エホバの証人の自殺と輸血拒否の問題−精神科医の方より

(3-7-05)


始めまして。輸血に関しての疑問を持ち、2chからここに誘導してくださった方がおりま
してメールをさせていただきます。

私は某大学付属病院に勤める精神科医です。申し訳ありませんが仕事上の都合と患者様の
プライバシーの為友人のアドレスから送らせていただきます。

ここ2週間ほど前でしょうか。精神科への受診をかたくなに拒否し、何度も自傷行為を繰
り返しとうとう亡くなられた方がおられます。

私は精神神経科でも特に救急室勤務で勤めておりまして、希死念慮からくる自死企画、自
傷行為、規定量を大幅に超えた服薬の処置等をすることが多く毎日を生と死の狭間に仕事
をしております。それゆえ「死」という概念が他の方より重要視できなくなる事もしばし
ばだったのですが、あまりにも心残りな亡くなりようをされたある若い女性についてどう
しても納得が行かず、ここ数週間考えております。

まず、その患者様の経緯からお話させて下さい。

半年前ほどからになります。必ず夜中に酷い自傷行為をしては救急隊に運ばれてくる若い
女性がいらっしゃいました。主に腕を中心に一箇所に十数針も合わせなくてはいけない創
傷をいくつも作っては血液まみれで運ばれ、出血とショックのため意識は混濁していまし
た。こういう症状を良く「リストカット」というのですが、大体の患者様は傷を創り、血
を有る程度流す事によって気分を落ち着かせることができます。その傷は大抵5p未満で
しょうか。けっして死にたいが為にする行為ではなく、感情処理に対する一種の「代償行
為」として行なうことが多く、その嗜癖はなかなか寛解に到ることは出来ないのですが、
これによって自死を遂げるという事もありません。しかし彼女の場合は来院のたび血管、
神経を損傷し、縫合以外の処置も行なわなくてはなりませんでした。

お解かりでしょう。「輸血」を提案したのです。彼女は意思表示が出来ません。この場合
親族に決定権が委ねられます。この時救急車で母親が付き添ってらっしゃいました。もち
ろんその方にお話しするわけですが、母親は全く話にならなかったのです。なぜなら母親
は救急車の中から要救助者の娘に対し、わめきちらし、罵倒の言葉を浴びせ続けていたの
です(救急隊の話より)。もちろん処置室に入っても私達から見れはありえないような罵声
をあびせ続け、甲高い声で「神がどうの・・・」といった発言を繰り返して治療の妨げと
なったため、外へ出て行って貰って頂いたほどの状態だったのです。

もちろん母親は輸血を力強く拒否しました。そして今から牧師?(に当たるような方でし
ょうか)を呼ぶので絶対にするな、裁判を起こすと言われ全く面食らったのは言うまでも
ありません。もちろん拒否する権利は患者様にあります。緊急的な事態ではなく、血液を
直接入れたほうが回復が早い旨を申し上げたのです。血液損失の際に「吹き出ている」様
な状態でなければ、また患者様の身体にまだ余裕があるような状態であれば薬品を使いま
す。なぜなら血液を媒体として入る疾病のリスクを私達は良く知っているからです。ほど
なくしてその方々数名が現れ、教会指定の書類でしょうか、治療者として当然存じ上げて
います!というような事項を一時間以上に渡ってレクチャーされ、私は仕事になりません
でした。彼女は貧血状態のまま呼吸も浅く(つまりその間なんの処置も施せなかったので
す)、入院をして頂かなくてはならない旨申し上げましたが、断固として連れて帰る、弁
護士を連れてくると言い出し大騒ぎになり、私は医療保護入院の措置をとらざるをえなく
なりました。こうして彼女は一日だけ入院し(措置が施せる時間が決まっているので)迎え
の母親は、まったく彼女の状態を聞こうとせず、彼女に目もくれず退院しました。私は強
く精神科への受診を勧めたのですが、まったく話になりませんでした。

それから計6回にわたって来院のたび上記のような事が繰り返され、この親子は救急外来
の名物となりました。まだあどけなさを残したような彼女の残忍な自傷行為と、それ以上
に残忍な母親の態度にです。普段冷静な救急部のスタッフも彼女に同情し、「絶対に助け
てあげるからね」とナースたちは声を掛け、医師たちは憤慨しました。私が彼女の来院を
担当したのは3回でした。そしてその3回目で彼女は無念にも亡くなってしまいました。
首にある重要な血管にかみそりを思い切り突き刺し、1cmも刃の部分の無い物でそこに到
達させたのです。ためらった跡はありませんでした。たったひとつ、4cm程度の傷でした。

血管に傷を付けた瞬間に、血液は吹き上がり助かる見込みはほぼ無かったと言って良いで
しょう。母親は救急車を要請します。しかし、助かる見込みの無い、もしくは搬送中に亡
くなってしまう要救助者に対し、救急隊は応えません。それでも事情の分かっていた隊員
が私がいた救急室へコールをしました。普段でしたらこのようなことはありません。です
が私も引き受けるといい、助かる見込みを信じたい気持ちでいっぱいでした。外科の医師
はバタード(虐待)通報をする用意があったと教えてくれました。救急車が到着し、扉を開
けたとき、無念な気持ちで一杯になりました。車中が血液で真っ赤だったのです。すでに
死亡確認もされ、何分も経っていました。それでも運び込み蘇生を試みました。そこに居
たすべてのスタッフは奇跡を願いました。反応が出て欲しい、必ず精神科に受診させる、
彼女のこれからの人生を助けよう、そう思いました。そこへ母親は飛び込んできて、こと
もあろうかこう言ったのです。

「輸血しないで下さい!」

私は怒りで一杯でした。外科医は「あんたの娘さん、死んでるんだよ!」と叫びました。

医者は聖職者ではありません。死人を生き返らせることも出来ません。その人本人が生き
る、その手助けをさせてもらうだけです。

だからこそ生に、死に、特別な思いを持ち、それが私達の仕事の礎です。

私がこの仕事について20年以上になろうとしていますが、これだけ命というものを大切
に見つめない方は初めてです。

そして我が子の命をも守ろうとしない事も。

人間には全て心があり、臓器と同じように心も壊れてしまう事があること、これはこの宗
教では認められないことなのでしょうか?

精神科に通うことは罪ですか?

私は宗教の否定はしません。精神科に受診なされた方の半分ほどは何かしらの信仰や神を
持っていらっしゃいます。私達におぎなえない心の満ちたりを感じていらっしゃるのでし
ょうと思います。ですからエホバという宗教が納得できないのです。

保護措置をとっていたら、受診をもっと強く勧めていたら、と後悔の念で一杯です。

エホバの証人という宗教の生命への理念を教えてください。
                                       
             長文失礼致しました。

《編集者より》
貴重な症例を教えていただきありがとうございました。重要な症例でありながら、お返事が遅れて申し訳ありません。同じ臨床に携わる医師として、この症例がいかに重要であるか、私も充分に理解いたします。もしまだやられていないのであれば、これは正式に症例報告を行なうべき例であると思います。

まず基本的な情報ですが、エホバの証人の輸血拒否と生命への態度はこのサイトと関連した、「エホバの証人と血の教え」にある多くの文書を参照して下さい。また、エホバの証人の精神科医に対する特別な見方は、「エホバの証人と精神疾患」のページをご覧下さい。

この症例が特に重要な理由は幾つかありますが、あなたも指摘されているように、自殺の意志が他の自殺未遂の例に比べて、自傷の方法や傷の深さから、かなりはっきりしていて強いように見えます。輸血を拒否する自殺者の輸血をどのように扱うかは、医療倫理の関係者の中で解決を見ていない問題です。事故や産科手術に伴う大量出血の場合には、輸血を拒否する意志と生存を望む意志とは一貫性がないわけで、本人の真の意志を引き出すことが常に問題になり、インフォームドコンセントや「医療に関する事前の指示および継続的委任状」の信頼性が問題になってくるわけです。しかし、自殺をはっきり表明した人間が輸血を拒否する場合、その二つの意志は一貫性があり、そこに疑問を挟む余地はなくなります。更にこれは更に大きな倫理上の問題である、自殺者の自己決定権をどのように尊重するかと言う大きな問題につながります。それはまた、全ての自殺を精神の病気として扱うのか、自己決定権としての自殺は社会として尊重されるのか、という問題があります。日本ではそのような見方はまだないと思いますが、私が診療しているアメリカ・オレゴン州では、死期が近づいている患者に限り、医師の処方による自殺が認められています。これはアメリカ50州の中で、オレゴン州だけですが、オレゴンで診療する医師として、私は精神疾患によるのではなく、自己決定権としての自殺を選択する権利を尊重しています。このような患者を扱う場合の大きな課題は、そのような自殺を望む患者の中から、精神疾患の患者を見つけ出し必要な治療を与えることと、精神疾患でない自殺志願者を見極めることです。あなたも充分経験されているように、多くの自殺志願者は、精神疾患の治療によりそのような意志はなくなり生きる希望を持つことができます。この症例も充分な精神医療の診断と治療を受けられなかったことは、ものみの塔協会の教えの影響であるにしても、残念なことだと思います。この問題を扱う多くの医療従事者への提言にもなると思いますので、是非症例報告を考えて下さい。


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