エホバの証人の教義 第三部
福音的キリスト教の観点から


《 目次 》
はじめに
第一部 「否定」の教義
(1)三位一体の否定
(2)キリストの神性の否定(アリウス派の教義)
(3)聖霊の人格性の否定
(4)人の不滅の魂の否定
(5)聖書に書かれた罪の贖いの否定
(6)キリストの肉体の復活の否定
(7)キリストが全ての人類の仲介者であることの否定
(8)信仰による救いの否定
(9)ものみの塔組織以外での救いの否定
(10)全ての信者に「再び生まれる」経験があることの否定
(11)永遠の責め苦の否定
(12)キリストの肉体をもった見える形での再臨の否定
(13)忠実な信者たちの、聖書に書かれた復活の否定
(14)全てのクリスチャンが聖餐にあずかれることの否定
(15)伝統的な十字架の否定
(16)ユダヤ人のパレスティナへの帰還は聖書の預言の成就であることの否定
第二部 その他の特徴的教義
(1)聖書はものみの塔協会の助けがなければ正しく解釈できない
(2)輸血は拒否しなければならず、意図的に輸血を受ければ永遠の死にいたる
(3)国旗に敬礼し、国歌を歌うことは偶像崇拝の行為である
(4)クリスマス、復活祭、誕生日などの祝日はすべて異教に起源があるから拒否する

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はじめに

このページではものみの塔の主な教義を取り上げ、それを歴史的、福音主義キリスト教の立場から検討します。第一部ではものみの塔の教義が、いかに歴史的、福音主義キリスト教の教義の否定から成り立っているかを見ることにします。第二部ではその他のものみの塔に特徴的教義を取り上げ、歴史的キリスト教の立場から批判してみたいと思います。全ての参照文献はものみの塔聖書冊子協会の出版物であり、1980年代以前のものは英文版のページ数を使っています。日本語版の参照ページがわかったものは、それも付け加えてあります。1990年代の雑誌、本のページ数は日本語版と英文版でほとんど共通しています。復刻版はものみの塔誌1879年から1919年までのもので、1920年にものみの塔聖書冊子協会自身によって復刻出版されています。

編集者は、ものみの塔協会の教えに正しく、聞くべきものがあるという主張に反対するものではありません。ものみの塔の教えの中に、確かに聖書から見て正当であるものがあり、それらは健全な「霊的食物」と言えるかも知れません。しかし、その健全な「霊的食物」も毒になることを忘れてはならないと思います。ねこいらず(ねずみ取り)を見て下さい。その98%はおいしい、健全な食物からなっています。しかしその中の2%の毒のためにそれを食べたねずみは殺されるのです。次に見ていくものみの塔の「霊的食物」の中に少量の毒があるか、それが食べる人を永遠の死に追いやっていないか、自分の目でよく確かめて下さい。なおこの記事の執筆に当たってはアール・ハルバート氏の全面的な協力をいただきました。感謝いたします。この記事では福音的キリスト教の教義を、ものみの塔の教義と比較して、理解しやすくするために取り上げましたが、そのことは必ずしも筆者がそれ以外の教義を排斥すべきであると主張しているのではないことをご了承下さい。


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第一部 「否定」の教義

(1)三位一体の否定

ものみの塔は父のみが「エホバ」の名を持ち(1)、父のみが真の神(the true God)であると教えます(2)。一方イエスは少し位の低い神(a god)だが、やはり真の神(a true god)であると言います(次の項目を参照)。ものみの塔は、三位一体の教義は実は悪魔によって作られた教えであり(3)、異教を通してもたらされたと教えます(4)。

(1) 聖書から論じる 1985 と1989 版 p94
(2) 聖書から論じる 1985 と1989 版 p133
(3) 神を真とすべし 1946 版 p2; 1952 版 p101
(4) ものみの塔誌 12/1/1990, p4
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(2)キリストの神性の否定(アリウス派の教義)

ものみの塔はイエスは「神」(a god)であり(5)、「力ある神」(mighty god)ですが(6)、しかし神(the God)ではなく(7)、作られた神(a created god)(8)であると教えます。混乱して理解出来ないのも無理はありません。この教えは聖書のイザヤ43:10の教えに反しています。そこには「わたしの前に形造られた神はなく、わたしの後にもやはりいなかった」と書いてあります。ものみの塔は、われわれはイエスを崇拝すべきでない(9)と教えますが、天使たちがイエスを崇拝したことは認めています(10)。彼らはヘブライ1:6に書かれているようなイエスに捧げられた崇拝は、ただ相対的な崇拝に過ぎないと言いますが(11)、一方では相対的な崇拝は偶像崇拝であるとも言います(12)。ものみの塔は、イエスが「み使いの頭ミカエル」として創造され(13)、その生命力と「人格特性」は地上に移され人間イエスとなって生まれたと教えます(14)。地上にいた間、イエスはただの人でそれ以上の者ではないと言います(15)。イエスが死んだ時には彼は完全に存在しなくなった(16)、しかし三日後に霊者として再創造されたと教えます(17)。天に帰ると彼は、天での名前ミカエルをまた使っており(18)、決して肉体的な存在として地上には戻らない(19)と言います。

ものみの塔はキリストの神性を隠すために、その独特に訳した聖書、新世界訳の中で多くの工夫をこらしています。例えばヨハネの8:58の訳では、ものみの塔自身の発行したギリシャ語行間訳聖書である「ギリシャ語聖書王国行間逐語訳」の中でさえ、ギリシャ語の言葉 "ego eimi" を "I am" (私はいる)と訳しているのに、新世界訳の中では彼らは "I have been" (私はいた)と訳し変えています。これに対してものみの塔は様々な理由を上げて来また。例えば最初、彼らはこのギリシャ語は「完了不定時性」をあらわしていると主張しましたが(20)、ギリシャ語には「完了不定時性」は存在しないことを指摘されると、今度は「歴史的現在」であると主張(21)、1963年には今度は「完了時性直説法」であると言い(22)、1969年には「完了時性」とし(23)、1971年には「完了時性直説法」に戻っています(24)。しかし1974年には「歴史的現在」に戻り(25)、1984年になってようやく現行の「直説法完了形」になりました(26)。この「優柔不断」(27)な変節の激しさは、ものみの塔協会の無名の聖書翻訳者と執筆者のギリシャ語の知識の無さによるものです。これはほんの一例で、その他様々な翻訳の誤りが新世界訳では指摘されています。

(5) ものみの塔誌 1/15/1992, p22
(6) 唯一のまことの神の崇拝において結ばれる1983, p18
(7) 聖書から論じる 1985 と1989 版 p438(索引の中のイエス・キリストに注目)
(8) ものみの塔誌 1/15/1992, p22
(9) ものみの塔誌 7/15/1959, p421
(10) ヘブライ1:6, 1984 参照資料付き新世界訳聖書、脚注 p1615参照
(11) ものみの塔誌 1/15/1992, p23
(12) すべてのことを確かめよ 1953 と 1957 版 p177
(13) ものみの塔誌 2/15/1992, p11
(14) ものみの塔誌 2/15/1991, p14
(15) ものみの塔誌 1/15/1992, p21、聖書から論じる 1985 と1989 版 p395
(16) 目ざめよ! 7/22/1979, p27
(17) わたしたちの奉仕の務めを果たすための組織 1983 と1989 版, p18
(18) 御心が地に成るように 1958, p316
(19) 神が偽ることのできない事柄 1965, p336, 337
(20) 新世界訳ギリシャ語聖書 1950 と 1951 版 p312
(21) ものみの塔誌 2/15/1957, p126
(22) 新世界訳聖書, 1963 版, p3108
(23) ギリシャ語聖書王国行間逐語訳 1969 版 p467
(24) 新世界訳聖書, 1971 版 p1121
(25) ものみの塔誌 9/1/1974, p527
(26) 1984 参照資料付き新世界訳聖書 p1582
(27) ものみの塔誌 5/5/1976, p298(日本語版 8/15/1976,p490)
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(3)聖霊の人格性の否定

ものみの塔協会は、聖霊は「神の活動力」であり(28)、「無線電波」と似たような物と教えます(29)。彼らの出版物では Holy Spirit (聖霊)という言葉は大文字では始まりません(30)。聖霊は人格ではないのです(31)。一つ興味あるのは、ものみの塔は悪魔サタンが人格であることを主張するために、三位一体を擁護する議論での聖霊の見方をそのまま使っていることです。彼らは悪魔サタンについて「知恵のない『活動力』が人と会話ができますか?」(32)と言っていますが、聖書の中で聖霊が会話をしている記述が幾つかあります(例えば使徒8:29;ヘブライ3:7;10:15)。聖霊が『活動力』なら人と会話ができますか?

(28 ものみの塔誌, 1/15/1993, p5
(29) ものみの塔誌 1/15/1958, p43
(30) 例えばものみの塔誌, 10/15/1993, p20
(31) ものみの塔誌 9/15/1992, p16 (脚注)
(32) 目ざめよ! 12/8/1973, p27
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(4)人の不滅の魂の否定

ものみの塔の教義では、人が死ぬとその全てが存在しなくなります(33)。この唯一の例外は14万4千人の油塗られた者たちで、彼らは死後直ちに天に上げられます(34)。その他の一般の人々については、死んだ人の記憶の「コピー」は神の記憶の中に保存され、しかるべき時が来て復活の時になるとその人にふさわしい体を再創造し、神はその記憶の中に保存してあるその人の「コピー」をその新しい体の中に移植して、前の生きていた人と同じように考え、行動し、前の記憶をもっている新しい人間を造る、と教えます(35)。なお、ものみの塔は復活を「生き返り」と定義しますが(36)、「生き返る」と言うからにはその人は一度生きていなければならないはずです。しかしものみの塔が主張する復活では、その人のコピーは新しい体と新しい心でできた一度も生きたことのない人になります。これでは復活の言葉の定義に矛盾しています。

(33) ものみの塔誌 4/15/1963, p241
(34) 唯一のまことの神の崇拝において結ばれる 1983, p74
(35) とこしえの命に導く真理 1968 と1981 版 p109, 110
(36) 目ざめよ! 7/8/1982, p22
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(5)聖書に書かれた罪の贖いの否定

ものみの塔はキリストの死を、一人の完全な人間が「対応する贖い」を捧げたと見ます(37)。彼らはイエスが「成し遂げられた!」と十字架の上で言った時(ヨハネ19:30)、それは実は人類のアダムによる罪だけを贖う部分的な完了であると主張します。彼らは「彼(イエス)は、アダムがわれわれに行った害を取り除くことができるように彼の命を捧げました」と言います(38)。ものみの塔の教えでは、個人個人の罪を取り除くには一人一人が「敬虔な仕事を加えて」(39)自分の救いを獲得しなければなりません。彼らは「神は『王国の良い便り』がのべ伝えられ、一人一人が自分の救いを努力して得られるように準備されました」と言います(40)。

余りよく知られていないものみの塔の教えに、イエスの「贖いの犠牲」は、彼らの言う「油塗られた者」級、あるいは「14万4千人」級の人にしか当てはまらない、という教えがあります。ものみの塔協会は「イエスの血は新しい契約に取り入れられた人たちの罪を確認し、神の赦しをもたらすためのものです」と述べています(41)。彼らの教えでは「14万4千人」だけが新しい契約の元にあるのです。ものみの塔は「ですから明らかに、新しい契約は全ての人類に開かれた自由な取り決めではありません。それは神と油塗られたクリスチャンの間の注意深く取り決められた法的な規定なのです」と言っています(42)。(なお次の第七項目も参照してください)。

(37) ものみの塔誌 2/15/1991, p13
(38) 偉大な教え手に聞き従う 1971, p40
(39) ものみの塔誌 2/15/1986, p12
(40) ものみの塔誌 2/1/1985, p5
(41) 人間の益のために今や勝ち誇る、神の『とこしえの目的』 1974, p160
(42) ものみの塔誌 8/15/1989, p30
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(6)キリストの肉体の復活の否定

ものみの塔は、イエスが「霊的な被造物」として天に上げられ(43)、弟子たちに見られるように「物質化した」体として現れたと教えます(44)。彼らはまた、イエスの地上の体は神によって「気体」(45)又は「その成分か原子」に分解されたか(46)、あるいは「神の愛の大いなる記念」として保存されている(47)と教えています。

(43) わたしたちの奉仕の務めを果たすための組織, 1983 と 1989 版 p18
(44) ものみの塔誌 1/15/1990, p14、聖書から論じる 1985 と1989 版 p382
(45) 時は近づけり 1888 より 1927 版 p129
(46) ものみの塔誌 9/1/1953, p518
(47) 時は近づけり 1888 より 1927 版 p129
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(7)キリストが全ての人類の仲介者であることの否定

ものみの塔は、キリストが14万4千人の「天的級」のエホバの証人だけの仲介者であると教えます(48)。その他大勢の「大群衆」あるいは「他の羊」として知られる人々には仲介者はいないのです(49)。これらのその他大勢の人々の救済は、部分的にはこれらの14万4千人の「天的級」のエホバの証人に対してどのような態度をとるかによるのです。例えば、ものみの塔誌は次のように言っています。「小麦のような、キリストの油そそがれた「兄弟たち」に対する態度、および彼らをどのように待遇するかということは、あなたがたが「永遠の切断」に入るか、それとも「永遠の命」を受けるかを左右するものとなります。(マタイ25:34−46)「忠実で思慮深い奴隷」である油そそがれた「小麦」級の忠節な仲間であることを実証してください。」(50)(上記の第五項目も参照して下さい)。

(48) ものみの塔誌 7/1/1990, p9
(49) ものみの塔誌 2/15/1991, p18
(50) ものみの塔誌 8/1/1981,p26(日本語版12/1/1981 p27)
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(8)信仰による救いの否定

ものみの塔によれば、信仰は救いを獲得するための機会を与えるにすぎません(51)。信仰を得た後、「本当の努力」をして初めて自分の救済を獲得することができるのです(52)。そのためには「王国の良い便り」をのべ伝える業を行い続けなければならないのです。

(51) ものみの塔誌 8/1/1991, p6
(52) ものみの塔誌 2/15/1991, p29
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(9)ものみの塔組織以外での救いの否定

ものみの塔は、自分がエホバの組織(すなわち、ものみの塔協会)についていることが救いにとって不可欠であると教えます(53)。「不可欠」という言葉はこの団体に属していなければ、どのような者にも救われる可能性はないことを意味します。

ものみの塔はその信者に、エホバ神は父であり、ものみの塔の組織は母である、と教えます(54)。従って聖書が「あなたの父と母とを敬いなさい」と書いてあるのは、父であるエホバ神と、母であるものみの塔の組織を敬うことであると教えるのです(55)。エホバの証人の救いは、少なくとも部分的にでも、組織に属することにかかっているのです。これは次のような、ものみの塔の言葉から明らかです。

そして現在その証にはまだ救いのためエホバの組織の下へ来るようにとの招待が含まれていますが、その音信が、「大きなときの声」のような厳しい調子を帯びる時が必ず来ます(56)。

(53) わたしたちの王国宣教 11/1990, p1
(54) ものみの塔誌 5/15/1955,p296
(55) ものみの塔誌 5/1/1961,p282
(56) ものみの塔誌 11/15/1981,p21 (日本語版 5/15/82,p27)
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(10)全ての信者に「再び生まれる」経験があることの否定

「再び生まれる(新世界訳)」あるいは「新たに生まれる(新共同訳)」(ヨハネ3:3;3:7;ペテロ第一1:23)経験は、ものみの塔によれば14万4千人級のエホバの証人に限られています(58)。その他の大勢は地上での希望しかなく、彼らは永遠に神から切り離されているため「再び生まれる」必要はないのです(55)。

(57) ものみの塔誌 4/15/1992, p14
(58) ものみの塔誌 2/15/1986, p14
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(11)永遠の責め苦の否定

ものみの塔は他の数多くのカルトと呼ばれる団体と同じように、聖書に書かれた永遠の責め苦の教えを捨て去り、代わりに単純な消滅に置き換えています。彼らは神が完全に義であるためには永遠の報酬と永遠の責め苦を釣り合わせることはできないと主張します。神は永遠の報酬と即刻の消滅という釣り合わないやり方をとっていると言います。ものみの塔はこう教えます:「人は死ぬと全く存在しなくなるのですから、悪人は、もちろん、文字通り責め苦に遭うのではありません。死んだ人は何も意識しないのです」(59)。彼らはこう主張します:「神によってやぎであると判断された人々が復活させられることはないと結論することができます。そのような人々は大艱難の際に、「永遠の滅びという司法上の処罰を受ける」人たちと同様の裁きを受けます」(60)、「消滅、破壊、絶滅、終息、これが永遠の責め苦です」(61)。

(59) あなたは地上の楽園で永遠に生きられます 1982 と 1989 版 p88
(60) ものみの塔誌 5/15/1993, p31
(61) ものみの塔誌 11/15/1955, p677
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(12)キリストの肉体をもった見える形での再臨の否定

ものみの塔は、キリストの再臨はただ1914年に見えない形で地球に「注意を向けた」ことに過ぎないと教えます(62)。このことについて、ものみの塔は次のように書いています。「その同じ年にメシアが王としてエホバの右で即位したことは、メシアがこの地球に関して目に見えない臨在を開始されたことをしるし付けました。なぜそういえますか。地球を治める新たに即位した王メシアが、当時最高権力者としての世界支配を熱望していた敵に占拠されていた地上の領域に注意を向けるのはふさわしいことだったからです」(63)。これは1943年以来の教義、「イエスは紀元1914年に王国に来ましたが、人間には見えませんでした」(64)の変更でした。そしてそれ以前の66年間は、ものみの塔協会の教えはキリストは1874年に再臨したというものでした。1920年代の初めにはこの教義は余りにも確実であるため、次のような記事がものみの塔誌に見られました。「この証拠は主が1874年から臨在していることを示している」(65)、「確かに真に聖別された神の子の心にとって、主イエスが1874年以来現在まで臨在していることは、わずかの疑いを挟む余地もないのである」(66)。

(62) 神が偽ることのできない事柄 1965, p336, 337
(63) ものみの塔誌 8/1/1983, p23(日本語版 11/1/1983,p23)
(64) 真理はあなたを自由にする 1943, p300
(65) ものみの塔誌 3/1/1923, p67
(66) ものみの塔誌 1/1/1924, p5
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(13)忠実な信者たちの、聖書に書かれた復活の否定

ものみの塔協会の教えによれば、復活には二つの形があります。第一の形は14万4千人の「天的級」のエホバの証人にのみあてはまり、霊者としての永遠の命への復活です(67)。ものみの塔は1914年以来14万4千人の中の死んだ者たちが、目に見えないかたちで継続的に天に連れ去られている(rapture) と主張しています。「忠実な油そそがれたクリスチャンはいつその復活を経験するのでしょうか。それは既に始まっているのです。使徒パウロはそれらのクリスチャンが『キリストの臨在の間に』よみがえらされることを説明していますが、その臨在は西暦1914年に始まりました。今や、それらの人たちは地上での歩みを終える時、死んだ状態で自分たちの主が戻られるのを待つ必要はありません。それらの人は死ぬやいなや『一瞬に、またたくまに変えられ』て、霊者としてよみがえらされるのです」(68)。長年の間に彼らは油ぬられたエホバの証人が死んで天に取り去られる(rapture)時期を何度も変えて来ました。最初彼らはこれが1878年に起こったと述べ(69)、後に1914年の前に完了するであろうと教えました(70)。この年代設定はその後1914年以後(71)、1917年(72)、1918年(73)、1925年(74)、1925年のすぐ後(75)、1941年(76)、1942年(77)等々次々と変えられました。

第二の復活の形はその他大勢の人間にあてはまり、これらの者には復活して地上で永遠に生きる可能性が与えられます(78)。しかしこの永遠の命は復活後の努力にかかっているのです。また地上で復活した者は永遠に神とキリストからは隔てられています。

ものみの塔はまた悪行者には復活して審判を受ける機会はないと教えます。これらの「悪行者」には、ものみの塔を去った者も含まれますが、彼らには永遠の消滅があるのみであると教えます。

(67) ものみの塔誌 7/15/1993 p15
(68) 唯一のまことの神の崇拝において結ばれる 1983, p74
(69) 御国の来たらんことを 1891 から 1927 版 p305
(70) 御国の来たらんことを 1891 から 1927 版 p228
(71) 御国の来たらんことを 1891 から 1927 版 p228
(72) 終了した秘義 1917, p64
(73) ものみの塔誌 10/1/1917, 復刻版 p6149
(74) 現存する万民は決して死することなし 1920, p110
(75) パラダイスへの道 1925, p224
(76) ものみの塔誌 9/1/1941,p265
(77) 慰め 5/27/1942, p13
(78) ものみの塔誌 1/1/1991, p24
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(14)全てのクリスチャンが聖餐にあずかれることの否定

ものみの塔は、彼らの言う「記念式」で聖餐にあずかる経験をできるのは14万4千人の「油ぬられた者」級のエホバの証人に限ると教えます(79)。ものみの塔は、「油ぬられた者」級以外の「大群衆」級の人々をさして「これらの「他の羊」たちは新しい契約に入っておらず、あずかることはありません」と言っています(80)。ものみの塔は毎年春、彼らの独特の計算法によって算出したイエスの死の日に、「記念式」を守っています(81)。彼らはその新世界訳を訳し変えて、一世紀当時のクリスチャンがこの記念の聖餐を毎週、時には毎日のように行っていたことを示す部分を除いています。使徒2:42、2:46、20:7では「パンをちぎった」と訳すべき所を「食事をした」と訳し変えました。この意図的な訳し変えは、新世界訳聖書とものみの塔協会の「ギリシャ語聖書王国行間逐語訳」とを比較して見れば、一目瞭然です(82)。この訳し変えは多くのキリスト教の教会で行われている、毎月、毎週、あるいは毎日の聖餐の習慣に対抗し、エホバの証人の年一回の聖餐を正当化するために行われたのでしょう。しかし皮肉なことに、このエホバの証人の習慣は、年に一回死者の記念式をその人の死んだ日に行うという、仏教を含む多くの異教で行われている習慣と一致しているのです(83)。

このエホバの証人の「記念式」の習慣で、エホバの証人自身が問題にしていない矛盾があります。もし、彼らの教義で主張するようにイエスが1914年に再臨したとするなら、何故その後も聖餐を同じ様に現在も繰り返す必要があるのでしょうか?聖書にはこう書いてあります。「このパンを食べ、この杯を飲むたびに、あなた方は主の死をふれ告げてゆくのであり、それは彼が到来する時まで及ぶのです」(新共同訳:「主が来られる時まで」、英文新世界訳:"until he arrives")。もしエホバの証人が、キリストがすでに再臨していると本当に信じるのなら、もう記念式で「象徴」にあずかる必要はないのではないでしょうか?

(79) ものみの塔誌 3/15/1991, p20, 21
(80) ものみの塔誌 2/15/1986, p15
(81) ものみの塔誌 3/15/1993, p4
(82) ギリシャ語聖書王国行間逐語訳 1985 版 p529, 623参照
(83) ものみの塔誌 7/1/1969, p390; 4/1/1977, p210
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(15)伝統的な十字架の否定

この教義は多くのエホバの証人が喜んで論ずる所です。しかし、彼らに指摘しなければならない最も大事なことは、これは全く表面的な事柄で、キリスト教の信仰にとって本質的な教義ではないということです。人がイエス・キリストによって救われることにとって、イエスが十字架の上で両腕を広げて釘で張りつけられて死んだのか、一本の杭に両腕を合わせて殺されたのか、は本質的な事柄ではありません。問題はイエスが何のために死んだのかです。彼は私を、あなたを、そして皆を救うために死んだのです。エホバの証人はこれに対し、イエスは十字架の上でなく一本の杭に両腕を頭のうえに合わせて張りつけられたと主張し、そのことを信じるかどうかを大きな問題とします。

アール・ハルバート氏はローマ帝国の刑罰の慣習を歴史的に調べました。それによるとローマ帝国ではいくつかの張りつけの仕方が行われていました。基本的には4つの型がありました。第一はローマ字のXの形、第二はローマ字のTの形、第三は十字架、第四は一本の杭でした。罪人は罪の重さによってこれらの型に釘で打ち付けられたり、ひもで縛られたりしました。一時的な処罰の時はひもで縛り付ける方法がとられ、罪人は一日あるいは数日にわたって縛り付けられてさらし者にされた後、ひもを解かれて釈放されました。これには一本の杭の型が使われました。

釘で打ち付けるのは罪人を死刑にする時で、T字型、あるいは十字架が使われ、罪人が死ぬまでそのまま放置されました。この際には罪人は横棒を刑場までかつがせるのが習慣でした。この調査によれば、イエスは、よく描かれているように十字架そのものを背負っていたのではなく、多分横棒になる2メートル位の材木をかついで刑場まで歩かされたと考えられます。

この張りつけの道具は、新約聖書では "stauros" という言葉であらわされていますが、これは単に材木を意味し、その型については言及していません。上記のローマ時代の刑罰の慣習から見れば、これはイエスがかついだ横棒の材木を言及していることと考えられます。しかし聖書の記述の中には幾つか、その張りつけの型を推測させる手がかりがあります。ヨハネ20:25ではトマスが、釘の複数形を使ってイエスの手の釘の穴に言及しています。これは日本語訳では日本語に名詞の複数形がないので分かりませんが、英語版新世界訳ではギリシャ語の複数形をそのまま訳して "nails" としています。これはものみの塔がその出版物の中で度々描く、頭の上で両手を合わせて一本の釘で打ち付けられている描写と一致しません(84)。もう一つのイエスの張りつけの型を示唆する記述はマタイ27:37に見られます。罪状書はイエスの頭の上に掲げられたと書いてあり、手の上に掲げられたとは書いてありません。頭の上に罪状書を掲げることができるのは一本の杭やT字型では不可能で、十字架の型であったことが示唆されます。

しかし、イエスが張り付けにされた道具の形状を確証をもって断言することはできません。筆者は上記のローマ時代の刑罰の慣習や聖書の記述から、十字架が使われた可能性が高いと思います。しかし確かなことはわかりません。しかし十字架を象徴として使用しないことは、ものみの塔が主張するように、クリスチャンの信仰にとって本当に重要なことなのでしょうか。ものみの塔はここでも、あいまいなものを使って絶対的な教義を作っています。これが本当にものみの塔の言うように重要な事柄なら、神は誰にも誤解のないような明白なメッセージを残すのではないでしょうか。これに対し、イエスが何の目的で張りつけにされて死んだのかは、聖書の中の明白なメッセージなのです。

(84)たとえば「永遠の命に導く知識」p67 参照
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(16)ユダヤ人のパレスティナへの帰還は聖書の預言の成就であることの否定

1932年にいたるまで、ものみの塔はユダヤ人のパレスティナへの帰還と現代のイスラエル国家の建設を、聖書の預言の成就であると教えていました。しかし、第二次世界大戦前夜の反ユダヤ人の世界的風潮に呼応して、当時のラザフォード会長は1932年、その著書、『証明』の第二巻の中で、それまでの教義に180度の変更を加え、その時以来、ものみの塔の反イスラエル、反ユダヤ人の姿勢は先鋭化されたのでした。その理由に上げられた事柄としては、ユダヤ人がその祖先の行った過ちを反省していないこと、現代のイスラエル共和国が国連に加盟したことなどが上げられています(85)。そして、イスラエル人の代わりに、自分たちエホバの証人、特にその指導部である14万4千人の「天的級」のエホバの証人が、「霊的イスラエル」であると宣言し(86)、聖書の中で「イスラエル」に対して起こると預言されたことは、実はものみの塔の組織に対する預言であると教えています(87)。

(85) エホバの証人 神の王国をふれ告げる人々 1993年141頁
(86) ものみの塔誌 4/15/1992,p11
(87) ものみの塔誌 10/1/50,p351;9/15/1951,p567;3/1/1992,p18

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第二部 その他の特徴的教義

(1)聖書はものみの塔協会の助けがなければ正しく解釈できない

ものみの塔は、聖書は閉ざされた書物であり、その正しい理解は、ものみの塔の出版物を研究することによってのみ可能であると主張します。この教義は、創始者ラッセル以来一貫して変わらない重要な教義です。ものみの塔はその創始期以来、その出版物の中で、繰り返しこの教義を強調しています。以下にいくつかの引用を見てみましょう。

更に、人々は、聖書だけを研究するだけでは、神の計画を見ることができないだけでなく、もしだれでも『聖書研究』を使って、それに馴染み、それを10年間にわたって読み続けても、その後で『聖書研究』を放置して聖書のみを読むようになるのなら、たとえ、どれだけその人が10年間聖書を理解できたとしても、われわれの経験では二年以内にその人は闇に入ってしまうのです。逆に、もしその人が参考文献とともに『聖書研究』のみを読み、聖書を一ページも読まなかったとしても、その人は二年目の終わりには聖書の光の中にいるのです。(88)

ここで『聖書研究』と言及されているのは、創始者ラッセルの主著であり、独特の聖書注解とものみの塔の教義を解説した六巻の本のことです。ものみの塔の出版物が聖書よりも大事な読み物であるという、このものみの塔の教えは、すでにこの創始者の時代に始まっているのです。

聖書を持っていて、それを研究し、あるいはある宗教団体の公開の聖書研究会に参加することは、充分ではありません。どんなに一生懸命、真剣に、祈りをこめて聖書を研究したとしても、わたしたちは組織と霊から離れては正しい理解はできないのです。(89)

明らかに、聖書そのものを読むだけでは不十分です。われわれはそれを理解するのに助けがいるのです(90)。

それで聖書は組織の本であり、個人にではなく、一組織としてのクリスチャン会衆に属するものです。個人的に聖書を解釈できると、たとえ、誠実に信ずる人がいても、その事実は変わりません。ゆえにエホバの見える組織を度外視して聖書を正しく理解することはできないのです(91)。

次のことには疑問の余地がありません。すなわち、わたしたちすべては聖書を理解する上で助けを必要としており、「忠実で思慮深い奴隷」の組織を外にして、必要としている聖書の導きを見いだすことはできないのです(92)。

神が用いておられるこの伝達の経路と連絡を保たなければ、どれほど多く聖書を読むとしても、わたしたちは命に至る道を進むことはできません(93)。

どれほど聖書を読んだとしても、真理は自分の力だけでは決して学べなかったという事実を直視しましょう(94)。

興味あることは、この一方で、ものみの塔は福音主義の聖書解釈を批判する記事の引用として、次のように書いています。「A.T.ピアソンは次のように述べて、多くの福音主義者たちの欲求不満を言い表している。『ローマ教会と同じように、[高等批評も]ただ学者だけが聖書を解釈できるとみなして、神の言葉を事実上一般人から取り去っている。ローマ・カトリックは人とみ言葉との間に司祭を持ち込んだが、高等批評は信者と聖書との間に学識ある解説者を持ち込むことになった』」。(95)この文章を、上のものみの塔のいくつもの引用と比べてみるなら、ものみの塔自体が、この引用の中で批判されている福音主義やカトリックの聖書解釈と全く同じ誤りを犯していることに、すぐに気がつくでしょう。すなわち、個人(「一般人」)では聖書を解釈することは出来ず、ただ特別のクラスの人のみが可能である、すなわち「司祭」、「解説者」、あるいは「組織」を「信者と聖書の間に持ち込んでいる」のです。

(88) ものみの塔誌 9/15/1910 (復刻版4685頁、ものみの塔誌 7/1/57,p415 にも引用されている)
(89) ものみの塔誌 8/15/1957,p501
(90) ものみの塔誌 7/1/1957,p414
(91) ものみの塔誌 10/1/1967,p587 (日本語版 1/15/68 p43)
(92) ものみの塔誌 2/15/1981,p19 (日本語版 5/15/81 p19)
(93) ものみの塔誌 12/1/1981,p27 (日本語版 3/1/82 p27)
(94) ものみの塔誌 12/1/1990,p19
(95) 聖書−神の言葉、それとも人間の言葉? 1989年70頁
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(2)輸血は拒否しなければならず、意図的に輸血を受ければ永遠の死にいたる

この教義は一冊の本に書かれなければならないほどの、膨大で、複雑な内容があります。このウェブサイトの別の「血の教え」に関するページを参照して下さい。ここでは、ものみの塔が1944年までは、輸血を全く問題にしていなかったことを指摘しておきます(96)。1944年と1945年のものみの塔誌に書かれた記事により、血液の医療への使用は全面的に禁止されたのです(97)。しかし、1961年以来、少しずつ、ゆっくりとこの禁制は「緩和」の方向に向かっています。そして現在では、多くの血液の成分を受けつけることが許されていますし、ある条件下ではエホバの証人は自分の血を貯蔵しておいた後に、自分に輸血することが許されているのです(98)。

(96) 慰め 12/25/1940,p19
(97) ものみの塔誌 12/1/1944,p355-364;7/1/45,195-204
(98) ものみの塔誌 8/1/1995,p30
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(3)国旗に敬礼し、国歌を歌うことは偶像崇拝の行為である

ものみの塔協会の初期の時代には、ベテル・ホームなどの協会の建物には国旗が掲げられていました(99)。しかし、ものみの塔協会の信者に対する統制が強まるにつれて、国旗は偶像崇拝の対象と見なされるようになり、1935年にはエホバの証人は国旗に敬礼することを禁じられました(100)。この時代は、同時に、ローマ13:1の「上位の権威」はエホバとイエスを指していると教えていた時代でした。国旗に敬礼する行為は、この「上位の権威」を「世の政府」に与えることになる、と教えたのでした(101)。この教義はその後、他のエホバの証人の教義と同様、更に細かな規則に発展し、どのような時に立って国歌を歌ってよいか、どのような時には座っていなければならないかなど、細かくエホバの証人の日常生活を統制する規則となっています(102)。ある規則によれば、エホバの証人はメロディーを口ずさんでもよいが、歌詞を唱えてはならない、と教えられています(103)。

(99) ものみの塔誌 5/15/1917(復刻版6086頁)
(100) 富と破滅の選択 1936年11頁
(101) エホバの証人 神の王国をふれ告げる人々 1993年197頁
(102) エホバの証人と学校 1983年15,16頁
(103) ものみの塔誌 6/15/1964,p380
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(4)クリスマス、復活祭、誕生日などの祝日はすべて異教に起源があるから拒否する

この教義も、長年のものみの塔の歴史の中で、時代と共に作り上げられてきたものの一つです。ものみの塔の初期の時代には、クリスマスも(104)、新年も(105)、誕生日も(106)みな公然と祝われていました。ものみの塔協会はクリスマス・カードを印刷して販売したくらいです(107)。1938年まではものみの塔は、その出版物をクリスマスプレゼントとして売ることを奨励していました(108)。しかし、1927年以来、ものみの塔協会は徐々に全ての祝日と、誕生日の祝いを禁止する教義を系統的に打ち出して、信者に守らせてきました。興味のある例外は、何故かエホバの証人は結婚記念日を祝ってもよいのです。人の生まれた記念日である誕生日は禁止していますが、夫婦が誕生した記念日は祝ってよいという教義です。

(104) ものみの塔誌 12/15/1926,p371
(105) ものみの塔誌 1/1886(復刻版817頁)
(106) ものみの塔誌 5/1/1912,p154-155(復刻版ではこの記事は除かれている)
(107) ものみの塔誌 12/1/1916(復刻版5998頁)
(108) 通知 11/1938 1頁

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