「世の終わりは来る?」

(5-30-05)

何回かメールしたものです。このHPを知って、確かにものみの塔は神の地上の唯一の組織
ではなく、ただ宗教カルトの一つにすぎないと最近確信するようになりました。
ただ、わたしはまだ現役エホバの証人ですが、聖書はやはり神の言葉だということは信じ
ています。神も信じています。組織が言うことはすべて否定しているわけではありません。
もちろん組織が間違った解釈をしている箇所も多々あるとは思いますが、無神論者であっ
た私に神の存在を教え、信仰を持てるようにしてもらえたことに関しては良かった一つの
点だと思っています。
今、図書館で借りてきたスティーヴン・ハッサンの「マインド・コントロールの恐怖」と
いう本を読んでいます。ここで書かれているマインドコントロールの方法がまさしくエホ
バの証人の組織が行っている方法にぴったり当てはまっているので、この組織はカルトの
一つなんだと思いました。それでも、まだふっきれないことがあるのですが、それは聖書
自体が語っていることです。聖書にははっきりと世の終わりのことが書いてあります。組
織が何度も終わりの年の教えをコロコロと変えようが、聖書には終わりが必ず来ると書い
ています。これは否めないことです。ものみの塔自体は非難されるべきものであっても聖
書は否定するわけにはいかないのではと思います。
それと「マインド〜」の本にはカルトの特徴のひとつとして、情報統制というのがありま
した。それは、反対者や背教者と話したり、その人たちが書いているものや流している情
報を得てはならないということをカルト組織というものは必ず信者に言っているというこ
とです。確かに協会はそのように私たちに教えてきました。しかし、聖書にはやはり会衆
の言うことを聞かない人とあいさつのことばをかけてはならないと書いていますから、
(このHPを見ている私はこの言葉に違反してますけど)エホバの組織が外部の反対者や背
教者と接触しないようにと言っているからと言って、カルトだと結論するとなると、そも
そも1世紀のクリスチャン会衆自体がカルトということになってしまうのではないでしょ
うか?
聖書には神と王国を宣べ伝えるようにと教えていますから、やはり伝道は大切であると思
います。その点ではエホバの証人は熱心に伝道しているなとは思います。ただこの組織が
間違っていると思われる点は、伝道時間を組織に報告させたり、やれ開拓奉仕だ特開者だ
となんだかんだと役職をつくり、人を高慢にさせたり落ち込ませたりと神が望んでもいな
いようなことをまるで神が後押ししているように言って、信者を窮屈で喜びをかえって失
わせるような取り決めを作っていることだと思います。このことは、イエスが言われた
「私の荷は軽い、あなたがたをさわやかにしてあげよう」という言葉に違反していると思
います。
この組織がまるで神から啓示を受けてでもいるように振舞うなら、神の裁きは逃れられな
いと思います。
ただ、聖書にはっきりと書いてあることは否定できないことだと思います。すなわち、や
はり世の終わりはいつかは来るということです。ですから私はこの組織は神の真の組織で
はないと思いますが、だからといって今更、仏教徒にもどる気もないし無神論者にもどる
気もありません。
村本さんはどう思われますか?聖書はただの宗教書であると思われますか?それとも神の
言葉だと思われますか?
毎日更新はまだかなと思いつつHP開いています。お忙しいかとは思いますが、ご意見お聞
かせください。

《編集者より》
更新が遅れて申し訳ありません。以下は私の個人的な意見によるお答えです。(このサイトの全てのことに言えることですが、私は決して自分が「真理」を知ってそれを語っていると申し上げる積りはありません。あくまで不完全な一個人の意見です。)あなたの幾つかの質問の基本的な問題は、聖書をどのように解釈するか、という問題です。それは基本的には聖書のErrancy(誤謬性)の問題に帰せられると思います。聖書はものみの塔協会が教えるように、「聖書全体は神の霊感をうけたもので、有益」なものでしょうか。聖書には誤謬がないという立場はものみの塔協会だけでなく、キリスト教の一部の原理主義的と言われる宗派でもとられています。この立場では聖書に書いてあることは全て文字通りに正しく、全てが文字通り実現するというものです。一方、別のキリスト教宗派では、聖書の解釈はその時代に則して変わるべきであるという立場をとっています。私はこの後者に近い立場であり、原理主義的聖書解釈の立場自体が聖書の誤謬を実際によく表していると思います。

最も簡単な例から申し上げましょう。私の医師としての専門分野でてんかんと言う病気がありますが、これは現代の医学で、脳細胞の異常な興奮性による病気であることが分かり、治療法も分かっています。しかし、聖書はイエスキリストも含めて、この病気は悪霊がついて起こされたものであり、悪霊を追い出さなければ直らないと教えています。この教えのために、てんかん患者は何世紀もの間、不当な差別を受けてきました。この一例だけとっても、すでに聖書の全てが正しいことを教えているという、「絶対の真理」が崩れ去ることがわかるでしょう。その他、創世記一章の創造神話から始まって、祈祷による病気の治療や女性差別から奴隷制度の容認まで、現代のわれわれの知識からは到底的外れとしか言えない教えが山ほど聖書には含まれています。

それでは聖書をどのように扱ったらよいのでしょうか。ものみの塔協会や原理主義クリスチャンは、奇妙な言い訳をつけては、文字通りの解釈にすがろうとします。たとえば脳細胞の異常な興奮性がサタンによって起こっていないとは言えないから、聖書のてんかんに関する教えもまだ正しいかもしれないとか、創世記一章の「1日」の長さは「象徴的」に解釈して、そこだけは文字通りに解釈しないが他は全て文字通りに解釈するとか、それぞれ苦肉の策を考えて何が何でも文字通りの解釈にすがりつこうとします。私はこのようなお茶を濁すような聖書解釈は邪道であると思っています。私は聖書は本来神話であり、象徴であり、それを文字通りに解釈すること自体が、神話を冒涜する行いであると思っています。残念ながら神話を本格的に研究したことのない人は、神話イコールウソという図式しか頭にありませんが、聖書以外にも世界中に多くある聖典はそれぞれみな素晴らしい神話として、多くの大事なことを現代のわれわれに教えています。聖書を神話として理解することは、文字通りの理解よりもその意義を現代により近いものにし、聖書やその他の聖典を現代に復興させる道であると私は思っています。

聖書が神話であり、文字通り解釈して実行すること自体がおかしなことであることが分かれば、あなたが疑問に思っていることも多くは解決されるのではないでしょうか。一世紀当時のクリスチャンが問題だらけでカルト的な要素を中に持っていたことは、パウロの記述を読めばよくわかることです。ものみの塔は一世紀当時のクリスチャンが何か理想的な社会であったかのように教えますが、私はこれは混乱だらけの新宗教団体に過ぎなかったと思っています。