エホバの証人に対する不信感を抱いたエピソードの件

(4-3-00)

前略、
前回、「兄弟への手紙」で紹介して頂いた者です。

今回は私が、エホバの証人に対する不信感を抱いたエピソードを紹介します。
<エピソードT>
私が、王国会館の駐車係をしていた時の話です。以前は、全員の方が止められる
程の駐車場だったのですが、ある事情で半分くらいになったために、全員の方が
止められなくなり、長老から早く来られる方は、どこかに車を置いて、歩いて来る
ようにと指示がありました。
私が、駐車係の時にいつも早めに来て駐車場のど真ん中に止めている車があり、
その車のせいでもう1台止めることができるのにと思っていました。
そして、その車の所有者が、主宰監督である長老でした。

<エピソードU>
私が、聖書の教えから「兄弟を愛する」ようにしなければならないことから、私が
考えたことは、兄弟を知らなくては、愛することなんかできないということでした。
そこで、兄弟の集いを定期的に行うことで、兄弟たちといろんな話ができるよう
に計画しました。
そして、B5くらいの用紙に連絡事項を書いて兄弟全員に配布して、食事を準備
しました。3回ほど実施しましたが、エピソードTの長老は断りの返事もせず、
一度も参加しませんでした。そして、4回目に、別の長老からこのように言われ
ました。
「兄弟、もう少し小さいメモ程度のもので連絡するようにして下さい。それに、
人数が多すぎると問題になるので、人数を減らして小さい集まりにして下さい。」
私は、次のように言いました。
「兄弟の集いは全員でないと意味がないし、もし、人数を制限するとしたら、どの
ように誘う人と誘わない人を決めればいいのですか。そして、もし、このことを
楽しみにしている兄弟が誘われなかったとしたら、その兄弟は、どう感じますか。」
その長老は、私の質問には何も答えませんでした。ただ、組織の指示に従うよう
に言うだけでした。

私は、このような事から、壇上でいつもイエスの愛を教える人たちが、一般的な
常識さえも持っていないことや、さらに人への思いやりや優しさを持ち合わせて
いないことを理解しました。しかし、こう反論する人がいます。
「長老だって、不完全な人間なんだから、間違いだってするよ。」
ほとんどのエホバの証人は、すべてこのような理由で納得してしまいます。
でも、本当に不完全という理由で許されるのでしょうか。

私が、最も恐れることは、愛のない人間が愛を教えることです。

では、またお便りします。

《編集者より》
「長老だって、不完全な人間なんだから、間違いだってするよ」という言葉は、私も何度もエホバの証人たちから聞きました。そうです、彼らは自分達の組織の内部での過ちは「不完全さ」で許すのに対し、同じようなことが他の宗教で起こると、それは「不完全さ」としては片づけずに、とたんに「偽りの宗教」「愛のない宗教」の印となってしまいます。よく「自分に厳しく人には寛容でありなさい」と言いますが、ものみの塔協会のやっていることはこの正反対です。自分の過ちには常に寛容であり、ひとの過ちは厳しく攻撃するのです。