「初期キリスト教会の姿」

(6-10-05)

エホバの証人をやめてからも思うのですが、キリスト教がまだローマ帝国により公認
され同国の国教になっていなかった時に初期キリスト教会は一体どんな様子をしてい
たのでしょうか?
エホバの証人ほどではないにしても、新約聖書の数々の書簡を読むと、私はある程
度、独善的で閉鎖的だったのではないかと思うのです。
ユダヤ教会からもローマ帝国からも忌み嫌われていたでしょうから必然的にそう成ら
ざるをえなかったと思います。
そのような状況で書かれた新約聖書に見られる教会の姿は信教の自由が保障されてい
る現代には当てはまらないでしょうから、当時の教会の運営の仕方をそのまま現在に
も踏襲しようとすれば必ず何かおかしな事態が生じるはずです。
現在のように誰でも気軽に好きな時に教会へ行けるようになるには公認化(又は国教
化)されるか信教の自由が保障されるかのどちらかでしょう。

この投書を送信する前に久しぶりに「そろそろ更新されているかな」と思い、この
ホーム・ページを見たら、ちょうど似たような内容の投書「世の終わりは来る?」と
それに対する村本さんの返答が載っているのを見ました。
私も1世紀当時のキリスト教会が理想的な社会を築いていたとは思っていません。
普通の教会の聖餐式(エホバの証人の場合は「記念式」)にぶどう酒を飲みたくて参
加していた人もいたようですし。

余談になりますが、やはり誹謗中傷の投書が少なからずあるのですね。組織の上層部
にいるエホバの証人からのものだとすれば、家庭聖書研究をやめる研究生や、不活発
になる又は断絶するエホバの証人が増えているのかもしれません。雑誌や書籍や彼ら
独特の「聖書」が売れなくなれば(*)彼らの生活が危うくなりますから危機感を
持って攻撃してくることが予想されます。

(*)ものみの塔協会は寄付してもらっていると思っているが、私に言わせれば、金
銭と交換に雑誌や書籍や「聖書」を渡すのであるから、立派に販売である。

《編集者より》
私も他の投書に書きましたように、初期のキリスト教は一種の混乱状態にあったと思いますし、それを「見習う」というのは結局、自分たちに都合のよい一部の知らされている面だけを取り上げているに過ぎないと思っています。なお、誹謗中傷の出所ですが、私の見る限り、多くのものは「上層部」というより、盲信型の「下層」信者からのものが多いようです。理路整然とした投書は、例え誹謗中傷でも取り上げて掲載していますが、ここに取り上げないものは多くが支離滅裂でわめき散らしているという内容で、たとえエホバの証人でも指導的な地位にある人にはありえないような言動だからです。