精神障害者の年金について

(4-10-05)

こちらのサイトで読ませていただくうちに、自然消滅できたものです。
最近はやっとエホバの証人のことよりも自分の事について考えられるようになりました。
もともと統合失調を患っているので、そちらの治療に今は専念しています。

今回は前に書かれた年金のことで少々引っかかっていたのでメールしようと思い立ちました。
エホバの証人であっても年金の申請をして生計の見通しを立て
その後は全時間奉仕に精を出す方もいるのだと知って、悲しい気持ちです。
この世の人であれば雇用保険を悪用する例も多いので
人として考え方は変わらない物なのですね・・・

今回、私が気になったのは、その逆の例があることです。
エホバの証人は、もともと生真面目気質な上に
「神の目に、その行いはどう映るか」をいつも考えながら生きていこうとします。
それ自体は、宗教的にも道徳的にも悪いことではないと思います。
ただ、その生真面目気質が時として「この世」の知識がないために
悪いほうへ働いてしまうこともある、ということです。
つまり、やっとの思いで申請した障害者年金(特に心身障害者)を
一見は普通に生活している彼らをを不審に思って
「そうしてお金を貰うことは神の目に、どう映るか?」と問いただされたとき・・・
同じく生真面目で融通の利かない精神障害者の方たちは
悪いことをしている思いに駆り立てられて、年金を打ち切るようにしてしまうのではないかと。

私自身の経験で、そんなに多くない例かもしれず申し訳ないのですが
その時、私は本気で障害者年金を打ち切ろうと考えました。
思い留まれたのは、その申請をしてくれた亡くなった母が
決して簡単な申請ではないので、やめてはいけないといわれていたことです。
日本では一旦やめると再発行ができないとのことです。
今現在は色々と見直しがされ始め福祉にも力が入ってきていますが
二度と再発行されないことは無くなったにしても、2度目の申請は決して簡単な事ではないでしょう。
逆に、そういった制度の見直しのために助成金制度がなくなる動きもあります。

姉妹たちは、結局は同じく人間ですから、間違えたりもするし
正しい行いをしたいと願う強い気持ちと信仰は立派なことだと思っています。
ただ、精神障害を持って暮らして行くということが、どういうことなのか
漠然と理解しているという気持ちだけで、年金を打ち切るように促してしまう信仰心は
かなり危険なことと思います。
勉強しようにも「この世」の精神障害者の知識も少ないような気もしますが・・・

看護士の医療ミスと同様、真剣に取り上げていただきたいケースだと思います。
つまり信仰を扱う人が、知識として知っておいて頂きたいのです。
私は結局、エホバを取るかこの世の人を取るのかで悩んだ揚げ句、自殺未遂まで起こし
その後も病気が再発し、お薬を頂いてやっと平穏な?生活を送っている状態です。
あの時に、本当に年金を打ち切っていたならば、今の自分は存在していなかったでしょう。
周りに掛ける迷惑も、相当な物だと思います。

頂く薬は助成金などの申請がなければ、莫大な金額になります。
投薬費、診察費、色々な項目でお金が掛かってきます。入院となれば尚更です。
月一、月二で通院してくる患者さんは、ほとんど働くのもやっとです。
それでも一見は普通の人か変わった人程度なので
エホバの証人の方々も、そうでないひとたちも
よほど重い病状のときでない限り見分けることはできないと思います。

ある巡回監督の話ですと「精神分裂病の患者に信仰を説いても無駄」とされていました。
それは、ある意味正しい見解かもしれません。
でも基本的にエホバの証人たちは、刑務所であっても精神病棟であっても
門を叩くことを恐れてはならないと推奨されています。
「普通の生活」や「疎外感からの開放」を夢見る障害者の方たちは
エホバの証人が初めて訪ねて来たとき、おそらく「嬉しい」と感じることでしょう。
この人たちのために、エホバのためなら何でもしたいと考えるかもしれません。
ただ・・・その状態が一生涯続き、姉妹たちとの関係もずっと良い物で
家族の理解も得られ、生活も何とかやっていける状態が
信仰や宗教という名の下に「保障されてはいない」ことも自覚していなければ
危険なことのように思います。
長老の方々や精神病を友人、家族に持つ方々、当人の方々にも
本当は是非知っておいて頂きたいと願っています。

少々といいつつ長くなってしまったことをお詫びします。
エホバの証人の中でも現代人の中でも増えている精神病、心の病に関して
少しでも知っていただこうと思い書き留めてみました。
ありがとうございました。

《編集者より》
誰が障害者年金を受けるべきかはいつも難しい問題です。残念ながら世の中には悪用する人が後を経ちませんので、そのために正当に受ける資格がある人も、そのような目で見られることがあるのです。「精神分裂病の患者に信仰を説いても無駄」という言葉は色々な意味合いで解釈できます。その信仰が、ものみの塔協会の教える信仰であれば、確かに無駄であるばかりか、精神病を悪くしますので、私はエホバの証人の信仰を精神障害者に説くことは勧めません。精神病を精神医学でなく祈りで直すように教えてきたものみの塔協会の教えが、精神障害者にとって有害であることは目に見えているでしょう。しかし、その一方、心を病む人たちに一番必要とされているのは心の安らぎと救いであり、その意味ではものみの塔協会以外の健全な信仰は、精神障害者にとって有益なものとなります。皮肉なことに、私はその巡回監督の言葉にある程度合意し、精神障害者たちをエホバの証人の教えから離して、より健全な別の信仰に導くことを勧めたいと思います。