事
でしょうか?。一人の人間の人生に関わってくる問題だし、私も相当の努力と忍耐と
時間を必要とする事だし・・・でも、できたら友達として付き合いたいと思わせる人
なのです。
私は今主人に文句を言われてます。昔から宗教に入った事は無いのですが、興味は
あって、あぶなっかしく見えるのかもしれません。主人はもし、私が入ったら・・・
と思って付き合うなと言っているのだと思います。でも、私がエホバの証人に入る事
は決して無いと思います。ただ、Aさんにいろんな考えがあることを知ってもらいた
くて訪問を受けているだけなのです。
今日も「創造か進化か」に抜粋されているダ−ウインやヒッチングに関する誤った記
述を指摘しました。でも、もう一人が横から「それは背教者が書いた文だから、信用
できない」と言います。私が「じゃあ、自分でダ−ウインの本で調べてください」と
言うと「背教者の本を読む事は禁じられているし、もし、それがホントの事だとして
も、それだけで全体を見るわけじゃないからそれで協会がおかしいと云う事にはなら
ない」と言います。正に水掛け論です。私がおかしいよ・・と言った所を調べてくれ
ないのであればどうやって真実だと解らせたらいいのでしょうか・・。
また、ものみの塔の予言や、人種差別の記述に関しても「それは大昔のことでしょ?
今はそうじゃないし、忠実で思慮深い奴隷も人間だから・・・」とよく聞く決り文句
の連発です。Aさんだけならまだ、考えてくれるチャンスはあるのに・・・(ーー;)・
・
と思いつつ、時間は過ぎて行きました。せっかく用意した資料も受け取ってはもらえ
ず、なんかスゴイ精神的に疲れました。こんな調子で私は付き合って行けるのか疑問
です。自分が消耗する前にやっぱり訪問を断ろうかしら・・・と思ったりもします。
ただ、救いなのはヒットラ−に出した文書があるかどうか調べるとは言っていまし
た。王国会館で調べたらそれはホントにあるのでしょうか?

私が一番納得できないのは「世から離れていなさい」といって投票等をしない所で
す。私も偉そうには言えませんが、人種差別問題などやはり、世の中の運動や政治の
力が大きいと思うからです。ですからこのホ−ムペ−ジの人種差別の問題のところは
非常に共感を覚えました。いつもテレビ等で飢餓に苦しむ子供達や、北朝鮮などのレ
ポ−トを見ると心が痛みます。この子供達を救うのに、確かに物資を供給したり・・
・というのも必要ですが、結局はその物資が軍隊などに流れるのであれば意味がな
い。政治を変えるしかないのです。そのために今現在出来る事をしようと努力する事
がいけないと、何故神が言われる事があるでしょうか?神を待っているだけで何もし
ない・・・正に私はその事に疑問を持ったからこそ、5年前入信しなかったのです。
キリストも言われました「小さいものの一人にしたのは私にしたのである」
そのための手段として、選挙や、市民運動があると思うのです。こう言った事を含め
てやはりエホバの証人の聖書解釈は問題があると思えてなりません。正しい事を追い
求めているまっすぐな人だからこそ入るのだと思いますが、もう少し深く物事を考え
る力をもって欲しいと思います。オウムにしろ、統一教会にしろ、ただ、純粋なだけ
なのは困り者です。もし、神が来て素晴らしいパラダイスが実現するのならそうして
欲しいものです。しかし、私が人間だからでしょうか?そんなパラダイスは想像でき
ないのです。

だらだらと書きましたが読んでくださってありがとうございます。今後も頑張って下
さい。

《編集者より》
あなたの書き方から推測すると、Aさんのように家族がエホバの証人でない人は、その間違いに気がつく可能性は高いと思います。あなたの詳しい状況がわかりませんのでこれは当てはまらないかもしれませんが、もしあなたがAさんに好感を持っているのなら、Aさんと研究を離れて個人的なお付き合いを提案したら如何でしょうか。何か共通の趣味でも見つけて話し合ったり、一緒に何かを行ったりしながら、何気なく一対一の対話を続けられるといいと思います。研究を続けることも悪くはありませんが、あなたもAさんも共に疲れが見えており、更なる進展は難しいかもしれません。しかしAさんが研究を離れてより長期的に広い視野から付き合うことに同意するなら、その方がより建設的かも知れません。

ヒトラーに関する文書ですが、1933年のエホバの証人年鑑の日本語は実在するかどうかわかりませんし、実在したとしても、先ず閲覧することは不可能でしょう。少なくとも一般の王国会館にはありません。

この世の中の悪を少しでも改善するために、小さな事でも努力するというあなたの考え方には全面的に賛成です。確かにこの世の中は不完全さで一杯です。しかし何時来るか誰も知らないと聖書に書いてあるパラダイスを「今すぐに来る」とあてにして、この終わりの時には不完全な世の中を改善しても無駄だから「良い便り」をふれ告げる仕事だけしてればいいと言う態度は、決して聖書のメッセージではないと私は思います。それは主人の帰りを予測して本来の仕事をほったらかして「主人が来る」と言いふらしている召し使いのようなものでしょう。私たちに与えられた仕事は全く予想できないはずの「主人の帰り」を憶測で言いふらすことではなく、「主人の帰り」に関係なく私たちに与えられた仕事、すなわち隣人を愛し隣人のために尽くすことを最後まで続けることであると私は思います。