「『jwicサイトの感想』を読んだ感想」−レイダンラップ

(4-8-05)

んー。最近良く思うんですが。
 
<この”んー”という表現が面白いと思いました。よく考えているという表現ですね!>


読者の投稿と、編集者から一言を見ていると、滑稽に感じてきました。
なぜでしょうか。画面上で語られていることは、真に迫っているような印象を
受けるのですが。
なぜ、やり取りが滑稽に感じるのでしょうか。
不思議な感覚にとらわれています。
個人的に分析しているのですが。
 
<んー、私は一度も滑稽と感じたことはなく、むしろ、こんな馬鹿馬鹿しい、あるいは
 挑発的な内容の投稿に対しても貴重な時間を割くことをいとわない村本氏のポリシー
 に敬意を抱いたものです。>


神の神経学、読んでいませんが。読む気にはなれません。
なぜかと言うと。
完全に解明することの出来ない”脳”について、一個の”脳”(村本さんの主
観に内在している客観性)の組み立てた論議なんだと、感じるからです。
 
<んー、読まないのは自由ですが、わざわざ挑発的なことを言うあなたの動機は、んー、
 一体何なのかな?>


このサイトでの、村本さんの論評や、意見は時間を追うごとに剥離しているよ
うに感じるのも、理由の1つです。
んー。なぜでしょう。
もしかすると、創造者の存在を意に介さない傲慢さが意識の根底にあるのでは
ないかと感じました。
創造者が存在しようと、しまいと、関係ない。
創造者なら介入しろ。なんて、思ってらっしゃるのではないか。
 
<あなたは創造者の存在を信じてるのですね!んー、でも愛については疑問ですね!
 というのは、創造者の存在を信じてる組織が、実に愛のない、いや、傲慢、冷酷な態度を
 創造者の存在を信じている仲間に対して行ってきたことには何ら意に介していないように
 思えるからです。んー、んー、んー、もっといろいろな角度から自己吟味をしたほうが、んー、
 いいと思いますよ!>

《編集者より》
これは昨年の10月13日付けの投書「『jwicサイトの感想』」に対するものです。その方からその後投書があった様子はありませので、今何を考えているのかわかりませんが、「んー」という表現の中に、自信のなさがあるのかも知れません。レイダンラップさんも充分ご存知と思いますが、エホバの証人は本質的な考えを試される質問をされると、時々追い詰められた犬のようにただ吠えるだけで内容のない答えをしてきますが、その裏で自信を失い考え始めることがよくあります。この人も一応は吠えては見ますが、その裏で何かを考え始めているかもしれません。