輸血拒否裁判の判決に関して

(3-1-00)

3/1の新聞等で、輸血を拒否したエホバの証人に、了解を得ずに輸血・治療をした医
師に対して、慰謝料を求めていた件で、医者側が敗訴し、慰謝料の支払いを命じられ
た、という記事がありました。

これに対して、エホバの証人は決して喜ぶべきで無いと思います。

宗教上の戒律等を守ることで、信仰を深める人たちも、確かに世界中ありとあらゆる
宗教の中にいるし、それぞれを批判すべきではないし、我々一般人の関わることでは
ないでしょう。

しかし、医者の立場から考えれば、目の前に死にかけている人間がいれば、たとえそ
の人間が死を望んでも(自殺を望んでも、と置き換えてもいいでしょうか)その人間を
助けるために全力を尽くすのは当然では無いでしょうか。
目の前に怪我人がいれば、誰だって治療してあげるでしょう?

例え宗教上で禁じられていることを、知らない内に施されていたとしても、医者であ
るそのひとは患者の為を思って、もっといえば、その人がエホバの証人であり、輸血
が禁じられていることを知っていたかも知れないのに、あえて勇気と正義をもって処
置を行ったのだと察します。
輸血をせずに放っておいても、宗教上の理由で拒否された、といえばそれでいいはず
ですから。

そこまで患者の為を思って行動した医師に、なぜここまでの仕打ちをしなければなら
ないのでしょうか。
その医師に慰謝料を請求したりする必要があったのだろうか。
その医師はおそらく、精神的にもダメージを受けていると思うし、医療に対する疑問
と限界も感じているのでは。

エホバの証人側としては、輸血をされてしまった後なら、私達は決して輸血をしない
ようになっていたのです、というくらいなら仕方ないとしても、せめてありがとうの
一言があっても良かったのでは無いでしょうか。
相手の心を思い遣れないものが、果たして宗教と言えるか、疑問です。
そして、問題がここまで大きくなっていたのに、周りのエホバの証人達も止めようと
しなかった・・・
本当に、それでもエホバの証人は神の子なのでしょうか。

神は、隣人を愛せよ、と言っておられます。
ぜひ、考えをお聞かせ願いたいものです。

なお、この意見が黙殺されるようなら、今後エホバの証人に対する見方を変えるしか
無いでしょう。

《編集者より》
あなたのおっしゃることに賛成です。しかし現在の医療法制は、患者と医者との治療契約関係は、場合によっては緊急事態、救命処置の場合でも例外にはならないこともあるという見方をとっています。エホバの証人の輸血拒否はこれにあたり、従って裁判所はエホバの証人側の見方にたって、患者のはっきりとした意志はたとえ緊急事態でも尊重しなければならない、と判断しています。これは法的、手続き的にはエホバの証人側の勝訴ですが、あなたのおっしゃるように、倫理的道徳的な問題が残ります。ものみの塔協会側は、このような法的手続き的な観点でこの問題を対処しようとしますが、真の批判はむしろその倫理的問題を追求するところにあると思います。聖書の中で本当に神が大事にしているものは何か、血液という単なる物質を体に入れるか入れないかという単なる物質の取り扱いの問題とその象徴的な意味なのか、それとも生命の尊重と同胞への愛という聖書の一貫したメッセージなのか、聖書と祈りに基づいてより広い視野から考える必要があります。