(8-25-05)
<前略> 「『ご自身のレベルを下げています』の投書に関連して」の村本様のコメントの部分、私もすごく共感いたしました。 私の司会者だった人も、 「JWは世の人より〜」 「東大(しかも医-医!!)推薦でいけるはずの人もエホバのために医者にならなかったのよ」 研究生(中学生)のときは「すごいなぁ」と思っていましたが、目が覚めてからよく思うと、 「なに言ってるのコイツ…」になりました。 よく考えてみれば、自分の夢をしっかり持っている人は「自分は本当はこんなにすごいのにこれになりた いの」なんていわないで、自分を誇って夢だけを追いかけていると思います。 自分の夢や頑張る自分の姿が、そのまま自分の誇りにつながっているから。 けれど、JWは自分の信仰を「誇っている」と言いながら、いつも世と比べています。 東大医学部に推薦なんかないし、大会の投稿を見れば一年間に100回以上も出張のあるサラリーマンと かあるけれど、どんな会社にいるんだろう?と素で疑問です。 結局、信仰の道で生きることに満足できなくて、お金がないとか高等教育がないとかに対してのジレンマ が、ありえない設定ににじみ出ていると感じます。 誇っている、エホバの基準がすべてと言うし出版物にもあるけれど、本当は世の基準やみんなに認められ ることを無理やり否定され続けたことでゆがんでしまった自尊心の発散方法なのでしょうか。
《編集者より》
エホバの証人が誇りにする基準は結局、人間の「基準」であって、彼らが欲望、羨望のとりこになっていることは、一般の人々と変わりはないと思います。言い換えれば、エホバの証人も心の奥底は、普通の人間なのでしょう。外側にあるのは「エホバの基準」という仮面なのだと思います。