「大群衆がパンを食べても滅びません」−記念式の習慣

(1-31-00)

以前一度メールを差し上げた者です。( エホバの証人は破壊的カルトか―反論)(3-18-99)
前回はずいぶん恥ずかしい文章を書いてしまって、とても恥ずかしい思いをしています。
あれからインターネットを回っていろんな文章を読み、ずいぶん考えを改めました。
それでも、キリスト教の神に対する負のイメージはいまだに消えません。

ところで、読者の広場第二部/「非常に感銘を受けました」−エホバの証人を母に持つ大学生より
での村本さんのコメントについておかしいと思う点を指摘します。
>パンとワインにあずかることは、「油塗られた残りのもの」という特別のクラスの
信者に限られて
>許される行為で、この宗教から出てしまったあなたがその経験を持つというのは、
>確かに皮肉なことだと思います。
たしかに「主の記念式」の最中には、パンとぶどう酒を食べることが出来るのは
「油注がれた残りの者」級のみで、そうでない者が食べるのはかなりの罪に問われま
す。
しかし、記念式が終わってからは儀式的な意味が無くなるので、
食べてもいっこうに構わないのです。少なくとも僕の地元ではそうでした。
かくいう僕も、どうせ残りの者なんて古い人はいない会衆なので
お余りのパンを食べたことがあります。珍しいだけであまりおいしくなかったです。
それにしても、儀式中だけ意味のある聖具(?)というのは、ものみの塔にありがち
の
キリスト教圏の迷信というより、むしろ神道的に思えます。なんなのでしょう。

村本さんの「生命」の本に関する文章が完成するのを心待ちにしています。
創造論論駁は、やらなければいけないと思いつつ、英語のHPを読むのが面倒くさくて
まだ本格的には勉強していません。村本さんやその他多くの方々には、本当に頭が下
がります。

《編集者より》
記念式の後で子供にパンとぶどう酒を食べさせるという話は初めて聞きました。ぶどう酒は実際にはジュースだそうですが。ご指摘ありがとうございました。「生命」に関する記事は最近掲載を始めました。是非お読み下さい。