排斥を言い渡されたエホバの証人二世より

(3-27-00)


初めてMailを書かせていただきました。私は******の日本語会衆に交わる二世
のエホバの証人です。タは先日ろくな審理委員会もないまま排斥を言い渡されて上訴の手
続きを取ったところです。私が排斥を言いわたされた罪状はありふれたもので、姦淫とた
ばこの常用です。私はこの先エホバの証人として活動していけるかどうか分かりません
が、断絶したいわけでもありません。

村本さんのHPを見てとても感銘を受けました。 
素直でありながら客観的なので、今後の上訴委員会のための参考にさせていただいてい
ます。
私のように感じている二世の若者はたくさんいるとおもいますが、ずっと物心がつく前
から組織の中で教えられ、育ってきた私にとって“エホバの証人”とは親の宗教で自分
のものではない、やらされている事です。実際に、私はエホバ神への信仰を持てないま
ま、20年近く組織の中にいます。今では集会に行く事も、野外奉仕にも携わることも
一年近くやめていますがなんの良心の呵責も感じません。 
もし私に信仰があり、神の掟に従う重要性を実感しているなら心から悔い改めやり直し
たいと感じると思います。 
たばこは10年近く吸い続けていますが、その10年間のうち2年半は正規開拓奉仕も
していました。 
常に組織をそして“神”を裏切り続けていたことが私が犯したと感じる唯一の罪です。そ
れは聖書的な理由からではなくどんな人でも感じるであろう一般的な罪悪感です。私は
中学生の時に会衆内の圧力に負けてバプテスマを受けてしまいましたが、当時の私は献
身や、悔い改め、転向といった事柄の意味もよく理解していなかったほど聖書や組織の教
理について無関心でした。集会には行っても話されることは右から左へすどうりしていて
、聞いた事柄について考える事もありませんでしたし、退屈のあまり居眠りばかりしては
母に怒られる事もしばしばでした。それでも母は厳しく集会に出席する事を私に命じま
した。開拓奉仕にいたってはもう自分の人生などないも同然だというあきらめの境地で
申し込みましたが、模範的でなければならない開拓者になぜ私が任命されたのか解かり
ませんでした。

今の私は決してエホバに認められる生活をしていません。でも自分が審理委員会にかけら
れて初めてまじめに聖書を読むようになり、もしかしたら自分はこれから神への信仰と
いうものを見つけられるかも知れない、自分も変われるかもと感じるようになりました
。そんな矢先に排斥の通告をされて、なんとかせねばと今悩んでいます。変に滅びや排
斥などについて知っているためにこの先ずっと苦しむ事を考えれば、自分が本当の信仰
を見つける事が、最善であると思うのです。上訴委員で私の訴えが認められても認めら
れなくても構いませんが、最善を尽くして自分自身の弁護にあたろうとおもっています
。

長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。これか
らもいろいろ役立つ情報をHPでお教えください。では。

《編集者より》
あなたの証言もエホバの証人二世の困難な人生をよく描いています。しかしあなたは若い方のようですので、まだやり直しがきくと思います。おっしゃるように「自分のものでない」「親の宗教」から脱皮して、あなた個人の神への信仰を探して下さい。アメリカにお住まいのようですので英語ができれば、この件に関する多くの資料を読むこともできるでしょう。審理委員会では、あくまで公正な裁きを主張することをお勧めします。証人、証拠、弁護人をなしに人が人を裁くことはできません。しかし、もし排斥になったとしても決してそれで終わりではないことを覚えて下さい。むしろ排斥になり、組織から離れて自由になることで、あなたの真の信仰が見つけられるかもしれません。今後、上訴委員会の結果とあなたの心境をお寄せ下されば幸いです。なお、最後になりますが、喫煙は止める事を強くお勧めします。それは聖書の真理でもキリスト教でも何でもありません。何よりもあなたの健康に悪いからです。何も悔い改める必要もなければ、それによって処罰を受ける必要もありません。一つの病気として考えて、治療して下さい。病人をつかまえて「悔い改めろ」とか止めないと「排斥」するとか言うのはお門違いですが、医師として私はあなたに声を大きくして申し上げます。喫煙を止めて下さい。自発的にやめられないのであれば、行動療法や薬物による治療の道も開かれています。是非お願いします。


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