「敬うこと・子孫を増やす義務」

(10-13-05)

 聖書に確か「父を敬え、母を敬え」という文言があったと記憶してます。そうなると、
証人は文字通り両親を敬わなければなりません。
 しかし、証人である兄は父を毛嫌いしていて、陰では父のことをバカだとか言ってます。
敬えというのであれば、少なくとも人の前で悪く言うことはいけないのではないかと思い
ますが、この点はどう指導しているのでしょうか。
 
 ただ、この「敬う」という言葉が、日本で通常使われている言葉との意味合いが異なっ
ているのか気になります。数千年前のユダヤ社会での「敬う」は、現在の日本社会の「敬
う」と違いはあるのでしょうか。もちろん、証人でよく勉強している人は、「敬う」とい
うことについて、ヘブライ語の語源的意味からも理解しているのでしょうから、その違い
はわかるのでしょうが。
 また、確か聖書において、神が「言う」「契約する」などの言葉は、「命令する」と同
じ語源の言葉ときいたことがあります。ですから、聖書の書いている事柄には、強い実践
がともなうものということがうかがえます。証人もヘブライ語の語源的意味からもそのこ
とは知っているのかもしれませんが、兄の陰口と「父を敬え、母を敬え」の文言をつきあ
わせると、実践どころか積極的に破っているように見えて理解に苦しみます。

 聖書に「生めよ、増やせよ、地にみちよ」という文言があったと思います。この文言を
実践するならば、証人は結婚して子どもをつくる義務を負います。しかし、兄は結婚する
様子はありません。また、証人は結婚していない人がよくいるとききます。
 どのような説明で、この神との契約をなおざりにしているのでしょうか。もはや数十億
人もの人口だから、成就しているため、子孫を無理につくる必要はないのでしょうか。楽
園が到来してから、子孫を増やせばよいということなのでしょうか。

《編集者より》
ヘブライ語の語源に関しては私は知りませんので、コメントは控えます。それから証人が子供を増やさず、結婚も控えているのは、ラザフォード会長以来のものみの塔の教えで、ハルマゲドンが間近だから、子供を作っても不幸になるだけ、家庭を持つとそれだけ宗教活動が制約されてこの終わりの時の重要な活動が出来なくなるなどの理由からであると思います。しかし、結婚だけはノア会長やフランズ会長時代にも、独身で性欲を持て余すより結婚しろという教え(フランズ会長の有名な大会演説で、聴衆が赤面してしまったという有名な話が残っています)もあり、普通に行なわれているようです。ただ、問題は信者同士でしか結婚できないことから、結婚相手を見つけることが難しいことがあって、遅れることも多いようです。