「元・研究生の一人として」−9

(1-25-05)


未曾有のTUNAMI被害からおよそ一ヶ月がたちました。災害の大きさから聖職者が神
の存在を疑う発言をされたという報道もありました。戦争で亡くなったかたの数を考える
と、正直いって幻滅する言葉です。人災なら納得がゆくということなのでしょうか。よく
わかりませんが。
  
4月に”研究生”をやめて、何か不快なことでもあったかといえばまったくなく、スッキ
リもせず不安もなく暮らしています。
私の同級生(エホバの証人)がひとりでウチにやって来て、別の同級生の死を伝えてくれ
ました。信仰以外のことで会いに来てくれたことがとても嬉しかったです。
また、同じグループで集まっていたときのA夫妻にも自宅前で遭遇し、ビックリしました。
その日は12月25日クリスマスでした。新聞受けをのぞきに行きましたら、わきからお
二人そろって出てこられたのです。
「戸別訪問の最中」だと仰ったけれども、なぜだかそんなふうには見えず、当たり障りの
ないお話をして帰ってゆかれました。
 
もしも私が家の中に招いていたら、もっと親しい対話ができたかもしれないと思い、後悔
しています。とくにご夫妻の場合、あまりお元気な話し方ではなかったのです。
エホバの証人たちに同情的な面を多く持っている私としては、もっと積極的に自分から動
いてゆくべきだろうかと思案しています。彼らが受け入れてくれるなら対話したいと思い
ますが、村本様はキケンだと思われますか。
 
私がサタン側の教会の者になったらどうでしょうか。じつは近所にある教会で洗礼を受け
てもいいと考えるようになりました。ただ、一般的な教会だからといっても、冒頭に書き
ましたように幻滅することも多いのは確かですから、組織に対する尊敬や従順がそだつの
かどうか自信がありません。教派もべつにこだわりませんし、個人的な信仰ですむのなら
組織に属さなくてもかまいません。
問題なのは、なぜ「ものみの塔」ではないのかというところです。私は「ものみの塔」の
ノルマにはついていけませんし、努力するつもりにもなれません。そこで、エホバの証人
という人達はなぜやってゆけるのだろう、と嘆息してしまうのです。

《編集者より》
一般的に言って、エホバの証人の実態を知ってあなたのように「免疫」のできた人は、エホバの証人と親密に付き合うことに危険はないと思います。むしろ、エホバの証人の側があなたを危険と感じて避けることの方が可能性として高いと思います。教会で洗礼を受けて、一般的なキリスト教の信者になるかどうかはあなた自身の全く自由な判断によります。私の意見を言わせて頂ければ、エホバの証人と似たような教会組織に、何か理想の団体を夢見て教会に入ることは危険であると言うことです。教会は全て不完全な人間の集まりであり、ある部分はものみの塔よりも混乱して醜い部分もあるかも知れないということを承知していないと、幻滅してものみの塔に出戻るとうことになりかねません。キリスト教の信仰は何よりも個人と神との親密な関係が第一であり、教会組織はただの補助に過ぎないということを承知していれば、問題はないと思います。もっとも、そのような認識があれば、洗礼を受けて教会に属することの大きな意義も見えないかもしれませんが。


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