「元・研究生の一人として」−11

(4-5-05)

研究生としての学びを休止してから一年になろうとしています。近所のキリスト教会へ通
いだして一ヶ月です。イースターの日に洗礼を受けました。少し早すぎるような気がしま
したが、ゆるされました。主に感謝します。
 
そこの教会で出会ったものをいくつかご紹介いたします。プロテスタントとはいえ驚くこ
とがたくさんありました。まず聖餐式のパンが酵母入りの普通の食パンだったことです。
私がそのことに軽いショックを受けたと話しましたら、同じ教会員のさる方は「些細なこ
と」だというのです。ヨシュアの名前を知らないと仰った方もいます。新約聖書の福音書
のみことばを告げると「聞いたことがない」という声も聞かれました。エホバの証人が知
ったらおそらく堕落してると言いかねないようなあまりにも自由な人たちでした。
離婚して再婚した牧師もいると聞きましたし、あまりにも長いお祈りをされているきらい
もありますし、とにかくびっくりすることばかりです。
 
この自由な人たちがキリストを信じているだけで恵みを受けるのなら、聖書のみことばを
守り、まじめに伝道活動をしていると信じているエホバの証人の方々からは、それこそ妬
まれそうです。でも、もし本当に、まったく自由でありながら聖霊の恵みを豊かに受ける
ことができたら、それこそ本当に"恵み"ではないのかと思うのです。
 
日本基督教団から移って来られて何十年もクリスチャン生活を続けていられるかたが言っ
ていたことに私も強く同感いたしました。洗礼を受けたからクリスチャンであるという考
えは持っておられなくて、イエスを救い主と認めたらその人はもうクリスチャンなのであ
ると。私もそういうふうに思います。しかし、みことばを無視するのはよくないので、や
はり「人は心に信じて義とされ、口で告白して救われ」(ローマ10:10)ると信じていま
す。「信じてバプテスマを受ける者は救われ」(マルコ16:16)ます。
 
ウチの教会へは私のほかにもエホバの研究生だった人が相談に来られていたそうです。そ
の人の疑問点というのはエホバが「此処だけが正しい」というのがどうも信じられないと
いうことだそうです。彼女の言いたいことはわかる反面、キリスト教自体が「イエスにし
か救いはない」という教えですから、疑問としてはちょっと弱いかなという気もしました。
かつてオウム真理教批判として全財産を喜捨して出家する制度はおかしいと言われたこと
がありました。キリストも釈尊も出家ですし、マザー・テレサやタイなどのお坊さんも出
家ですし、批判としてはいささか矮小かなと思います。
 
エホバの証人が目指す人格的なものや、行動として尊ばれていることが、私の理想と近い
ものだったから、要求される行動修正が小さかったともいえます。カルト宗教と呼ばれて
いようとどうしようと私個人のなかでの葛藤は少なかったといえます。それだからカルト
宗教の汚名を拭えるとまでは思いませんし、深く傷ついた方に対して押し付けるものでも
ありません。
 
これからもこのサイトで「エホバだけが正しいのではない」と信じられる情報開示を期待
しています。そして苦しんできた人には希望を、傷ついた人には癒しをもたらしますよう
に。
主イエス・キリストの御名を通して、アーメン。

《編集者より》
聖書の解釈とその遵守をすることがクリスチャンと思っているエホバの証人と比べると、個人的なキリストとの関係が第一と考える一般のキリスト教の世界は、異質ですが全く新たな境地を開いてくれると思います。大事なことは、あなたの心に柔軟性を持たせ、新鮮な見方を反射的に排除するのでなく、勇気を持って全てに心を開くことでしょう。あなたはそれができるだけの勇気がありましたが、多くの組織に忠実なエホバの証人や研究生は、その勇気や心の柔軟性が持てないのだと思います。あなたは一連の投書を通じて、心の独立性と柔軟性をいつも保って来られた方であることがよく分かります。その態度に敬意を表すると共に、今後もその態度をキリスト教会の中でも持ちつづけて下さい。