(10-22-05)
答えは「いいえ」です。 恒星はいつか必ず燃え尽きます。 恒星が燃え尽きる時に、その周りを公転している惑星も必然的に消滅します。 太陽は恒星です。よって太陽はいつか必ず燃え尽きます。 その時に地球も必然的に消滅します。 これはもう科学が証明している事です。 いつだったか「ものみの塔」に太陽が燃え尽きた時にエホバが新しい太陽を置いてく ださるはずだと書かれていましたが、こんな考えは天動説に基づくものです。 「統治体」の無知蒙昧を見事にさらけだしています。 子供騙しもいいところです。 いつの日か犯罪がない世の中が来るのかもしれません。 が、地球が永遠に存在することはありません。 この事を考えれば、アダムとイブが地球で永遠に暮らすことになっていたという話が 嘘であることが分かります。 当然、今生きている人間が地球に永遠に住むこともありえません。 「エホバの証人」の教えに迷っている人はこの事を参考にしてみてください。 新約のこの聖句も参考になるでしょう。 「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過 ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(コリントの信徒への手 紙二/4章18節) 地球も人間も目に見えるものです。
《編集者より》
根本的な問題は、聖書の解釈と科学の知見とが矛盾する場合にどういう態度を取るか、ということだと思います。ものみの塔の教えは、その場合は聖書を信じること、しかし適当に解釈を変えて見た目だけでも科学と調和しているように見せることでした。最も良い例は、七日間の創造の話を、一日を千年、あるいはもっと長い時間と無理やりに捻じ曲げた解釈をして、科学と聖書は調和していると主張することです。上の例でも多分、現在の天体物理学は信用できない、と言う一方で、「永遠」の解釈を適当に捻じ曲げてお茶を濁すかもしれません。あるいは、科学を全く無視するかもしれません。創造神話でも一日の長さ以外にも多くの矛盾がありますが、ものみの塔は全く無視して、聖書には誤謬はないという立場を取りつづけています。私は聖書は素晴らしい書物であり、別に聖書をけなす積りは毛頭ありませんが、聖書を文字通りに解釈する人々の弊害に警鐘を与えるために、聖書は誤謬だらけであることを人々に示し、文字通り解釈をいい加減にやめる運動を繰り広げるべきであると思っています。