教理の変更について、エホバの証人に対する質問

(1-31-00)

エホバの証人は「正確な知識を得てから決定してください」と言います。
ものみの塔誌の目的は「エホバの王国をふれ告げる」となっていますが、そのために事実を隠
したり、歪曲しているように思えます。
例えば、科学者は、人間が死ぬ理由が分からないとか、細胞は永遠に分裂を繰り返していくは
ずで有ると書いています。(1910年当時の定説)
そのような意見もありますが、細胞は分裂の回数が決まっているという研究結果も有ります。
エホバの証人は進化論を事実を伝えていないと非難します。確かに進化論者は自分たちにとっ
て都合の悪いことを隠し、正当性を主張します。エホバの証人も自分たちにとって都合のよい
科学者や権威者の言葉を引用しているように思えます。
他のエホバの証人のホームページで質問をしましたが一向に答えが返ってきません。
都合の悪いことには耳をふさぐようにしか思えません。

質問:
ものみの塔はこれまで教理の変更をタッキングと言ってきました。タッキングとは進行方向に
向いながら、方向を変ることを言います。180°向を変えることはタッキングとは言いません。
ソドムとゴモラの人たちが復活するからしないに変更になりましたが、これはタッキングでし
ょうか?。もし教理の変更なら、統治体が間違ったことになります。統治体も人間であるので間
違うことがあるのは認めます。統治体の成員は謙遜であると言います。では、間違いを統治体
が認め謝罪したでしょうか。誤りを認めない統治体は謙遜なのでしょうか。
 会衆で自分の罪を認め謝罪した人たちの幾人かは排斥されています。このこととどのように調
和するのでしょうか?是非教えてください。

答え: 
統治体の成員でも淫行などの罪を犯し”真の”悔い改めが見られない場合は排斥されます。
統治体だからといってひいきはないのです。
ソドムに関する理解が変更されたことで、統治体に謝って欲しいと思ってる人に出会った
のは初めてのことです。その点で”謙遜”を計ろうとされるのは無理があるのではないで
 しょうか。

質問:

悔い改めを示しても排斥されています。そもそも真の悔い改めを人間が見抜けるはずはあり
ません。(ある程度は分かります)

 あたなは私の言わんとしていることを理解していません
ソドムの件について誤って欲しいのではありません。これまで、聖書理解の変更が幾度もあり
ましたが、理解が間違っていたことを誤ったことはありません。ソドムの件の新しい理解の時
は、「これまでユダの手紙との調和せず疑問に思っていましたが、…」という説明がありまし
た。もし本当に謙遜なら、疑問点を示して、今はこのように理解しています。と言うべきでは
ないのでしょうか。
光が徐々に当たって明らかになると言います。それは、次のようなことをさすのではないでし
ょうか。
「まず、家であることが分かります。
次ぎに二階建てであっることが分かります。
屋根はかわらぶきです。」
と言ったものではないでしょうか。
ものみの塔の場合は家であると言っておきながらそれが船であっても光が当たったと言ってい
るのです。ソドムの変更はタッキングを用いてどのように説明できるのでしょうか。
教理の変更はこの世代についてなど数多くあります。
もし、ものみの塔が神に用いられているとすると、神は残酷な神だと思います。
なぜなら、マクミラン氏は1914年に天に行くと信じ公言していました。そして、その日が過ぎ
てしばらくして、講演をするよう命令されました。当時の統治体は1914年に天に行くことはな
いと分かっていたのになぜ、マクミラン氏の考えを調整しなかったのでしょうか。大恥をかく
のを期待していたのでしょうか。そのような統治体を神が用いているとしたら、神は残酷であ
ると言わざるを得ません。極端な例ですが、子どもが覚醒剤を吸っているとします。親は、そ
れから来る害をよく知っています。子どもが、中毒になったり、あるいは犯罪者になったとき
、「覚醒剤は悪いでしょ」と言うのに似ています。覚醒剤が悪いことが分かっていたのに、そ
れを子どもに知らせなかったのは、悪であると思います。
それと同じことが1975年に起きました。ものみの塔は記事の中では1975年がハルマゲドンであ
るとはかいていませんが、6000年の終わりであることを強調してきました。そして集会や大会
でハルマゲドンが来るかのように思わせてきました。ある人たちは会社をやめたり保険を解約
したりし、その後の生活を全く考えていないような生活をしていました。1975年がハルマゲド
ンでないことが分かっていたのに、なぜそれらの人に警告を与えなかったのでしょうか。分か
っていたのにしないことは大きな罪であると思います。非加熱血清がエイズを発症させること
を知っていながら認可するのと似ています。
ものみの塔の教理はいつも変更されるので、どれが正しいのか分かりません。神が、ものみの
塔を用いているとしたら、世代の理解が変わったのはなぜでしょうか。これまで、誤った理解
のうちに行動するどんな意味があるのでしょうか。
理解が確実でないのなら、それは仮説あるいは論と表現すべきです。進化論はあやふやなとこ
ろがあるため論と言われているのではないでしょうか。ものみの塔は進化を正しいかのように
教えていると批判しています。それと同じことをものみの塔は行なっています。自分たちの仮
説を正しいかのように教えています。そして、その仮説の誤りがわかっても誤ることは決して
ないのです。

《編集者より》
これまでに何度もエホバの証人に対する質問の投稿をしてこられた、元研究生の方からです。前回はエホバの証人に対する質問−エホバの証人のダブルスタンダードの投稿を頂きました。エホバの証人の方からの回答を期待します。一言だけ私のコメントを付け加えれば、全ての人は、エホバの証人も含めて、多くの不確定な情報の世界に生きています。そして全ての人が、エホバの証人も含めて、それらの不確定な情報の中から自分で最善であると信じるものを選んでそれに従って生きています。ある人にとってその最善と信じていたものはとんでもない間違いであることもあり、別の人にとっては最善と思ったものが、後で振り返って見てもやはり正しかったということもあります。これも人間の世界で常に起こって来たことです。何がエホバの証人にとって特別で普通の人がやらないことかと言うと、それは不確定な情報の中からエホバの証人が自分たちで最善と信じる事柄を、別の事柄を最善と信じる人々に勧誘の方法を使って最善と信じさせることです。しかもその「勧誘」に巧みな情報統制、欺瞞、さらにはほとんど脅かしに近い行為が含まれていることが問題であると思います。私はエホバの証人にも、全ての人と同様に、間違った事柄でもそれを最善であると信じる自由はあると思います。しかしそれを他人に非倫理的方法を使って押し付ける自由はないと思っています。