「非常に感銘を受けました」−エホバの証人を母に持つ大学生より

(1-22-00)


 私は現在大学へ通う21歳の男子です。
 あなたのHPを見て非常に感銘を受けたということを一言お伝えしたく、メールを書
いている次第です。
 私の母は、30年来の熱心なエホバの証人です。私自身、幼い頃は母に連れられ、
集会に、伝道にと、中途半端に手を抜きながらさまざまな活動をしてきました。それ
に私自身は母が信者であったことのデメリットをほとんど受けずに育ってきました
(父は過去にいろいろと苦労したようですが)。そういう意味では、私はエホバの証
人に対して好意的といえるかもしれません。しかし、断っておきますが私自身には信
仰心は全く無く、私の宗教的な立場は無神論ないし神不可知論的です。

 先日帰省した折りに、その母から「最近、背教者がインターネットでエホバの証人
についてあること無いこと書き散らしてるみたいだけど、あんたはそういうことしな
いでね」との忠告を受け、Web上での「反エホバの証人」活動に興味を持ったわけで
す。
 そういった「反エホバの証人」活動、または各マスコミがエホバの証人に対し一貫
して「カルト」というレッテルを貼り、社会悪として糾弾する姿勢をとっているのに
対し、一方でこのようにエホバの証人の教義のさまざまな矛盾点、歴史などについ
て、比較的公平かつ冷静に指摘・分析しているHPがあるということは喜ばしいことで
す。

 現在エホバの証人に対して行われている批判、例えば家族関係の崩壊や輸血問題な
どは、宗教を本質的に考えると批判という意味すら持たないことに気づきます。それ
らの批判はエホバの証人の反社会性を激しく糾弾していますが、それはあくまで我々
の道徳観・社会観にとってのみ反社会的と言えることで、あちらの方々には全く無意
味でしょう。これはその他の宗教批判にも言えることで、例えばオウム真理教(なに
やら「アレフ」と改名するらしいですが)に対して、サリンを撒き散らしたという点
を批判したところで、全く意味がありません。オウムの持つ最大の問題点は、教義の
出所、つまり教祖麻原彰晃であり、その教義が本当に神の啓示なのかどうか、という
点であり、麻原の口から発せられた教義が信じるに値しないという点を突き詰めるこ
とがもっとも肝要ではないでしょうか。道徳性や社会性を批判したところで、異なっ
た道徳空間や社会空間に生きている人々には効き目はありません。
 道徳性や社会性という点でエホバの証人という宗教は、私が知る限りですが、現存
する最もまともな宗教の一つなのではないでしょうか。信者は非常に温和で良心的で
すし、倫理的に非常に厳しく、何より活動が熱心です。教義の真偽・矛盾さえ問わな
ければ、理想の宗教を体現した一つのモデルとさえ言えそうです。非信者の私から見
ても、悪いのは汚れきったこの社会と自分なのではないかと思ってしまうことがあり
ます。ですから、マスコミ等がエホバの証人の社会性や道徳性を批判するのを見る
と、苦々しさを禁じ得ません。ほとんどが偏見に満ち満ちていて、明らかなでっち上
げと思える記事も少なくありませんから。宗教が宗教らしく活動することが、それだ
けで問題になってしまう今の社会を思うと、やりきれない思いに苛まれます。

 私にはエホバの証人を批判したいという気持ちは全くありません。母を見ていて狂
信的としか思えないときもしばしばありますが、母を正気にしたいなどという気持ち
もさらさらありません。母から信仰を奪うということは、母を殺すようなものだと考
えています。ただ、母が人生の大部分を費やした宗教が、とんでもないものであって
ほしくないと祈るばかりです。そして、エホバの証人に対する多くの批判が一方的で
偏見に満ち、半ば感情的であるという、この現状がいつか好転することを願って止み
ません。
 今後とも現在と同じスタンスをとり続け、地道に活動してくださることを節に願い
ます。突然の長いメール、失礼致しました。
 
 ちなみに私は、幼い頃に主の記念式で無酵母パンを食べ、ワインを飲みました。た
しかあの時食べたのはみんな子供たちで、「食べてみたい、食べさして食べさし
て」、「俺も俺も」、といった感じだったと思います。確か、あれを食すというのは
何らかの意味を持つことだったと思いますが・・・、宗教のいいかげんな一面が垣間
見えるほほえましい光景だと、現在は解釈しております。

《編集者より》
あなたの見方は、最近のもう一つの投稿の意見と通じる所があります。「エホバの証人の人たちは邪悪な人たちなんでしょうか?」−エホバの証人の女性を愛する人よりもお読み下さい。つまり、エホバの証人にもいい所がある、という見方で、私はそれに反対するものではありません。また感情的で偏見に満ちた批判を控えるべきであるというあなたの見方にも賛成します。しかしある宗教の社会性、 道徳性を批判すべきではないというあなたの意見には賛成できません。確かにオーム真理教でもエホバの証人でも、彼らは我々と別の価値観があるのだから、我々の価値観で批判しても信者に対しての影響はないという一面はありますが、一方ではそのような批判はその宗教の周辺にいる人たち、信者になろうか迷っている人や信者の家族にとっては重要な情報となり得るからです。

パンとワインにあずかることは、「油塗られた残りのもの」という特別のクラスの信者に限られて許される行為で、この宗教から出てしまったあなたがその経験を持つというのは、確かに皮肉なことだと思います。


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