「ものみの塔10月1日『親の皆さん−お子さんにどんな将来を望んでいますか』について」

(11-26-05)

「ものみの塔」2005年10月1日号第2研究記事
「親の皆さんーお子さんにどんな将来を望んでいますか」について

今年の地域大会でも強調された高等教育批判の記事です。
要約してみると、まず6節で「高等教育」を「4年かそれ以上大学に通い、学士の資格を得
たり、卒業後も大学院で、医学、法学、工学などを生涯の仕事とするために研究を続けた
りする・・・そのような大学教育を指しています。」と明確に定義付けています。そして
9、10節では、多額の費用が掛かり、それらの教育を受けることは上流社会の一部に組み
込まれることを望むことと同じであると決め付けています。さらに11節では大学が麻薬や
アルコールの乱用などの不道徳で満ちており、その上宿題や試験のため奉仕の時間が取れ
なくなり、クリスチャンの親が子供に勧めるべき環境でないと断定しています。
そして17節では、ある若者のベテル奉仕者の経験談の後「親も子も、大学教育を目的とし
た教養科目を選ぶのではなく、神権的な生き方を追い求めるのに役立つような課程を考慮
する必要があります。」つまり真のクリスチャンは大学教育受ける選択の余地はないと述
べ、さらに18節では「短期間の課程で、事務に関係した技術、自動車修理、コンピュータ
ー修理、配管、美容などの様々な技術を教える学校は数多くあります。その種の仕事は好
ましいでしょうか。確かにそうです。地味な仕事だと思う人もいるかもしれませんが、エ
ホバに仕えることを本業とする人にとっては必要な生活手段となりますし、いろいろな面
で融通を利かせることもできます。」つまりエホバの証人の活動を行なえそうな実利のあ
る仕事のための教育ならば良いということを堂々と主張しているのです。
私は、この記事を書いた人の良識と常識を疑いますし、また教育に対する甚だしい偏見に
満ちた人であると思います。大学での研究は遥に地味であり、そこでの研究者の努力は計
り知れないものがあります。その成果は人類の福祉の増進に大いに寄与してきたのです。
エホバの証人もその恩恵を受けているのです。
これはうわさで聞いたのですが、九州大学医学部(医学部大学ではかなり有名)では、エ
ホバの証人が医学生に講義をし、無輸血手術の必要性を説いて、医学生が感動していると
のことです。医学の恩恵を一番受けているのはエホバの証人なのに、その証人たちはその
研究の学び場を否定しているのです。九州大学も地に堕ちたものだと思いました。
今研究している親の皆さん、あなたはエホバの証人のこの教えに、お子さんが従われるこ
とを望みますか?この特定の人の偏見に満ちた教えに従うことによってどんな将来が待ち
受けていると思われますか?

《編集者より》
1992年のものみの塔協会による大学教育の解禁以来、エホバの証人の子供たちが大学に進学する例は、昔と比べてはるかに多くなってきました。しかし問題は、本来ものみの塔協会が恐れていた通り、物事を分析的、客観的に先入観なく見ることを基本とする大学教育を受けたエホバの証人の子弟から見れば、ものみの塔の矛盾は自然に見えてきてしまう事です。この記事にも少し触れているかもしれませんが、大学教育を受けた証人の二世たちが、この宗教から離れていく例が多くなっているのでしょう。協会はこの傾向を放置しておくわけには行かず、このような記事を時々載せているのだと思います。問題はこの記事の筆者である、ものみの塔協会の指導部が大学教育を受けていませんから、大学教育の批判も表面的な問題とマスコミのうわさを頼りにしたものに過ぎません。大学教育に対する偏見はそこからも来ているのでしょう。教育は生活を支える金儲けの手段としか見られないのは、大学における純粋の学問が探索する深くて広い世界を体験したことがなく、全く理解できないからだと思います。協会が技術学校を勧めるのは、証人が本当の学問に触れることを恐れているからでしょう。興味あることは、大学教育に進むエホバの証人でも、圧倒的にコンピューター関係などの技術系の専攻を選ぶことで、心理学、哲学、論理学、社会学、人類学といった宗教の本質を考えさせるような専攻にはほとんど行かないことです。これも、ものみの塔の基本的な姿勢、すなわち宗教の本質を考えてはいけないという姿勢の表れでしょう。別に「技術や」さんを批判するわけではありませんが、多くの技術やさんは戦闘機を設計していかに優秀な戦闘機を作るかに優秀な頭脳を使いますが、その戦闘機を使って人類に何が起こるかというもっと本質的な問題にその優秀な頭を使うことが苦手です。同様に、エホバの証人の技術系の人々も、協会のコンピューターシステムを管理していながら、その情報の本質を見抜くことが出来ないのだと思います。元統治体の成員であったレイモンド・フランズはもちろん大学教育を受けませんでしたが、彼が「洞察」の本を編集して記事を書く過程で、多くの学術論文を読まなければならず、その中でものみの塔協会のいい加減な態度と対照的に、事実を率直に誠実に受け止めて研究している大学の研究者たちに感銘を受け、次第にものみの塔の実体を自ら見られるようになりました。確かに金儲けと資格を目指して大学に行く学生が大部分であることは否定しませんが、大学の教授陣の本来の使命は、純粋な学問を深めることを目的とした教育研究を体験させることのはずで、大学教育を受ける限り、必ずどこかでそのような基本的な物の見方を多かれ少なかれ教えられるはずです。皮肉にもそのような教育こそが、ものみの塔のように欺瞞を巧妙に隠して宣伝する組織の実体を明らかにする思考と方法を人々に与えるのです。ものみの塔協会が大学教育を必死で警戒させる真の理由はここにあると思います。