「終わりの日のしるし」−地震活動は変化しているのか?

「そこからここへと…地震がある」

大地震の起きる頻度は1914年以前の2,000年間における平均の20倍にまで増大しました。
(「新しい地へ生き残る」ものみの塔聖書冊子協会1984年23頁)

これは,1914年以前の2,000年間と比へて,それ以後の年間平均地震発生率が20倍も増加したことを意味しています。
(「聖書から論じる」ものみの塔聖書冊子協会1989年118頁)

地震観測の歴史

地震学は歴史の浅い学問である。現代の地震学の基礎は、1880年にジョン・ミルンによって地震計が発明されたことによって築かれた。これにより、今世紀の初頭以来、初めて正確な地震の計測が可能になった。しかし、世界規模で地震計の網の目が張り巡らされるには更に時間を要し、1950年代の終わりになって、ようやく世界中の地震がすべて正確に観測できるようになった。

地震の歴史を研究するに当たっての困難の一つは、今世紀に記録されている地震を、それ以前の歴史上の地震と比較することである。過去、19世紀以前の地震は、地震計による記録が無いばかりでなく、その記述も不完全であり、当然、この困難は歴史が古くなればなるほど、ますますひどくなる。従って、ほとんどの地震学者は、今世紀に入って地震の起こり方に有為の変化があったかどうかを確証することは困難であるとしている。

昔の地震を研究することのもう一つの困難は、多くの地震が歴史が最もよく記述されているヨーロッパの外で起こっていることである。地球全体の地震エネルギーの80パーセントは環太平洋地震帯で放出され、15パーセントが地中海から南アジアを横切る地震帯で放出されると言われている。従って、ヨーロッパ中心の歴史をたどる限り、地震の記録は非常に不完全である。地震学の父と言われるジョン・ミルンは、「17世紀以前、そしてキリストの時代以前の地震の記録は、ほとんど南ヨーロッパ、中国と日本に限られている」と述べている。

今世紀に入ってからの地震の記録を見てみると、沢山の大地震が、これらの古代からの記録が残っている地域の外で起きている。従って、これらの地域での地震が歴史的に見て増えているかどうかを客観的に調べることは不可能である。しかし、ものみの塔協会は、なぜか1914年以来の地震の増加を述べる時、このような基本的な問題点を全く明らかにしていない。

「大きな地震」とは何か

イエスは、ルカの記録によると、「大きな地震」があるであろうと言っている(ルカ21:11)。それでは、この「大きな地震」が意味するものは何であろうか。現代では地震の大きさは様々の尺度で計られている。最もよく使われれている尺度は1935年にC.F.リヒターによって作られたリヒター・スケールであろう。これは地震の放出するエネルギーの総量を推測するもので、日本で使われているマグニチュードもリヒター・スケールの一つであり、このスケールが一つ増える毎に地震の総エネルギーは約三十倍に増える。しかし、このエネルギーを推定する現代の地震の大きさの尺度は、必ずしも地震の被害の大きさとは比例しない。

例えば、カリフォルニア州、オーエンズバレーで起きた1872年の地震は、アメリカで過去150年間に起こった最大の地震の一つとして知られており、そのマグニチュードは8.3と推定されているが、この地域は人口密度が少なく、たった27人が死亡したに過ぎない。一方はるかにエネルギーの放出の少ない地震が、たまたま人口密集地帯に起きると、何千人、何万人の死者と建造物の被害を出す。

仮に主要な地震をマグニチュード7.0以上、大地震をマグニチュード8.0以上とした場合、これらの地震の頻度が1914年以降増加しているという証拠があるのだろうか。もちろん、ものみの塔協会はそのような証拠を示してはいない。それでは世界の地震学者たちはこの点に関してどう考えているのだろうか。リヒタースケールを作り、アメリカ地震学会の会長もつとめたチャールズ・F・リヒターは、1969年の「Natural History」という雑誌に次のように述べている。

一部の宗教団体が現在の不幸な時期をとらえて、地震の数が増えていると主張していることは面白いことです。その理由の一つに、世界中にある最近のより敏感な地震計によって、ますます小さな地震が観測され、分類されて記録されていることにより、宗教団体が惑わされていることが挙げられます。実際には、1896年から1906年の間の十年間の大地震(リヒタースケール8以上)の数、約25は、それ以後のどの十年間に起きた大地震の数よりも多いということは注目に値します。

興味ある事は、ものみの塔協会はこのリヒターの言葉を引用して反論していることである。1974年2月1日号(英文版)のものみの塔誌72頁には、上のリヒターの言葉を引用した上で、イエスは聖書の中で十年間の期間の地震の回数について言及したのではなく、「この世代」の間に起こる地震のことを言ったのであること、そしてイエスが言及している地震の大きさは、リヒタースケールやマグニチュードで計れるものではなく、人の命に対する損害の大きさでなければならないとして、上のリヒターの忠告をしりぞけている。しかし、ものみの塔のこの反論が的外れであるのは、上のリヒターの言葉が、地震の回数が今世紀に入って増加しているという(ものみの塔協会も含む)宗教団体の主張は根拠が無い、と言っているだけで、リヒターはどこにも聖書の言葉には言及していないことだ。ものみの塔の反論こそ的外れと言える。

しかし、上のリヒターの記事は1969年に発行されたものだ。もしかしたらそれ以降、地震の頻度は増えているかもしれない。その点はどうであろうか。次の表は米国地質調査所(U.S.Geological Survey)が発行した統計をそのまま転載したものだ。世界中の1900年から1997年までの毎年のマグニチュード7.0以上の地震の回数がすべて記録されている。

毎年の世界中のマグニチュード7.0以上の地震の回数
1900 - 1997年

(U.S.Geological Survey)

回数

回数

回数

回数

1900
1901
1902
1903
1904
1905
1906
1907
1908
1909
1910
1911
1912
1913
1914
1915
1916
1917
1918
1919
1920
1921
1922
1923
1924
1925
1926
1927
1928
1929

13
14
8
10
16
26
32
27
18
32
36
24
22
23
22
18
25
21
21
14
8
11
14
23
18
17
19
20
22
19

1930
1931
1932
1933
1934
1935
1936
1937
1938
1939
1940
1941
1942
1943
1944
1945
1946
1947
1948
1949
1950
1951
1952
1953
1954
1955
1956
1957
1958
1959

13
26
13
14
22
24
21
22
26
21
23
24
27
41
31
27
35
26
28
36
39
21
17
22
17
19
15
34
10
15

1960
1961
1962
1963
1964
1965
1966
1967
1968
1969
1970
1971
1972
1973
1974
1975
1976
1977
1978
1979
1980
1981
1982
1983
1984
1985
1986
1987
1988
1989

22
18
15
20
15
22
19
16
30
27
29
23
20
16
21
21
25
16
18
15
18
14
10
15
8
15
6
11
8
7

1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997

13
10
20
16
15
25
21
18
 

1900-1997 年のマグニチュード7.0以上の地震の総回数 = 1960 回 = 年平均 20 回

1900 年以来最も地震回数の多かった年 = 1943年

1900 年以来最も地震回数の少なかった年 = 1986年

1900 年以来最も地震による死者の多かった年 = 1976年
(中国の"Tangshan quake"河北大地震の29万5千人から69万9千人と推定される大量の死者による)

この統計は、The Earthquake Data Base System of the U.S. Geological Survey, National Earthquake Information Center, Golden COによる。


この統計は、幾つかの重要な点を物語っている。専門的な数理統計処理の話は省略しても、各年によって大きな数値のばらつきがあるものの、平均値の年間約20回という数値はほとんど変わっていない。ものみの塔協会の主張(それは確かにイエスの語った言葉とは異なるが)である、1914年以来大地震の起きる頻度が増大したという主張を検証するには、たとえば1914年以前の15年間(1900−1914)と1915年以後の15年間(1914−1929)でどれだけ地震の回数が増えているかを調べてみれば、その傾向はつかめるであろう。

1900−1914の15年間のマグニチュード7.0以上の地震の総数 = 319 回

1915−1929の15年間のマグニチュード7.0以上の地震の総数 = 274 回

このように現代の信頼のおける地震の観測ができるようになった1900年以後を見てみただけでも、一つだけはっきり言えることは、ものみの塔協会が主張するように、地震の回数が1914年を境にして急に増加したという証拠は全くないのである。

地震による被害が増加しているのか

確かに上のようにマグニチュードによる地震の大きさの定義では、ものみの塔協会の主張は全く根拠がないように見える。この点を克服するため、ものみの塔協会は次のような「大地震」の定義を採用した。

「大きな地震があ(るでしょう)」(ルカ21:11)

確かに過去の世紀にも大地震がありました。その上,今では科学者たちは高感度の装置を用いて,1年に地震を100万回以上探知します。しかし,大きな地震か起きる場合,人々がそれを知るのに特別な器具はいりません。
1914年以後の大地震の発生回数は,実際に重大な意味を帯びるほどのものだったでしょうか。1984年に,コロラド州ボールダーの全米地球物理学データ・センターから得たデータと幾つかの標準的な参考文献を補足資料として用いた表が作成されました。その表にはマグニチュード7.5かそれ以上を記録した地震,または500万(米)j以上の金額に相当する財産を破壊したり,100人以上の死者を出したりした地震だけが載せられています。
1914年以前の2,000年間にはそのような地震の発生は856回と計算されています。ところが,1914年以後のわずか69年間に,そのような地震が605回あったことを同じ表は示しています。これは,1914年以前の2,000年間と比へて,それ以後の年間平均地震発生率が20倍も増加したことを意味しています。(「聖書から論じる」118頁)

このコロラド州ボールダーの全米地球物理学データ・センターの地震データーベースは一般に公開されており、現在ではCD-ROMを購入し、様々な地震活動の研究が自分でできるようになっている。ものみの塔協会はこの1984年に彼らが得たデーターの実際の内容を明らかにしないので、このデーターベースに対してどのような処置を行って上のような結論を出したのかは明らかでない。しかし、このデーターベースでは、マグニチュード、死者の数、被害金額、を自分の希望に合わせて設定した上で全てのデーターベース上の地震を検索できる。ただし死者の数、被害金額は推定できる場合のみで、昔の地震ではこれらは不明のため多くがゼロとなっている。ここでものみの塔協会が、聖書は地震のマグニチュードには言及していないといいながら、なぜマグニチュード7.5を大地震の基準にしたのかは不明である。

このものみの塔の大地震の基準には、予備知識のない読者を誤った結論に導かせる幾つかの重大な問題が含まれている。

先ず第一に、このデーターベースを見ればすぐにわかるが、昔のデーターは単純に、特定の地域のある時期に限られている、すなわち人口がある程度あり、記録できるだけの文化があった場所と時期の地震に限られていることである。それにひきかえ、今世紀に入ってからのデーターは、世界中に張り巡らせた高感度地震計のネットワークのお陰で、全ての地球上の地震が記録されるようになった。当然、地球全体では地震が増加しているように見えるのも不思議はない。

また、古いデーターになればなるほど、情報は不完全であり、多くの情報が欠如している。例えば、歴史的に大地震であっても、マグニチュード、死者数、被害についての記録がはっきりしなければ、このデーターベースではそれらはゼロと記録されているので、上のものみの塔の検索基準に従えばひっかからない。それにひきかえ、1900年以降の地震のほとんどすべての情報はこれらのデーターが保存されており、従ってこの基準に従えば最近の地震になればなるほど、多く検索にひっかかり勘定される仕組みになっている。

次に重要な点は、過去2−3世紀、そして特に今世紀に入ってからの人口の爆発的増加がある。建物や財産もそれまでにないほど密集している。当然地震の起き方には変化がなくとも、死者や財産の被害額が人口の爆発的増加にともなって増えるのは当然である。また昔の財産の被害額を、今のドルの価値で換算すれば、物の価値がはるかに低かった昔ほど、多くの地震がこの基準にひっかかりにくく、最近の地震ほど多く数えられることになる。これは地震そのものが1914年に入って急に変化したことを示すものではなく、ただ単にこの時期に入って人口が急増し、富が蓄積したことの反映に過ぎない。

しかし何と言っても、ものみの塔の最も欺瞞的な議論は、1914年を変化の年と決めたことである。彼らは1914年以前の地震と1915年以降の地震の二つのグループに分けて比較しているが、このようなグループに分けることはが作り上げるトリックに、多くの予備知識と疑問を持たない読者は気が付かない。ものみの塔協会は1915年以降の約70年間と1914年以前の約3900年間の記録を同じように平均して年間平均地震発生率を計算し、それが20倍に増えたと主張する。しかし、この過去3900年間には、地震の記録がないに等しい紀元前の2000年間と記録のごく限られている紀元後の約1500年間が含まれているのだ。この膨大な3500年間を母数に含めて平均すれば、その希釈効果により、1914年以前の地震の頻度は極端に少なく見えるのは当然である。

もっとこの欺瞞を明確に示すためには、このデーターベースを少し方法を変えて検索してみればすぐわかる。上記の「聖書から論じる」の結論は何も1914年を境にしなくとも、たとえばフランス革命のあった1789年でも、第二次世界大戦の始った1939年でも全く同じ結論、すなわち、それ以前の3800−3900年間に比べれば劇的な地震の増加が結論されるのである。すなわち、1914年でなくとも、過去2世紀の間のどの年を取り上げても、全く1914年と同じ結論が出せる。このことは、地震のデーターに基づいて1914年を正当化することは、科学のベールに隠された、全くの虚言としか言いようがない。

ものみの塔の使う統計のトリック

数字はうそをつかない、と言われています。しかし、用心しなければなりません。。正直な仕方で用いれば、統計は非常に役に立つ、有用なものとなり得ますが、統計が人を欺くような仕方で提供されることもあるのです。(「目ざめよ!」(日本語版)1984年4月22日25頁)

この、ものみの塔協会の教える「人を欺くような」統計の使い方への警告は、まさにエホバの証人一人一人が、ものみの塔協会の教える統計そのものに注意深くあてはめる必要があることは、上に述べた「聖書から論じる」の本に書かれた統計のトリックをそのよい例として学ぶことができる。

ここではもう一つの興味あるものみの塔の統計を見てみよう。「目ざめよ!」誌1961年2月22日号7頁(英文版)では、1914年以前の毎年平均の地震による死者の数を5000人としている。しかしこの数は、なぜか次々と減少していく。1974年2月1日のものみの塔誌(英文版)73頁では、1914年以前の地震による年間平均の死者は3000人となっている。さらに、1980年発行の「幸福それを見いだす方法」(英文、日本語版とも)149頁には、この数はなんと1800人にまで減らされている。(次のイメージを参照)もちろんものみの塔は、1914年以前の地震による死者を少なく見積もることにより、1914年以降の地震による死者が増加したことを劇的に示そうとして、このような数字のトリックを使っているわけだが、それではこのような数字に何らかの科学的根拠があるのだろうか。

 

1914年以前の地震による平均死亡者数

「目ざめよ!」誌1961年2月22日号7頁

5000人/年

ものみの塔誌1974年2月1日73頁

3000人/年

「幸福それを見いだす方法」1980年149頁

1800人/年

この年間平均死者数1800人という数字の説明は、1977年2月22日号の「目ざめよ!」誌、11頁に出ている。それによると、856年から1914年の1059年間にたったの24回しか大地震が起こらず、その死者の総計が197万2952人であるのに対し、1915年から1976年の62年間に43の大地震が起こり、死者の総数が157万9209人に上ったとしている。ものみの塔は、この1059年間に24回しか大地震が起こらなかったという統計の出所を、「信頼できる筋」というだけで、明らかにしない。しかし、以下に見るように、本当の「信頼できる筋は」同じ1059年間に文字通り1000以上の大地震が起きていることを示している。ものみの塔の不正直はこれだけにとどまらない。わずか24の1914年以前の大地震と比べているのは、これらの歴史上に残る大地震とは比べ物にならない、比較的小さな地震(幾つかの地震は死者の数が100人にも満たない)まで含めて1915年以降の43という数を出しているのだ。この1977年2月22日号の「目ざめよ!」誌の記事には、後で詳しく述べるようにもう一つのトリックが隠されている。

それでは、実際に過去における地震による死者はどのように見積もられているのであろうか。これは、前に述べたように正確な記録がない以上、総合的に判断した推測でしかありえない。地震学者、J.H.Latterは、「紀元1000年以来、最低限5百万人が地震により死亡し、50万人が火山で死亡した」と述べている。しかし、彼はこれに付け加えて、「多分最大数は、この数の2倍から3倍であろう」としている(Advancement of Science June 1969, p. 362)。もう一人の著名な地震学者Bathは次のように書いている。

歴史の全ての時期を通じて、5千万人から8千万人の人間(ある推定によれば7千4百万人)が地震とそれに伴う災害、火事、土砂崩れ、津波などで命を落としたと推定されている。(Markus Bath, Introduction to Seismology, 2nd ed., Basel, Boston, Stuttgart 1979, p137)

このように、ものみの塔協会は1914年以前の地震による死者を、独特の方法を使って少なく見積もる一方で、1915年以降の地震の数を増やすことにより、自分たちの1914年の教義を正当化しようとする。次の表に見る通り、ものみの塔協会は、1914年以降の死者の数を、年が経つに連れて増加している。

地震

「目ざめよ!」誌1977年2月22日(英文)による死者の数

ものみの塔誌1983年5月15日(英文)による死者の数

1920年、中国

180000

200000

1939年、トルコ

23000

30000

1950年、インド

1500

20000

1962年、イラン

10000

12230

1972年、ニカラグア

6000

10000

1976年、中国

655235

800000

総計

875735

1072230

この、ものみの塔の変化する統計は何を意味するであろうか。実は地震の死者数は、報道機関、政府機関、研究者などにより、食い違いがあるのは避けられない。従って、一つの地震の死者の数でも異なる数字が発表されていることは稀ではない。問題は、ものみの塔の欺瞞的な数字の選択である。ものみの塔協会は、多くの発表された数字の中で、最も信頼のおける数字を取るのでなく、常にいくつかある数字の中では最も大きい数字を取る。信頼のおける数字として現在広く受け入れられている数字は、これらのものみの塔の教える数字よりかなり小さい。例えば、Encyclopedia Americanaは1920年の中国の地震の死者を100000人と見積もっている。

ものみの塔の統計トリックが端的に示されているのは、1976年に起きた中国の河北大地震の数字であろう。地震直後に香港の報道機関は、死者655237人という、後で訂正される誤った数字を伝えた。この数字に基づいて、西側の報道機関は死者を65万人から80万人の間と見積もった。ここにものみの塔誌が1983年に使った80万という数字の源がある。しかし、当時報道管制を行って秘密を守っていた、中国共産党政府はその後、死者合計242000人という数字を公式の死者の数として発表した(1976年7月28日中国地震学会報告)。これには地震による直接の死者148000人の他に10万人に近い、地震に関係した死者も含まれている。現在、この地震の死者はこの242000人という公式発表の数字に落ち着いている。しかし、ものみの塔協会はこのような公式の中国政府の発表にもかかわらず、誤った報道に基づいて一時的に推測された最大の数字800000人という数字を使うのである。(その後、1991年4月1日のものみの塔5頁では24万人の数字が使われているが、やはり括弧の中に「一説によれば80万人」と根強く大きい方の数字にこだわっている。)

ものみの塔の使う引用のトリック(1)−安芸教授の引用

ものみの塔が、いわゆる権威者といわれる学者や、権威のあると考えられている出版物を引用する時に、瀕回に前後関係や筆者の意図を無視して、ものみの塔の都合の良い部分だけを選択的に引用した上で、自分たちの主張が権威付けられたように読者に印象づけるやり方は、『生命−どのようにして存在するようになったか 進化かそれとも創造か』の本の引用を元の出典と照らし合わせて読んでみるだけで、この団体の常套手段であることがわかる。このやり方は、他の出版物の中でも瀕回に使われているが、地震に関する主張の権威付けについてもこの例外ではない。

1983年8月15日のものみの塔誌6頁には、やはり1914年以来の地震活動の変化を何とかして強調するため、やはり権威者を登場させている。

一部の地震学者は,地球は今地震の活動期にあると考えています。例えば,マサチューセッツ工科大学地球惑星科学学部のケイイチ・アキ教授は,1500年から1700年までの期間にも地震は活動的であったが,「過去100年間に大きな地震の規模とひん度が増大したことは明らかである」と述べています。(ものみの塔誌1983年8月15日6頁−日本語版)

これに関して、スウェーデンの元エホバの証人で、「Signs of the Last Days When?」の著者である、Carl Olof Jonnson とWolfgang Herbst は直接、安芸敬一教授に手紙を出して、その真意を尋ねた。その前に、この二人はものみの塔協会に、 安芸教授の手紙の全文の閲覧を要請したが、これには応答が得られなかった。この二人の要請に対して、安芸教授は、彼がものみの塔協会に出した手紙のコピーを快く送った上で、ものみの塔誌への引用の仕方についての自分の考えを伝えた。安芸教授が1982年9月30日にものみの塔協会に送り、1983年5月15日号(英文版−日本語版は8月15日号)に引用された手紙の全文のコピーとその訳を次に紹介する。


                            1982年9月30日

ものみの塔協会
コロンビア・ハイツ25番
ブルックリン、ニューヨーク 11201

拝啓

この手紙は1982年9月24日付けの、地震に関するあなたの問い合わせに対する返事です。過去百年間に大きな地震の強さと頻度が増大したように見えるのは、あらゆる点から考えて、地震の記録の仕方が改善したことと、人間社会が地震に対してより被害を受けやすくなったことによります。この主要な理由は、過去何百万年の間、非常に安定した断層の動きを示す、よく確立された地殻構造によります。

地震の強さの尺度で被害の大きさよりも客観的なのはリヒター・スケールです。百年以上の昔の地震に対してリヒター・スケールを当てはめることは一般に困難です。しかし、他の地域よりも歴史的記録がよく残っている中国に関しては、この試みが行われました。同封した数字は、過去約2000年間の中国における地震のリヒター・スケール(M)をあらわしています。過去100年間は確かに活発でしたが、たとえば1500年から1700年の間は、これと同じように活発でした。

                            敬具

                            安芸敬一

この元の手紙と、それを引用した上のものみの塔誌の記事とを比較してみて、何がわかるだろうか。これは高校の国語の試験よりも、はるかに易しい問題である。一体安芸教授は、過去百年間に地震が増大したということを結論しているのだろうか。この答えは、英語で読んでも、日本語で読んでも、否である。教授は、地震が増えたように見えるのは(apparent surge)地震の記録の改善と人間社会がより地震の被害にもろくなったことをあげている。ものみの塔の捻じ曲げた解釈の一つは、この「apparent surge」を前後関係から「見かけ上の増加」と訳すべき所を、前後関係を無視して、英語版、日本語版ともにもう一つの意味である「明らかな増加」と解釈していることだ。この捻じ曲げた解釈は、その後に続く「地震の記録の仕方が改善したことと、人間社会が地震に対してより被害を受けやすくなったことによります」という前後関係を切り離して隠すことにより、初めて可能なのだ。これこそ、ものみの塔協会が常套手段として使う、欺瞞的引用の実態である。

もう一つの欺瞞はすでに明らかである。それは引用された筆者の元の意図を全く無視し、正反対の結論をその引用から導きだしていることである。安芸教授は手紙全体を通して、過去100年間の地震活動は、様々な理由から活発に見えるだけで、歴史的に見ても1500年から1700年と似ていると結論している。これがものみの塔誌に引用されると、「過去100年間に大きな地震の規模とひん度が増大したことは明らかである」となってしまうのである。

安芸教授は1985年9月にCarl Olof Jonnson とWolfgang Herbst 宛てにこの間の事情を説明する手紙を送り、次のように述べている。

私は過去1000年間にわたって地震活動は安定していると強く信じています。私はエホバの証人たちに、1500年から1700年の中国の記録を使って、この地震活動の安定性をわかってもらおうとしたのですが、彼らはその出版物の中でこの点に関してはわずかの強調しかしませんでした。この安定性を証明する優れた地質学的証拠が、サン・アンドレアス断層に関してカリフォルニア工科大学のKerry Sieh教授によって得られています。

更に安芸教授は、彼がものみの塔に送った手紙のコピーを同封した手紙の中で、次のように書き送っている。

ものみの塔協会に私が送った手紙のコピーを同封しましたのでご覧ください。確かに最初のパラグラフは少し不完全でしたが(「私が地震活動が安定していると考える主要な理由は」と書くべきところを「主要な理由は」と省略した)、彼ら[ものみの塔]が自分たちの欲しい部分だけを引用して、私の手紙の趣旨を無視したことは明らかです。

このように、ものみの塔協会が自分たちの主張を支持するために引用した権威者が、実は、ものみの塔協会の主張を完全にくつがえす証言を与えているのである。

ものみの塔の使う引用のトリック(2)−イル・ピッコロ紙の引用

ものみの塔がもう一つ瀕回に使う、地震の増加を支持する引用に、イタリアのイル・ピッコロ紙がある。上に引用したものみの塔誌1983年8月15日号の記事では、安芸教授の引用に続いて、次のような引用がある。

イタリアの雑誌イル・ピッコロの1978年10月8日号の中で,ジオ・マラゴリは次のように述べています。 「我々の世代は,統計の示すとおり,地震活動の激しい危険な時期にある。事実,信頼できる情報筋によると,1,059年間(856年から1914年まで)に,24の大きな地震があったにすぎず,その結果197万3,000人の死者を出している。ところか最近の災害[では],1915年から1978年の間に起きた43の地震の結果,わずか63年間に160万人が死亡していることが分かる。この劇的な増加は,認められているもう一つの事実,すなわち我々の世代は多くの点で不幸な世代であるということをさらに強調するものである」。(ものみの塔誌1983年8月15日6頁−日本語版)

当時ものみの塔の出版物を詳細に読んでいた読者は、この引用にどこか見覚えがあった。それもそのはずだ。ほとんど全く同じ引用が、1977年2月22日の「目ざめよ!」誌、11頁(英文版)に出ていたのだ。しかしそれは、イタリアの雑誌の引用ではなく、ものみの塔協会が得た情報として掲載されているのだ。(この記事については、「ものみの塔の使う統計のトリック」の項で、1914年以前の地震の死者を年間1800人としている記事として取り上げた)。ここでは英文の原文で比較してみよう。

Interestingly, for a period of 1,059 years (856 to 1914 C.E.), reliable sources list only 24 major earthquakes, with 1,972,952 fatalities. But compare that with the accompanying partial list citing 43 instances of earthquakes, in which 1,579,209 persons died during just the 62 years from 1915 to 1976 C.E. Here, year by year, are the locations of some of the quakes of this period, along with statistics on the fatalities:(「目ざめよ!」誌1977年2月22日11頁(英文版))

この記事には前にも書いたように「信頼できる筋」というだけで、この情報がどこからもたらされたかは明らかにされていない。

この16ヶ月後のものみの塔誌、1979年6月15日号11頁には、「ニュースの内面を見る」(Insight on the News)の欄に、次のような記事が現れる。

Discussing recent earthquakes, the Italian journal "II Piccolo" observed: "Our generation lives in a dangerous period of high seismic activity, as statistics show. In fact, during a period of 1,059 years (from 856 to 1914) reliable sources list only 24 major earthquakes causing 1,973,000 deaths. However, if we compare this figure to the partially complete list of recent disasters, we find that 1,600,000 persons have died in only 63 years, as a result of 43 earthquakes which occurred from 1915 to 1978."(ものみの塔誌、1979年6月15日号11頁(英文版))

このイタリアの雑誌イル・ピッコロのジオ・マラゴリがただ、「統計によれば」というだけで出典を明らかにしない、この統計の出所はどこであろうか。それは、その16ヶ月前に発行された「目ざめよ!」誌1977年2月22日号に他ならない。この二つの記事を注意深く比べると、死者の数が四捨五入され、1914年以降の年数が一年の遅れを反映して「1915年から1976年」から「1915年から1978年」になっているものの、全ての詳細がほとんど完全に一致している。

イル・ピッコロ紙のジオ・マラゴリがエホバの証人であるかどうかは明らかではないが、彼が「目ざめよ!」誌の読者であることは間違いない。マスコミや教育機関が「目ざめよ!」誌の内容に興味を持ち、時々それを引用するのは稀ではない。1977年にものみの塔協会が、1914年を境にして地震の頻度と死者が変化していることを見せるために作り上げ、「目ざめよ!」誌に発表した「統計」を、この雑誌の記者は何気なく引用したに過ぎない。

ものみの塔協会はこの雑誌の記事を見つけ、何と自分たちが一年前に発表した記事の引用であることを明らかにせず、1979年のものみの塔誌の「ニュースの内面を見る」で、あたかも有力紙がものみの塔協会と一致する見解を書いているかのように紹介するのである。

しかし、問題はこれだけにとどまらない。1979年以降、ものみの塔協会はこのイル・ピッコロ紙の記事を、今度は自分たちの主張を支持する「権威」として繰り返し引用するのである。

1981年「幸福それを見いだす方法」148頁(英文・日本語)
ここでは地震に関する「終わりの日のしるし」のただ一つの証拠として引用されている。

1980年10月8日「目ざめよ!」20頁(英文)
ここでも、元々の出所がものみの塔協会であることを隠し、あたかもイタリアの雑誌が独立に地震の増加を述べているかのように、ただ一つの証拠としてイル・ピッコロ紙が引用されている。

1981年「あなたの王国が来ますように」113頁(英文・日本語)

「地震」も「しるし」の一部として含められています。1914年以来,地震は急に増えているでしょうか。この質問は不思議に聞こえるかもしれません。しかし統計を見るともっと驚かされるでしょう。ジェオ・マラゴリがイル・ピッコロ紙で述べたように,「確かな資料を見ても,大地震は1,059年間(西暦856年から1914年まで)に24しか記録されていない」のです。彼が示した数字によると,その期間に毎年平均1,800人が地震で死亡していますが,1915年以降に43の大地震があり,1年に平均2万5,300人が死亡しています。
ここでも、元々ものみの塔協会が作り出した「統計」を、あたかもイタリアのイル・ピッコロ紙が「確かな資料」から引用しているように見せて、「権威付け」を行っている。

1982年4月8日「目ざめよ!」13頁(英文)
終わりの日のしるしを一覧表に示した中で、やはりイル・ピッコロ紙の記事を唯一の証拠として引用している。

1982年4月15日ものみの塔誌9頁(英文、日本文は1982年7月15日9頁)
ここでは出典を明らかにせず、全く同じ数字を引用している。

1982年「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」151頁(英文・日本語)
同じく出典を明らかにせず、全く同じ数字を引用している。

1983年8月15日ものみの塔誌6頁(日本語)
この章の冒頭に引用した通り。ここでは何と、驚くべきことに地震学の本当の権威である安芸敬一教授の「1500年から1700年の期間にも同じように活発であった」という言葉に対照させて、あたかもこの安芸教授の警告を弱めるかのように、イル・ピッコロ紙の(そして元々はものみの塔協会の)数字を引用しているのだ。

ここで見てきたように、ものみの塔誌の「1914年以来地震が増えている」との主張の根拠は、「目ざめよ!」をたまたま読んでそれを引用して記事を書いたイタリアの新聞記事が、ほとんど唯一のものなのだ。元々の「目ざめよ!」の統計は。ものみの塔協会が1914年に地震の起こり方に変化が起こったことを証明するために、様々の「信頼できる筋」から寄せ集めたものであり、データーの集め方に問題はあっても、そのこと自体が欺瞞とは言えないであろう。また、イル・ピッコロ紙のジェオ・マラゴリも、他意はなく「目ざめよ!」の「統計」を紹介したに過ぎないであろう。しかしその後の雪だるま的な「権威付け」の増大は、ものみの塔の意図的な欺きとしか言いようがないのである。なお、より最近の地震の記事では、その「統計」すらも出さなくなってしまった。

何故、ものみの塔協会はイタリアの新聞の記事だけにすがりついて、1914年以来の地震の増加を教えなければならないのだろうか。その答えは単純である。上に引用した安芸敬一教授も含め、誰もがものみの塔の地震に関する主張には科学的根拠を見出さないのである。もし、ものみの塔の主張するように、今世紀に入って本当に大地震の頻度が20倍にも増えたのなら、大手の新聞や雑誌、「サイエンス」などの科学雑誌が沈黙を守るはずはない。しかし、このような記事は他にどこにも見当たらない。ものみの塔の主張を支持する証拠はものみの塔の中からしか出てこないからだ。

歴史的に見た地震の頻度、大きさと被害

それでは大地震は1914年以前は本当にものみの塔の言うように24回しか起こらなかったのだろうか。現在の地震の歴史はどれだけのことが、過去の地震についてわかっているのだろうか。ものみの塔協会の出版物も瀕回に引用する、先に述べたコロラド州ボールダーの全米地球物理学データ・センター(National Geophysical Data Center - NGDC)の地震データーベース Catalog of Significant Earthquakes, 2150 B.C. - 1991 A.D.は、これまでに蓄積された世界中の地震のデーターベースをすべてまとめた、現在一般の人間が使える最も広範な記録であろう。このデーターベースは、マグニチュードだけでなく、死者の数、記録から知られる地震の強度、推定被害額、などに一定の基準を設け、それに従って今まで世界中で知られた地震をすべて記録したものである。1997年にそれ以後のデーターを足して、最も最新の情報がCD-ROMによって検索できる。

1997年現在、この Catalog of Significant Earthquakes, 2150 B.C. - 1991 A.D.データーベースには、筆者が検索した限り2150BCEから1997年までの5319の地震が記録されている。(この中には同じ地震が、異なる資料に基づいて報告されたために重複されているものがある。)その中で1914年以前の地震の数は2978である。それでは一体ものみの塔の教えるたった24回という数字はどこから出てきたのだろうか。この数字は、上に見たように、1980年代の前半までよく使われた。1989年の「聖書から論じる」118頁では、マグニチュード7.5以上、または500万ドル以上の被害、または100人以上の死者を出した地震の数は856回で、これに基づいて1914年以後、このような地震は20倍増加したと、ものみの塔協会は教える。この数字は24回よりは現実に近いだろうが、それでも1914年以降の同じような地震と比較することが公正な比較であろうか。

地震の歴史の文献や百科事典などを見ると、過去の代表的な大きな地震の一覧表が与えられている。これらは、今までに蓄積された地震の記録の中から主要なものをとってきたものである。ここでは Catalog of Significant Earthquakes, 2150 B.C. - 1991 A.D.データーベースを使って同じような一覧表を作ってみよう。「目ざめよ!」誌1982年7月8日16頁(英文版)では「イエスがこの預言をしてから1914年までに歴史は10万人以上の死者を出した地震を五回記録しているが、1914年以後すでに四回もそのような超大型地震が起こっている」、として1914年以後の変化を印象づけようとしている。ここでは、このものみの塔の基準に従って、死者の数10万人以上の地震をデーターベースから抽出して比較してみよう。

西暦年

地域

推定死者数

115

TURKEY: ANTAKYA (ANTIOCH)

260000

533

SYRIA: HALAB; TURKEY: ISTANBUL (CONSTANTINOPLE)

130000

856

IRAN: QUMIS DAMGHAN

200000

893

IRAN: ARDABIL

180000

893

CIS: ARMENIA: TOVIN

180000

1007

IRAQ: TRIGRIS RIVER

100000

1138

EGYPT-SYRIA

100000

1139

CIS: KIAPAS

300000

1139

SYRIA: GANSANA HALAB (ALEPPO)

230000

1201

EGYPT: UPPER; OR SYRIA

1100000

1290

CHINA: CHIHLI SHANGLU LUANKING WUPING INTINGCH

100000

1556

CHINA: SHAANXI PROVINCE

830000

1662

CHINA

300000

1693

ITALY: SICILY

100000

1703

JAPAN: JEDDO

200000

1730

JAPAN: HOKKAIDO

137000

1731

CHINA: BEIJING 73

100000

1737

INDIA: CALCUTTA

300000

1779

IRAN: TABRIZ

100000

1780

IRAN-CIS: TAURIS TABRIZ

100000

1876

INDIA: BAY OF BENGAL ANDAMAN ISLANDS

215000

1883

INDONESIA: JAVA S INDONESIA JAVA SEA

100000

1908

ITALY: MESSINA

110000

1920

CHINA: GANSU AND SHANXI PROVINCES

200000

1923

JAPAN: TOYKO YOKOHAMA

142807

1927

CHINA: QINGHAI PROVINCE

200000

1976

CHINA: NE

242000

このデーターベースで、10万人以上の死者が記録されているという抽出条件を使うと、そのような地震は記録に残っている限り27回起こっている。(1914年以前23回、1915年以後4回)。これらは確かに超大型地震ではあるが、紀元前20世紀から記録された約5000回の顕著な地震の中のほんの氷山に一角に過ぎない。ものみの塔協会はこのような「代表的な」地震の一覧表だけを使って、1914年以前の1000年間にわずか24回しか大地震が起こらなかったと教えるのである。(1982年の「目ざめよ!」誌の「1914年までに歴史は10万人以上の死者を出した地震を五回記録している」という記事に至っては、作り事としか考えようがない。)

この教えがいかに欺瞞であるかは、次の幾つかの点を考えればわかる。先ず、地震のデーターベースでは死者の数が推定できない場合には、どんなに大きな地震であってもどんなに死者が出ていたとしても、このデーターベースではゼロとして記録され、この抽出に引っかかってこない。実際、死者の数がわかっているか否かに関係なくマグニチュード8.0の超大型地震を使って引き出すと、同じ期間にこのような地震は398回起こっていることがわかる。「1,059年間(856年から1914年まで)に,24の大きな地震があったにすぎず」(ものみの塔誌1983年8月15日6頁−日本語版)と、あたかも他に大地震や死者が無かったかのごとく、もっともらしく教えるものみの塔の記事の背後にはこのような隠された事実がある。

もう一つの大きな欺瞞は、「ところか最近の災害[では],1915年から1978年の間に起きた43の地震の結果,わずか63年間に160万人が死亡していることが分かる」(ものみの塔誌1983年8月15日6頁−日本語版)という1915年以後の比較である。上のデーター抽出結果で見て分かる通り、1915年以後10万人以上の死者が出た地震は4回あり、死者の合計は78万人である。この結果とものみの塔の43回の地震で160万人の死者という計算結果の違いは、ものみの塔が1914年以前と1915年以後で取り上げる地震の基準を変えていることを意味する。確かに1915年以後、沢山の地震は記録されている。しかし、1914年以前と1915年以後とを全く同じ基準で計算すれば、43回、160万人の死者というのは、とんでもない水増しであることがわかる。実際にこの記事に付いている1915年以降の地震の一覧表は、死者の数52人、65人、115人、131人などの、比較的小さな地震まで全て数えているのである。

1914年以前の83年間と1915年以後の83年間の比較

この議論に対するものみの塔の反論は、どのような理由であっても地震による死者が増加していることだけは確かであり、それだけで「終わりの日のしるし」としては十分である、というものである。1980年発行の「幸福それを見いだす方法」(英文、日本語版とも)149頁には、「第一次世界大戦以来地震による死亡者数が増えたのは、世界人口の増加や、都市が大きくなっていることに原因があると言う人がいるかもしれません。たとえそうだとしても、起きた事実に変わりはありません」と書かれている。この議論がいかに無茶なものであるかは、日本とアメリカを比べて、アメリカの方が国全体としての脳卒中の患者が日本より多いことから、アメリカの方が日本より脳卒中が多く起こると結論することを見れば直ぐに理解できるだろう(国全体としての脳卒中の数はアメリカの方が多いが、人口当たりの患者数は日本の方が多く、日本人の方が脳卒中の危険は高い)。地震による死者が多いと言いながら、その元になる人口の違いを無視するというのは何と言う欺瞞であろうか。

それでは、人口増加や都市化、地震の記録の改善を無視したとしても、地震の頻度と被害は、1914年を境としてものみの塔の主張するように、本当に増えているのだろうか。確かに、1700年以前の地震記録は一定の地域に限られ、記録の内容も不完全であれば、人口密度も比べ物にならないほど少ない。ものみの塔協会の1914年における明確な地震とその被害の増加を証明するには、なるべく条件が近い1914年前と後の期間を比較するのが、最も確実であろう。ここでは全米地球物理学データ・センター(NGDC)のデーターベースを使って1915年から1997年の83年間と、1832年から1914年までの83年間で、どれだけ地震の頻度と被害に大きな違いがあったかを調べてみた。

ここでは、世界中の死者数一万人以上という地震による大災害を、1914年前と後で同じ条件で抽出した。同じ日付で同じ震源で別に記録されている地震は重複を避けて、一つの地震として数えた。次の二つの表はこれらの地震を死者数の大きい順に並べて一覧にしたものである。(表1のマグニチュードは多くが0となっているが、これらはすべてマグニチュードが不明なことを示す。同様に、マグニチュードがわかっていても死者の数が「0」(不明)とされている地震も幾つかあり、それらはこの抽出では引っかかってきていない。)

表1:死者一万人以上の大地震−1832〜1914年

表2:死者一万人以上の大地震−1915〜1997年

この比較を見ると、ものみの塔協会はすぐに、「やはり1915年以後の方が、地震による死者は増えている、やはり終わりの日のしるしは現れている」、と短絡的に結論するかも知れない。一つだけ確実に言えることは、ものみの塔協会が主張するように、大地震による死者の数や頻度が、1914年を境にして急に20倍に増えたという証拠はないのである。しかし、ものみの塔の短絡思考には、上に述べたもっと決定的な問題がある。それは世界の総人口の変化である。次の表は世界の推定人口の移り変わりを示している。

推定世界総人口

紀元一世紀

3億人

1700年

6億人

1800年

9億人

1850年

12億人

1900年

17億人

1950年

25億人

1998年

59億人

この表からすぐに分かる通り、紀元後、最初に人口が倍増するのに1700年を要したが、次に倍になるのはわずか150年しか要しなかった。そして1850年から1950年の100年間に人口は再度倍増した後、1950年の人口は1988年にはすでに倍になってしまった(約33年)。この母数となる総人口の変化を無視して、絶対数だけを比較するのは全く無意味であるし、それは人間一般の感覚ともあわないのである。例えば、ある病気の人が1950年に人口の5%いたとしよう。1998年になって、その病気の予防が進み、人口の3%の人しかその病気を持たなくなった。しかしその間に人口は二倍以上に増えているので、この病気を持っている人の数は1998年の方がすこし多い。しかし誰が、1950年に比べて1998年はこの病気を持っている人が増えている、と言うだろうか。人々の感覚も、科学者の言葉も、ともにこの病気は減っているととらえるのだ。

この例で示されるように、もし、ものみの塔が地震の実際の大きさより被害が増えているというのであれば、1915年以後と1914年以前で一人当たりの地震の危険度を比較してみることが最も客観的な指標であろう。ここで1914年以前の期間の平均世界人口を1850年の12億人、1915年以後の期間の平均世界人口を1950年の25億人と仮定して、その時代の一人一人が大地震で死ぬ確率を計算してみよう。

1914年以前の83年間:13264人÷12億人=1:90470人

年間平均、世界人口の約9万人に一人の割で、大地震による死者が出る危険があった。

1915年以後の83年間:15319人÷25億人=1:163196人

年間平均、世界人口の約16万人に一人の割で、大地震による死者が出る危険があった。

すなわち、1914年以前の83年間と1915年以後の83年間とで大地震で死ぬ危険率を比べると、平均で約45パーセントの減少になっている。ここでは対象となる地震を死者一万人以上という条件で選んだが、死者の数をより大きくしても、小さくしても、これと似たような結果が出る。なぜそうなるのだろうか。それは、地震の数に大きな変化はなく、死亡者数も大きく変化していないのに対し、人口が爆発的に増加したからだ。人口が増大すれば、当然人口密度も増え、一つの地域で起きた地震での死者の数が増えるのは当然だが、実際全てを総合すると、そのような増加はない。それは、今世紀に入って耐震建築、防災対策、救援活動などが急速に進歩し、同じような規模の地震があっても、被害を少なく出来るような建築法が進み、迅速な防災、救援対策のお陰で、以前の地震災害を大きくした、火事、土砂崩れ、津波などに対する対策が進んだことが考えられる。すなわち、科学技術の進歩は、人口と富の集中による被害の増加に打ち克っていることがわかる。

ものみの塔が主張する、地震による死者が1914年を境に急増したという証拠は、資料が完備している過去200年間を比較してみる限り、全く得られなかった。大地震の頻度に大きな変動はなく、死者の数もこの二つの期間で大きな差はなかった。しかし、1914年以後の急激な世界の人口増加を計算に入れると、人口一人当たりの地震で死ぬ確率は、今世紀に入って防災技術の進歩により、大幅に減少したことがわかるのである。

地震学者はものみの塔協会の地震に関する教えをどう考えるか

ここまで見てきたことから分かるように、地震活動とその被害の歴史的な変化は、ものみの塔の教えるような単純なものではなく、彼らが取り上げない複雑な要素が絡まっていることが分かる。確かにこれらを総括して全体像を読み取ることは、予備知識のないエホバの証人たちにとっては不可能に近く、当然ものみの塔の「権威」が全ての欺瞞を隠して、一般のエホバの証人は、ものみの塔の教える「終わりの日のしるし」を、何の疑いも持たずに信じている。このように素人に直感では理解しにくい、地震活動に関する実態を正確に把握する一つの方法は、この領域で長年の経験と知識を持つ、真の専門家の意見を聞くことであろう。すでに述べたように、これはものみの塔が最もよく使う手段でもある。ここでは、一体地震の専門家たちは、この点に関してどのように見ているかを検討してみよう。

すでに述べたように、ものみの塔はマサチューセッツ工科大学(当時)の安芸敬一教授を自分たちの教えを支持する地震学者のように見せかけて、その手紙を前後関係から切り離して引用した。これが欺瞞的引用であることは、後に安芸教授自身がその手紙の全文を公開し、彼の真意を説明したことによって明らかになり、ものみの塔の常習的な引用の歪曲が暴露されてしまった。しかし、本当に地震学者の中に一人でも、ものみの塔の教えるように、1914年を境にして、あるいは少なくとも今世紀に入って、大きな地震が増えたと考えている者がいるのだろうか。

この点を調べるために、スウェーデンの Carl Olof Jonnson とWolfgang Herbst は、世界の著名な地震学者に直接この質問を送って、一人一人のこの点に関する考えを述べてもらった。質問の要点は次の三点である。

  1. 今世紀は、それまでの世紀に比べて、大地震が著しく増加したと考えるか。
  2. 今世紀の地震活動は、それまでの世紀に比べて、どのような形でも、はっきりと異なると考えるか。
  3. あなたは、誰か他の地震学者で、今世紀にそれまでと比べて、著しく多くの大地震が起きていると考えている人を知っているか。

驚くべきことに、回答を寄せた全ての地震学者が、これらの三つの問いに全て否定の答えを出したことである。Carl Olof Jonnson とWolfgang Herbst はこれらの地震学者の中に、一人としてものみの塔の地震の教えを支持する者を見つけることができなかった。

以下はその答の趣旨である。

「前の世紀においては、今のような信頼のおける統計はありませんでした。しかし、歴史的に見て、どこにも地震活動が時と共に増加しているという証拠はありません」。(Professor Markus Bath −スウェーデン)

私はBath教授やRichter教授のお考え、すなわち地震の回数は今世紀にも、歴史的などの世紀にでも、有意に増加したことはない、という点に賛成します。(Wilbur A. Rinechart −コロラド州ボールダー・全米地球物理学データ・センター)

今世紀に入って地中海地域で地震活動の増加がないことは間違いありません。実はその反対で、今世紀の地中海東部での地震活動は、10−12世紀や18世紀に比べると異常に低くなっています。(Professor N.N. Ambraseys −ロンドン・王立科学技術大学−地中海地域の地震研究の権威)

私は過去1000年間にわたって地震活動は安定していると強く信じています。(安芸敬一教授−ロスアンゼルス・南カリフォルニア大学−この手紙の全文は上に掲載した。)

世界全体の地震活動を、マグニチュード7.0かそれ以上の地震として計測すると、20世紀の初めから現在に至るまで、地震活動は着実に減少していることが示されています。(Professor Seweryn J. Duda −ドイツ・ハンブルグ大学)

興味あることに、このような学者たちの圧倒的な意見にもかかわらず、ものみの塔だけでなく、世の終わりを預言する人々や宗教団体は、地震の増加にこだわっており、全米地球物理学データ・センター(NGDC)には、この問い合わせが後をたたないと言われる。そのため、そのデーターベースには次のような注意書きが添えられており、自分勝手なデーターの解釈に警告を与えている。この全米地球物理学データ・センター(NGDC)の警告は、ものみの塔協会に対して最も当てはまると思われるので、ここに訳して紹介する。

注意

この 「Catalog of Significant Earthquakes, 2150 B.C. - 1991 A.D」の数字からは、誤った結論が出されやすいので注意を要します。大型の、あるいは破壊の大きな地震の報告は、特に1900年以前には、時間と場所に関して大きなばらつきがあります。ここに掲載した地震は主に死者や被害を出した地震を中心にしてあるため、報告される地震の数は、その地域に書かれた歴史が存在するか、どれだけ人口密集地と建造物が発達しているかに大きく依存します。従って、このデーターを使って1900年以降、あるいはどの時代にでも、世界的な地震活動が増加したことを統計的に示すことは、誤っています。「見かけ上の」地震活動の増加を見た時には、次のような点を考慮しなければなりません。

計測による地震学は日の浅い科学です。地球を伝播する地震波を目盛りのある計器で最初に観測したのは、1800年代の終わりにすぎません。この時に、地震学者は世界中に起こる大多数の地震を知ることが出来るようになりましたが、当時の計器の感度がよくなかったので、マグニチュードの大きな地震しか震源を決めることが出来ませんでした。

1960年代に入って大きな進歩がもたらされました。先ず、アメリカ合衆国政府により、主に地下核実験を感知するために地震観測網が張り巡らされました。これらの敏感な地震計は、マグニチュード4.5以上の地震であれば世界中どこで起こっても、それを特定することができます。

次に1960年代の後半になって、コンピューターが導入されました。コンピューターは地震学者を、それまで紙に書いて行っていた、手間がかかり不正確な震源の同定作業から開放し、より多くの観測網からのデーターをそれまでになく迅速、正確に処理することを可能にしました。1962年以前は、年間たった数百の地震の震源が政府や研究機関で同定されていましたが、コンピューター化された震源特定方法を使うことにより、今では年間に何千という地震の震源が特定されています。ある特定地域の研究によれば、年間に10万件以上の地震が特定され震源が決定されています。

以上要約しますと、Catalog of Significant Earthquakes, 2150 B.C. - 1991 A.D. のデーターを使って世界規模の地震の増加があるかのように示唆することは誤りです。この歴史的なデーターを使って統計的な研究をする際には、ここに述べた観測上、報告上の幾つかの要因を考慮しなければなりません。

(全米地球物理学データ・センター(NGDC)Catalog of Significant Earthquakes, 2150 B.C. - 1991 A.D.に添えられている注意書き)

聖書に戻って考える

このように、地震学者たちの警告を全く無視し、統計を捻じ曲げ、引用を捻じ曲げてまで、1914年以後の地震活動の変化をもとに「終わりの日のしるし」を教えるのが、ものみの塔の実態である。しかし、この実態を目の当たりにする数少ないエホバの証人は、大部分、「私たちは不完全な科学者の言うことより、聖書に堅くついています」と、あたかも地震学者の知見が聖書と真っ向から矛盾するために、エホバの証人は学者の言うことを受け入れないという態度をとる。それでは地震学者が、ますます正確な方法で地震活動に変化がないことを示すことが、聖書の教えに反することなのだろうか。

ここで、イエスの言葉にもう一度立ち返ってみよう。

というのは、国民は国民に、王国は王国に敵対して立ち上がり、またそこからここへと食糧不足や地震があるからです。(マタイ24:7)

そして、大きな地震があり、そこからここへと疫病や食糧不足があります。また、恐ろしい光景や天からの大いなるしるしがあるでしょう。(ルカ21:11)

ここで、イエスは一体、地震の大きさの尺度や、死者の数、年間の発生率などに言及しているだろうか。イエスはただ、「地震がある」「大きな地震がある」とだけしか言っていない。確かに啓示の書11:13を見ると、「大きな地震」が都市の十分の一を倒し、死者七千人を出したことを記している。しかし、マタイ28:2、使徒16:26を見ると、「大きな地震」は特に目立った被害や、まして死者を出した様子は書かれていない。しかし、他の地震と比べれば比較的小さいこれらの一世紀の地震も、聖書の中では「大きな地震」であり、ものみの塔誌1983年5月15日5頁(日本語版1983年8月15日5頁)によれば、これらもイエスの預言の成就であったという。従って、ものみの塔が、イエスの言った「大きな地震」が死者の数で計られるとする主張は、聖書に基づいていないばかりか、自分たちの解釈そのものに一貫性がないことを示す。

それでは聖書の言う「大きな地震」とは何を意味すると考えられるだろうか。それは「大きな地震」はその言葉どおりのことであって、それ以上でもそれ以下でもないということだ。何に比較して大きいとか、どのように計って大きいなどという、聖書に書いていないことを勝手に付け加えるべきではない。イエスはただ地震の大きさについて一般論を述べたに過ぎない。また、イエスのこの警告には、どこにも地震の数や大きさが特定の年から変化するとも言っていない。これも聖書に書いてあることに、ものみの塔が勝手に付け加えただけだ。そして歴史は、見事にこのイエスの警告が当たっていることを証明している。何も1914年の前も後も関係なく、いつの世にもイエスが預言したように「大きな地震」があった。そして、ものみの塔に限らず、多くの人や団体がそれを見て「終わりの日のしるし」だと言いふらした。これもイエスの警告通りである。イエスはまさにこのような人々や団体に対して、「惑わされないように気を付けなさい」(マタイ24:4;ルカ21:8)と注意しているのだ。


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