「研究生に対する攻撃」続き−具体的な例

(2-29-00)

掲載本当にありがとうございます。合わせて他の投稿も読み、涙が出てしまいまし
た。「自分よりひどい目にあった人はいるのだろうか?」と思いながらも、自分よ
り傷の深い人はいくらでもいるのだと、感じます。
話しきれないほどのひどい目にあいました。そのほんの一つに過ぎませんが、書い
てみようと思います。
研究をするようになってから間もなく、私は病気で自宅でほとんど寝たきりになり
ました。そんな私を証人達はとても気遣い、とても良くしてくれました。
が、身の回りの世話と引き替えの様に、研究は決して休ませてくれませんでした。
布団の中で横になりながら、本を開き問答をしていました。病気の私にとって声に
出して本を読むこと、目を使うこと、また無理な態勢、どれをとっても苦痛でした。
しかし「真理」を学びたい気持ちはとてもありました。証人たちからすると、お喋
りが出来たり、トイレへいったり出来るのだから、その時間を研究へ回せばよいと
いう考えで、「お喋り」を回復への薬とはみてくれない訳です。生理的なトイレま
で「まだ動けるわね。元気じゃない。」とみる訳です。つまり病気で寝たきりの人
に沢山の時間を使わせるのは良くない。ここまではいいのですが、では限られた少
ない時間をどう接するか?「病気の為にも研究しかない!」と結論ずくのです。
研究以外の個人的な会話もなし、盲目的に「エホバが病気を治してくれるから」と
いうことで、むこうにとってはこれ以上の善意はないと思っているのです。もちろ
ん体力的にきついことを何度も告げました。最初はそう言うと、時間を短くしたり、
と考えてはくれましたが、好意的ではありませんでした。「あなたがそう言うのな
らしかたないわ」と言い、「病気を盾に真理から遠ざかるつもりね。サタンの仕業
だわ!」となるのです。お分かりになるでしょうか?証人にすれば病気自体は仕方
のないことだけれど、その肉体的衰弱からくる精神の減退こそサタンの罠である。
ということなのです。「病気になっても心はサタンに持っていかれたらだめよ!」
と、どうしても話しがかみ合わず、本当に肉体的に辛いだけなのに、分かってもら
えないのです。そして担当の司会者がとても大きなことの様に会衆の全ての人に
「事件」のように話しをし始めるのです。「私の研究生はどうもサタンずいている」
から始まり、一方からの話ししか聞かないため、私へ対する他の証人達の目は、い
われるままの通りに出来上がってしまいました。それから、短い研究は変わらず続
くのですが、あまりにも具合がわるく、ほとんど意識が遠のくようにかのように研
究が終わったことがあり、そのとき一緒に来ていた、司会者ではない方が、「あん
なに具合が悪くなるなんて異常だわ!始めた時は元気だったのに、、まさにサタン
以外に考えられないわ!!!」と、またまた会衆の方々に、研究参加報告をそのよ
うにし、司会者の話しの裏付けになるような発言となってしまったわけです。
少し話しはずれますが、最初、病気の辛さを分かってくれないのは、たまたまあたっ
た司会者が人間的に未熟ゆえのことと思っておりました。ですからすぐに誰かが
「病気の人は休ませてあげないと」と気付くと思っていました。正直「未熟」とい
うよりはずいぶん(ひどい)意地悪な人だな、と思いました。そしていつまでたっ
ても「病気で辛い」と言っている私に対して、司会者の方は少しずつ少しずつ大変
な意地悪になっていきました。自分の思うようにならない私を憎みはじめるのです。
そしていつしか司会者は寝たきりの私を精神的に攻撃することが、快感としか言い
ようのないほど、いたぶるようになっていったのです。それはそれは異常でした。
が、自分のしていることが「いけない」「悪い」という自覚がどこかにあるようで
す。それを反省するならまだしも、なんと自分の悪行が仲間にバレないように、先
手必勝、裏工作をしはじめたのです。これは打算というよりその場その場で、とり
つくろうために(司会者が)、自然とそのようになっていった、という感じです。
よく小さい子が何か悪さをして、その場しのぎに、「Aちゃんがやったんだよ」と言
うようなものです。更には怒られる前に、その問題が浮上する前に、当時自分は別
の場所にいたという話しを、前もってさりげなくしておくとか、言い方を変えれば
悪質きわまりないものです。事実無根の話しさえでっちあげられるようになり、私
の目の前で、会衆の長老を連れてきて、長老から私に「注意」のようなものをする
ことがありました。つまり、見に覚えのないことを注意されるのですが、そのかた
わらに一緒にその「作り話し」をした司会者がいるのです。身の気もよだつほどゾッ
としました。もう異常だと思いました。その時に「なんのことですか?」と身の潔
白を言ってもすでにどうにもならない状態が出来上がっていたのです。その司会者
が長い時間かけて「あの研究生の言うことを信じたらだめよ」という工作をがっち
りしてきたからです。それから研究は中断するのですが、その後、復帰することは
ありませんでしたが、まだまだ話しは続きます。
「病気へのいたわり」をかかげ、個人的な食事にまで文句を言うようになり、ケチ
をつけないことは何ひとつをとってもありませんでした。自分の言う通りにしない、
と言う結末が、私への非難中傷それも架空の話しでいいふれまわると言う形でした。
そしてまわりの方も「私苛め」に次から次へと参加してきました。まるで司会者の
「嘘」から始まったことの様に思うかもしれませんが、それは違います。当時わた
しもそのようにかんがえておりましたが、「嘘」を聞いたにせよ、一方的に事実確
認をしないで攻撃してくるのは、通常の社会ではありえないことです。
A子さんは人殺しで、反省もしていない。と聞いてA子さんに会ったとき、いきなり
憎悪をいだきますか?ひどい人!と攻撃しますか?
これがエホバの証人の最も低い人間性のあらわれだと思っています。人には厳しく
自分達には甘い。必ず「自分達」と複数なのもみそだと思います。
自分達を世界で一番の廉直、で正直でERC..ETC..と思っているので、仲間内の言う
ことは絶対と思っている姿勢です。
書いたことは「事件」の始まりのほんの一部にすぎませんが、やがて研究後にもた
くさんのことがあり、エスカレートしていく様に裁判を考える様になりました。そ
してまずは「嘘」発言から。ところがここから最も恐ろしいことになるのですが
「嘘」を聞いていたはずの証人達は誰一人として証言台にはたってくれません。
そうです。司会者の方が言っていたことは全部嘘とわかったら、なお守ろうとする
のです。組織の成員の悪行が世間に知れたらいけない。ということです。示談と言
う形も取ってくれません。こちらはたったの一人です。それをいいことに元からな
かたこと、として私のほうのでっちあげとして世間には対応する姿勢でした。
信じられますか?集会のなかで「みなさん真理のためです。嘘をつきましょう!」
と話し合われる姿が想像できますか?それに誰もが賛同する姿。誰も神の前で正直
になれない可愛そうな人達です。元証人の方に話したことがあります。「そうよ。
嘘付き集団だもの」と言われました。
エホバの証人も人間です。人を暴力で痛めつけることもあるでしょう。しかし現役
の証人の方は「絶対ない!」と言い切ります。私は何度も暴力や事故に見せかけた
暴行などにあいました。その事故もあったことすら目撃者のエホバの証人はしてく
れません。オウムのことばかり悪く言いますが、どこも同じです。「やらなければ
排斥だ!」と信じている教理をもつ教団からいわれたとき、「NO」と言うのは難し
いことです。なにも喜んでしているわけではないと思います。すべてが「真理」の
ためなのです。私のした体験は、たまたまその会衆の特色などというものとは全く
関係ないと思っています。途中の経過は違ったかもしれなくても結果は同じことで
す。エホバの証人達は自分で考えたらいけないのですから。最後は教団が指示する
のですから。
暴行に関しては、今も滅多に口にしません。どうしてか話せません。
暴行が辛かったと、思われたくないのもどこかにあるのでしょう。ひどい事ではあ
りますが、辛くなんかありません。今も一番辛いのは、彼等の心の在り方です。
私も人間です。なんど殺しにいこうと涙して考えたことか分かりません。本当に殺
して一生刑務所暮らしでもいいと何度も思いました。
有名なエホバの証人問題の「先生」と呼ばれる方に2人程相談したことがあります。
一人は元証人の方でその人すら「暴行」に関しては、私が本当だと言っているのに
もかかわらず、「信じられない。本当の事故では?」と言われ、正直、幻滅し気持
ちは変わっていません。もう一人の方は特に驚くこともなく、万が一に備えてご自
身は通常、住所などを公表しないようにしているそうです。
私の様な被害にあった方はたくさんいるはずです。どうか勇気をもって下さい。
連絡を取りたいと言う方がいましたら、私のアドレスを教えてあげて下さい。私も
同じように今も苦しんでいる方と話しがしたいです。
また

ありがとうございました。

《編集者より》
このお便りは「研究生に対する攻撃」の投稿者が、「攻撃」の具体的な説明をしているものです。あなたの書かれた所をまとめてみると、あなたは病人でありながら研究生であったが、周りのエホバの証人の人たちが、あなたの病気に対しての思慮を欠いた行動を行い、あなたに対して「精神的攻撃」や「暴行」が行われたということのようです。大変異常な状態で、あなたの心の傷がいかに深いかがよくわかります。病人に対して「サタン」に責任をかぶせて、病苦に苦しむ病人その人に対する愛を忘れるのは、エホバの証人の間によく見られる態度です。しかし、このような異常な扱いは稀なことではないかと思います。実際エホバの証人の間でこのようなことがどれだけ瀕回に起こっているのか、他の方々の体験と照らし合わせてみる必要があるでしょう。