エホバの証人の教義 第一部 エホバの証人の立場から
はじめに
エホバの証人の教義を包括的、しかも体系的に解説することは非常に難しい。ものみの塔協会は多岐にわたる「真理」を信者に教えてきたが、それらを体系的な神学書としてまとめて出版したことはなかったし、そのような既存のキリスト教教派と似たような理論体系を確立することを避けているからである。もう一つの困難な点は、その教義が頻回に変化することであり、このことが固定した理論体系をその出版物から抽出することを困難にしている。
しかしその一方で、エホバの証人の教義は極めて簡潔明瞭であるとも言える。これは逆説的に聞こえるであろうが、上に述べた多くの体系のない項目の羅列からなるエホバの証人の教義は、実は簡単な一つの文章で現されるのである。それは「『忠実で思慮深い奴隷』であるものみの塔協会の統治体が話し、出版したものが全て真理である」という一つの文にまとめられる。この一つの法則により、どのように変化してきた「真理」であっても、エホバの証人の教義はすべてこれに含まれてしまう。すなわち、全て『忠実で思慮深い奴隷』から出たものであれば、どのように変化していようと、一見矛盾するように見えようと、それは現在の揺るがすことのできない真理とみなされる。
一方ではつかみ所なく常に揺らぎながら、もう一方では簡潔明瞭な一つの法則にまとめられるエホバの証人の教義とはどんなものだろうか。このページではものみの塔協会の出版物に書かれた教義をエホバの証人の立場から見てみよう。
エホバの証人の出版物に見るその教義
上に述べたように、ものみの塔協会はその教義を体系的にまとめて広く出版したことはないが、その数多くの出版物の中で時々、手短にその信ずることがらをまとめて示してきた。ここでは最近のそのような記事を紹介して、彼らの教義をまとめてみたい。先ず1986年のものみの塔誌4月1日号31頁では読者からの質問に答える形で、エホバの証人に独特な教義は何かを示している。それらは次の8項目にまとめられる。各項目ごとに簡単な解説をつけながら、これらを紹介する。
- 人類の大きな論争はエホバの主権の正当性である。
エホバがこの宇宙を支配し最終的に邪悪な者たちを滅ぼすと信じる。
- イエス・キリストは天の父に従属する存在である。
イエス・キリストは人類を裁き、支配するために、エホバによって遣わされてきたエホバの被造物であると信じる。
- 今日の『忠実で思慮深い奴隷』はエホバの証人の統治体を意味し、イエスの地上での関心事を任せられている。
ニューヨーク・ブルックリンにあるものみの塔協会の最高決定機関である統治体は、マタイ24:45−47のたとえ話に出てくる『忠実で思慮深い奴隷』をさしており、聖書に書いてあるイエスに次ぐ特別な指導者であり、エホバはこの「奴隷たち」を使ってエホバの証人を導いていると信じる。
- 1914年は異邦人の時の終わりと、天における神の王国の確立を示す時であるとともに、予告されたキリストの再臨が始まった年でもある。
1914年が特別な年であり、紀元前607年に始まった「異邦人の時」が終わり、ルカ21:7−24に書かれている「終わりの時」がその年に始まり、キリストは見えない形で再臨した、と信じる。
- 14万4千人のクリスチャンだけが天の報いにあずかれる。
エホバの証人は二階級に分かれ、14万4千人の「油塗られた者」たちだけが天で復活する、と信じる。
- ハルマゲドン、すなわち全能の神の大いなる日の戦闘は間近である。
ハルマゲドンはすぐ間近に迫っており、この時にエホバに忠実になっていない者は、皆滅ぼされると信じる。
- これに続いてキリストによる千年統治が始まり地球全体の楽園が取り戻される。
ハルマゲドン後、エホバの証人は生き残り、苦痛も死もない地上の楽園がもたらされると信じる。
- 最初にこの地上の楽園を喜ぶのはイエスの「他の羊」である「大群衆」である。
この地上の楽園を受け継ぐのが14万4千人以外の「大群衆」級のエホバの証人であると信じる。
(ものみの塔 1986年4月1日号31頁)
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この8項目は確かにエホバの証人の教義を簡潔にまとめていると言えるであろう。
より最近になると、1993年、『エホバの証人 神の王国をふれ告げる人々』の144ページには「エホバの証人の信条」と題する囲み記事の中でエホバの証人の根幹となる教義を箇条書きでまとめている。
- 聖書は霊感による神の言葉です。
- 聖書の内容は単なる歴史や人間の意見ではなく、わたしたちの益のために記録された神の言葉です。
- エホバは唯一まことの神であられます。エホバだけが崇拝を受けるのに値します。
- エホバは万物の創造者であられ、そのような創造者として、この方だけが崇拝を受けるのに価します。
- エホバは宇宙の主権者であられ、わたしたちはその方に完全な従順を示さなければなりません。
- イエス・キリストは神の独り子で、神ご自身によって創造された唯一の方です。
- イエスは神の創造物の初めなので、人間として胎内に宿され誕生する前には天で生きておられました。
- イエスはみ父を唯一まことの神として崇拝しておられます。イエスが神と同等であると主張したことは一度もありません。
- イエスは人類のための贖いとしてご自分の完全な人間の命をお与えになりました。イエスの犠牲は、その犠牲に本当に信仰を働かせる人々がみな永遠の命を得ることを可能にします。
- イエスは死人の中から不滅の霊者としてよみがえらされました。
- イエスは戻られ、(王として地に注意をむけられ)、現在は栄光に満ちた霊者として臨在しておられます。
- サタンは目に見えない「この世の支配者」です。
- この者は元々神の完全な子でしたが、うぬぼれの気持ちが心の中で大きくなるのを許して、エホバだけのものである崇拝を切望したため、神に聴き従うよりも自分に従うようアダムとエバをそそのかしました。こうして、その者は自らを「敵対者」という意味のサタンとしました。
- サタンは「人の住む全地を惑わして」おり、この終わりの時に苦しみが増えている責任はサタンと悪霊たちにあります。
- サタンと配下の悪霊たちは神の定めの時に永久に滅ぼされます。
- キリストが支配する神の王国は、人間のすべての政府に取って代わり、全人類を治める唯一の政府になります。
- 現在の邪悪な事物の体制は完全に滅ぼされます。
- 神の王国は義による支配を行ない、その臣民に本当の平和をもたらします。
- 邪悪な人々は永久に断ち滅ぼされ、エホバを崇拝する人々はいつまでも続く安全を楽しみます。
- わたしたちは今、1914年以来、この邪悪な世の「終わりの時」に生きています。その後に邪悪な体制と不敬虔な人々の終わりが来ます。
- この期間に、あらゆる国民に対する証しが行われています。その後に、地球の終わりではなく、邪悪な体制と不敬虔な人々の終わりが来ます。
- 命に至る道は一つしかありません。すべての宗教や宗教的慣行が神に是認されているわけではありません。
- 真の崇拝は、儀式や外見ではなく、神に対する純粋な愛を強調します。その愛は、神のおきてに対する従順と仲間の人間に対する愛に表われます
- どの国や人種や言語グループの人でも、エホバに仕え、エホバの是認を得ることができます。
- 祈りはイエスを通してエホバだけにささげられます。像は信仰の対象としてであれ、崇拝する時の助けとしてあれ使うべきではありません。
- 心霊術にかかわる習慣は避けなければなりません。
- 真のクリスチャンの間には僧職者と平信徒の区別はありません。
- 救いを得るために毎週の安息日を守ることや、モーセの律法の他の要求に従うことは、真のキリスト教の中に含まれていません。そのようにすれば、律法を成就されたキリストを否定することになります。
- 真の崇拝を実践する人々は信仰合同を行ないません。
- 本当にイエスの弟子である人は皆、水中に完全に浸されることにより、バプテスマを受けます。
- イエスの模範に倣い、イエスのおきてに従う人は皆、神の王国について他の人に証言します。
- 死は、アダムから罪を受け継いだ結果です。
- 死の際には魂そのものが死にます。
- 死者には意識がありません。
- 地獄(シェオル、ハデス)は人類共通の墓です。
- 矯正不能なほど邪悪な人々が送り込まれる『火の湖』は聖書そのものが述べているように、「第二の死」、つまり永遠の死を意味します。
- 復活は、死者と、愛する人を亡くした人々のための希望です。
- アダムの罪に起因する死はもはやなくなります。
- 「小さな群れ」、つまり14万4,000人だけが天に行きます。彼らは王国でキリストと共に王として支配するために、神によってあらゆる民や国民の中から選ばれます。
- 彼らは神の霊的な子として『再び生まれた』人々です。
- 彼らは王国でキリストと共に王として支配するために、神によってあらゆる民や国民の中から選ばれます。
- 神の是認を得るほかの人々は地上で永遠に行きます。地球全体が楽園になり、すべての人が楽しめるように快適な家と十分な食物が備えられます。
- 病気やあらゆる種類の障害に加え、死そのものも過去のものとなります。
- 世俗の権威には、しかるべき敬意をもって接するべきです。
- 真のクリスチャンは、政府の権威に対する反抗に加わりません。
- 真のクリスチャンは、神の律法に反しない法律にはすべて従いますが、優先されるのは神への従順です。イエスに倣い、世の政治問題に関して中立を保ちます。
- 真のクリスチャンはイエスに倣い、世の政治問題に関して中立を保ちます。
- クリスチャンは血と性道徳に関する聖書の基準に従わなければなりません。
- 口や静脈から体内に血を取り入れることは、神の律法に違反しています。
- クリスチャンは道徳面で清くなければなりません。淫行、姦淫、同性愛、さらには酩酊や薬物の乱用がクリスチャンの生活に入り込んではなりません。
- 個人として結婚生活や家庭生活に伴う責任を誠実かつ忠実に果たすのはクリスチャンにとって大切なことです。
- クリスチャンでありながら、不正直な話や不正な取引、さらには偽善的な振る舞いをすることはできません。
- エホバに受け入れられる崇拝をささげ、ほかの何よりもエホバを愛することが必要です。
- エホバのご意志を行ってエホバのみ名に誉れをもたらすのは、真のクリスチャンの生活の中で最も大切な事柄です。
- クリスチャンはすべての人にできるだけ良いことを行いますが、神に仕える仲間の僕たちに対して特別の責任があることを認めています。それで、病気や災害の時の援助はおもに仲間の人たちに向けられます。
- 真のクリスチャンは世のものではないので、世の霊にあずかるとみなされるような活動に加わることをさけます。
(『エホバの証人 神の王国をふれ告げる人々』1993年144頁)
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最も最近では、ものみの塔誌1996年9月15日号の5頁に「エホバの証人の信じている事柄」と題した一覧表が載っている。それには次の25項目が代表的なものとして挙げられている。
- 神のお名前はエホバである
- 聖書は神の言葉である
- イエス・キリストは神のみ子である
- 人間は進化したのではなく創造された
- 人類の死の原因は最初の人間の罪である
- 魂は死ぬ時に消滅する
- 地獄は人類の共通の墓である
- 復活は死者の希望である
- キリストは、従順な人類のための贖いとして、ご自分の地上での命を与えた
- 祈りはキリストを通してエホバにのみささげられるべきである
- 道徳に関する聖書の律法に従わなければならない
- 崇拝において像を使用してはならない
- 心霊術を避けなければならない
- 血を人の体内に取り入れてはならない
- イエスの真の追随者は世から離れていなければならない
- クリスチャンは証しをし、良いたよりを宣明する
- 水に完全に浸かるバプテスマは神への献身の象徴である
- 宗教的な称号は非聖書的である
- わたしたちは「終わりの時」に生活している
- キリストの臨在は目に見えない
- サタンはこの世の、目に見えない支配者である
- 神は現在の邪悪な事物の体制を滅ぼす
- キリストの治める神の王国は義をもって地を支配する
- 「小さな群」は天でキリストと共に支配する
- 神が是認される他の人たちは、パラダイスの地球でとこしえの命を受ける
(ものみの塔1996年9月15日号5頁)
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以上、3つの異なる時点で発行されたエホバの証人の信じる事柄の代表的なものの一覧を見て来たが、これらには少しずつではあるが、はっきりした違いが見られる。先ず、1986年の記事では『忠実で思慮深い奴隷』の教義が中核となっており、『忠実で思慮深い奴隷』、すなわちものみの塔協会最高機関である統治体がイエス・キリストに次ぐエホバの証人の指導者として前面にだされているが、1993年、1996年の記事には不思議と出て来ない。また1986年、1993年の記事には14万4千人と1914年という、エホバの証人の教義の中核となる数字が出されているが、1996年にはこれらの数字は述べられていない。少しずつ強調点が変遷している様子が見られる。
続く第二部では、これらのエホバの証人の教義を歴史的な観点から解説する。
エホバの証人の教義 第二部 教義の歴史的解説へ