(8-4-05)
「エホバの証人」は自分たちは「この世の人」とは違うという意識を常に持っていま すが、彼らは本当にこの世の人たちと違うでしょうか? 私がまだあの組織にいた時にエホバの証人の一人が私にこう言いました。「エホバの 証人の中には本当は東大に行けるのにエホバのために行かない人がいる。」 私はこの時に「変な事を言う人だな。」と思いました。 そもそも東大を日本で一番優秀な人が行く大学だと見なしていること自体がこの世の 人と同じではありませんか? ついでに言えば、エホバの証人の中に東大に行ける人などほとんどいないでしょう。 私には、高等教育を否定していながら、エホバの証人の多くが自分は優秀であると思 い込んでいるように思えました。 又、今でも覚えていますが、ある時にものみの塔協会が発行している雑誌か書籍に、 エホバの証人の間では人種差別がないことを示すために、結婚しているエホバの証人 の黒人男性と白人女性が写真付きで紹介されていましたが、私はこれを見て、「どう してこんな事をわざわざ記事にするのだろう?」と思いました。なぜなら本当に差別 していないなら話題にすらしないはずだからです。こんな事を自慢していることが物 の見事に彼らの間に差別意識があることを表していると思います。 彼らはどれだけ集会に出席しどれだけ伝道しているかによって仲間の信者の人格や霊 性を判断していますが、こういう意識こそ、この世的ではありませんか? 私から見れば、彼らはこの世の人以上に人を裁く心が強く、おかしな選民意識に凝り 固まった狂信者の集まりです。
《編集者より》
これは「ご自身のレベルを下げています」の投書に関してのご意見です。エホバの証人は自分たちが特別な「エホバの民」であるという選民意識を持っていますし、ある意味ではそれを誇りにしています。それはそれで、宗教の教義ですから非難すべき事柄ではないかもしれません。しかし、エホバの証人はそのような実質の伴わない仮想的な選民では満足できず、時々、「世の基準」でも自分たちを「世の人」と蔑視する一般人の「上」に立とうとします。たとえば、エホバの証人がいかに協力し合うか、大会の会場がいかにきれいで、ホテルや会場の提供者から感謝されるか、など等、「世の人」からの評判を誇りにするのです。あなたが紹介している例も、「エホバの基準」では物足りないエホバの証人が、「世の基準」でも勝ち誇りたいという欲望の表れだと思います。