「大学教育否定の愚」

(2-27-06)


大学教育から多大の益をうけているにもかかわらず、それを否定する組織。
これぞ完全なる自己矛盾である。
いったい、自らの主張の正しさを立証するために、これまでどれほどたくさんの学者の方
々の書物から文章を引用してきたことか。
まさか、そうしたことを忘れたわけではあるまい。
いや、実はそうなのか。
これでは、かつて、大岩から水を出したあとのあのモーセの態度と違わないではないか。

全ての兄弟・姉妹たちが、こうしたことに気づくようになってほしい。
組織の間違いを黙って見逃さないでもらいたい。

一方的に大学教育を否定し、大学で学ぼうとするクリスチャンを排除しかねない“統治体
”の考え方は、絶対に間違っている!
私は一人のエホバの証人として、このことを強く主張する。


村本様には引き続き、客観的で有益な情報提供をお願い申し上げる次第である。
日々の努力に感謝し、敬意を表したい。
そして、少しでも多くの兄弟・姉妹が、貴サイトを閲覧し、それをきっかけに、理性を働
かせながら信仰の道を歩むようになることを願いたい。

我々全ての人間に「考える力」を与えてくださったエホバ神に感謝しつつ…

《編集者より》
親切なお言葉をありがとうございます。ここではこの問題をものみの塔協会の見方から答えてみます。ものみの塔の見方からすれば、組織と組織に献身するエホバの証人は、これを自己矛盾とは思っていないと思います。組織はその目的のためなら利用できるものは全て利用するというのが基本的な態度です。国連であろうと、警察官の保護であろうと、政治家の支持であろうと、学者の研究成果であろうと、自分たちの組織の活動の役にたつものは、エホバが与えてくれたと信じて、徹底的に利用します。しかし、自分たちがそのような役割を果たす気持ちは全くありません。なぜかと言えば、エホバの証人とものみの塔の組織は特別な存在であり、特別な使命があります。王国宣教に手一杯で、高等教育や公共の奉仕などに費やする時間も人力もお金もないのです。エホバの証人以外の「世の人」や、「この事物の体制」は、この「特別な使命」の単なる道具に過ぎないからです。エホバの特別な組織は、そのようなエホバから与えられた「道具」を自由に使って構わない特権を持っているのです。このように理解すれば、大学教育を否定することも、国連と提携することも、決して自己矛盾とは考えられなくなるのです。


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