「2月15日 今年最大の悲劇の日」

(2-17-05)


2月15日 火曜日 今年最大の悲劇の日 

例年行なわれている輸血拒否カードの作成が、今年は2月15日の火曜日、書籍研究の後に
行なわれました。全員がカードを持ち寄り、署名をし、証人2名がそれを確認しそのカー
ドに立会人として署名をするのです。毎年見慣れた光景ですが、この手続きのために、ま
た多くの人の命が犠牲になるのかと思うと心が痛みます。私は群れの司会者ですので例年
多くの群れの信者が私に署名捺印を求めてきますが、今年は印鑑を忘れたと嘘をいい署名
をしませんでした。私にとってその方が良心を痛めずに済むからです。人の命の尊厳が分
かっている人であるなら簡単にサインなどできるはずはないと私は思います。私には2人
の子供がおりますが、もし彼らが不幸にも事故に遭い、生死をさ迷うならば私は躊躇なく
最善の方法を取るよう医師に依頼し、医師が輸血が必要であると判断するならばその決定
に協力すると思います。例え排斥(今では断絶扱い)されるとしてもそうすると思います。
なぜなら親には子供の命を守る大きな責任があると思うからです。協会は、両親がエホバ
の証人であるならば、その子供にも輸血カードを持たせるよう指示をしますが、それは大
きな間違いです。親であっても、たとえ親権を持ち法的に正当であったとしても、子供の
生きる権利や生きる機会を決して奪ってはいけないのです。よく「ものみの塔」や「目ざ
めよ」誌で子供の輸血拒否の美談が載り読者の涙を誘いますが、私のエホバの証人として
の40年の経験から、判断力のない幼い子供が自らの信仰でこのような重要な決定を下せる
とはとても思えないのです。もう15年近く前になりますが、会衆の2歳になる女の子が白
血病になり、輸血拒否のため最後まで苦しんでいった姿を未だに忘れることができません。
親は当時熱心の信者で、どのよう処置も血が関係しているならだめだと言い張りましたが、
最近の「ものみの塔」の記事を見て、今の見解ならあの時命を救うため何か適切な処置が
取れていたのではないかと時々漏らしています。私も会衆の長老として輸血拒否連絡委員
(昔は今ほど輸血に精通した兄弟達はいなかった)の兄弟達と一緒に担当医師と面談しま
したが、医師の無念さがひしひしと伝わってきたことを今でも覚えています。巡回監督た
ちは様々な美談(それも子供の輸血拒否の例が多い)を用いて輸血拒否を正当化しますが、
子供を持たない者に子供の命の尊さなど絶対に分かるはずがありません。協会や巡回監督
たちは輸血拒否のために実際に起きている数々の悲劇についても真剣に目を向け公表すべ
きなのです。そしてカードを作るかどうかは本人の良心と決定に委ね、同じ書式で、同じ
日に一定の手続きを取らせ一種の年功的行事を早く廃止すべきだと思うのです。
そして今研究している皆さんに声を大にして訴えたいのは、子供の命はあなたのものでも、
エホバのものでもないということです。それはエホバからの贈り物であり、その命を大切
に扱うことを神は心から喜ばれるのです。輸血は神のご意志を無視した方法とは思いませ
ん。なぜならエホバは人の生きる権利や生きる機会を尊重される神で、子を思う親の気持
ちを心から汲んでくださる同情心に溢れる神だからです。私はエホバの証人の長老ではあ
りますが、早くこの悲劇の日(輸血カード記入日)がなくなることを心から願っています。

《編集者より》
エホバの証人の長老の中から、このように声無き声として「死の掟」に反対する声が上がってくることは実に心強く思います。今後も各会衆で、組織の宣伝する「空手形の永遠の命」でなく「現実の命を優先する医療」の動きが表面下で広がることを期待します。


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