「組織」に対する考え-組織を憂い、真理を求める奉仕の僕より

(3-4-00)

こんにちは。わたしは****と申します。

こちらのHPは、定期的に読ませて頂いております。コンテンツ
はほとんど読み通してしまいました。非常に中身の濃い情報
に触れられたことを本当にうれしく思っています。

また、このHPに送ってこられる「油注がれた者」と仰る読者の方の
メールの内容は、深い洞察に満ち、まったく共感させられます。一度
聖書からお話し合いできればと願うほどです。そのようなメールを載
せてくださる村本様にも感謝いたします。エホバの証人の会衆での話
より、このHPでの話の方がよっぽど霊的であることを認めざるを得ません。

実は、以前にも村本様のHPを見たことの感想をお寄せしたこと
があり、それが初めてお送りしたメールでした。そのときは村本
様の人生観やクリスチャンとしての考え方を、あらゆる先入観を
除いたかたちでお伺いしたかったため、私がエホバの証人である
旨をお知らせせずに、一読者としてご質問させていただきました。
この点で、村本様がお気を悪くされましたら、まず、お詫び申し上
げます。

しかし、真摯なお答えを頂けて村本様という方本人への私の信頼は
より深まりましたことをお伝え致したく思います。

 私は奉仕の僕で開拓者のクリスチャンです。「クリスチャン」と書
きましたのは、エホバの証人であることと、クリスチャンであるこ
ととが必ずしも同義ではないと考えているからです。そのような意
味で私は、「エホバの証人」ではなく、「クリスチャン」、つまりキリ
スト者でありたいと常に願っております。

私は、エホバの証人の2世として育てられ、現在も会衆で交わって
います。バプテスマを受けたのは、(組織ではなく)神への献身の表明
という意味では、他の教会のクリスチャンと何も異なる理由を持ってい
ません。組織のあり方、また教理自体にも多くの疑問を感じ、長老に
意見したこともありますが、私は会衆の牧者に恵まれてきたのか、こ
れと言った制裁を受けたことはありません。もっとも異邦人の時に関す
る教理などの核心を突く話はしていないのですが。今の会衆は、主催
監督を初めとして長老達が本当に謙遜で柔和な人で構成されているの
で、会衆の雰囲気はとても良いものです。それで、私もいたずらにその
雰囲気に波風を立てたくないという気持ちがあります。

神は、それぞれの知識と信仰に応じてその人を見てくださるので、私
がある人にとっては無知の状態で歩んでいるとしても、信仰と愛を抱い
ているのであれば、神はそれを蔑まれないのと同じように、個々の誠実
で特に窮境にいなければ、組織に疑問も抱いていないエホバの証人は、
そっとしておいた方が良いのでは、と迷ったりもしてしまいます。もちろん、
それにあてはまらない人の場合や、私に彼らへ真理を伝えないことで
私に「血の責任」が生じるのなら話は違ってきますが。

(前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。)
私がそれより心配しているのが、組織のあり方です。「従順」-パウロの
ヘブライ13:17によると、監督達に示されるべきは「柔順」なのですが-
であることが殊更に強調されるこの組織は、み言葉聖書より協会の出版物
を前面に押し出していることによって、その体質をほぼ無意識的に明らかに
しています。事実、協会が聖書朗読を励ます手紙の中では、長老にすら、
「聖書全巻を一度でも読んでいますか?」などという質問がなされている
のです。聖書全巻を一度も読んでいないのに「教える者」にどうしてなれる
でしょうか。医学を学んでこなかった人に医学的な質問をしても、正確な答
えは期待できないでしょう。

ところが、広島会衆事件簿からも分かるように、エホバの証人個人に求め
られるのは、キリストよりも組織への従順さを、聖書よりも「ものみの塔」誌
に従う者が善い者とみなされるのです。2世のエホバの証人の多くには
「ものみの塔」誌は霊感を受けていると思っている人もいるほどです。

そもそも、「忠実で思慮深い奴隷」とは聖書によれば、イエスが帰ってこ
られたときに忠実だった者にご自分のすべての持ち物をつかさどらせる者
を指すのであって、今、それがどこか、まして一つのグループかなどは誰
にも決めることは許されていません。並行記述のルカでも、ペテロは「この
ことは他のみんなにも言っておられるのですか?」とイエスに尋ねています。
誰が忠実か、忠実でないかを決めるのは他でもないキリストなのですから、
少なくとも、自分達だけが唯一の神の意志の伝達経路だと言うのは、どう
しても聖書を根拠に論ずることはできません。
むしろ、小麦も雑草も混ざった状態で成長させるとイエスは仰ったのでは
ないでしょうか。この点ですでにものみの塔は書かれている事柄を越えてい
ると言わなければなりません。

私としては、組織に変化をもたらすために人が出来ることとして、次の2通り
の方法があると思っています。
1.エホバの証人の言う「背教者」になって、組織からは離れ、真理を求める
2.忠実な証人を振る舞いつづけ、内部から少しずつ変えていく。
ただ、後者の方がより難しいと言わなければなりません。大した責任も与え
られていないエホバの証人では、組織に与えられる影響力など無いに等しい
からです。この点で神により頼み、どの道を歩むべきなのか考えています。
村本様からも、何かご提案など頂けましたら、幸いです。

メールボックスの容量を圧迫するだけの、ほとんど共感を連ねた一方的
かつ大した内容を含まないメールになってしまいましたが、なによりも
村本様の、今後への引き続きのご活躍を願っております。

《編集者より》
現役のエホバの証人でありながら、このように批判者に対して誠実に対応して下さるあなたの態度に心から敬意を表します。あなたは、今増えつつある「目覚めた」エホバの証人の一人と言えると思います。日本にはこのような人は、このサイトに投稿している「物事をありのままに考えるエホバの証人」をはじめとして少しながらいるようですが、アメリカ・ヨーロッパの少なくとも英語圏では、このようなエホバの証人がますます増えています。かなりの人があなたと同じように、今の所組織の内部に留まっていますが、年がたつにつれて、見切りをつけてやめていく人も多いようです。あなたが挙げた二通りの方法以外に、現在アメリカで圧倒的に多いのは、特に背教をするわけでもなく、断絶をするわけでもなく、ただエホバの証人の活動を静かにやめる人たちです。私は多くの人々の体験を聞いて、この方法が最も平和的で傷が少なくてすむ方法であることを知り、多くの人々に勧めています。これなら、家族や昔の友人たちとも表立った敵対行為をするわけではないので、一番悲劇的な家庭破壊をまぬかれることができるでしょう。

組織に疑問も抱いていないエホバの証人は、
そっとしておいた方が良いのでは、と迷ったりもしてしまいます。もちろん、
それにあてはまらない人の場合や、私に彼らへ真理を伝えないことで
私に「血の責任」が生じるのなら話は違ってきますが。

あなたのこの言葉に対して私は正面きって反論をするものではありません。ただ次のことを考えて下さい。現在、エホバの証人の多くの人々が現在の最先端の血液を使った医療行為のうち、どれが禁じられていて、どれが良心の問題として受けることが許されるのか、全く詳しいことを知りません。あるエホバの証人は全ての血液に関する治療を拒否しますが、別のエホバの証人は、医療連絡委員会の兄弟の言う通りにある治療を受け付けています。現在世界中で何千人というエホバの証人が輸血を拒否しながら助かるはずの命を落としている時、もしあなたが聖書の血に関する「誤解」を解いて、聖書のどこにもはっきりと輸血を禁止している部分はないことをあなたの兄弟姉妹に知らせなかったとしたら、それは「血の責任」になる可能性はないでしょうか。