レイモンド・フランズ著/樋口 久・訳「良心の危機」第十章

第10章 1914年と「この世代」

「寝いすはその上に身を伸べるには短すぎたし、織った敷布も身を包むには狭すぎるからである」 ― イザヤ28:20

エホバの証人の統治体にとっては頭痛の種とも言える大きな予言がまだ残されている。この成就のために残された時間は非常に短くなってきており、したがって短期間にずいぶんたくさんのことが起こることになってしまいつつある。年が過ぎるごとにこの頭痛は重くなる一方なのである。

1914年。これは、三十年以上の間にわたって協会の予言における最終地点であった。ところが今ではその開始地点となっており、エホバの証人の活動において時が「差し迫っている」という励ましの拠り所ともなっている。イエスの言葉、「あなた方に真実に言いますが、これらのすべての事が起こるまで、この世代は決して過ぎ去りません」<新世界訳>が当てはまるのはこの1914年から始まるのだとされているのである。次の傍線部分を特にご覧頂きたい。

イエスは明らかに、「終わりの日」が始まった時に起こったことを理解するのに十分な年齢の人たちについて言っていたのです。イエスは、「終わりの日のしるし」が現れた時に生きていた人たちの何人かは、神がこの事物の体制を終わらせる時にも生きているだろうといったのです。

1914年に起こったことの重大さがわかる年齢を仮に十五歳だとしてみても、「この世代」で一番若いその十五歳は現在七十歳になっています。ですからイエスが言っていた世代の人たちの大多数はもう死亡してしまっているのです。残された者たちも老齢に近づいています。そして忘れないでください、イエスは、この邪悪な世の終わりが来るのはその世代が死亡していなくなってしまう前だと言っているのです。これにより、予言された終結までに残された年はそれほど多いはずがないということがわかります。<私訳>

これが『目ざめよ!』1968年10月8日号(pp.13, 14)に出たのは1975年以前、今から四半世紀以上も前であるが、ここで強調されていたのは1914年の世代がもうすぐ終わりつつあること、もうほとんど時間が残されていないことであった。当時のエホバの証人の誰かが、あと二十年か三十年は持つんじゃないですかなどと言おうものなら態度が悪いということになり、信仰が弱いとされていたことであろう。

1975年が過ぎ去ると、強調点が変わった。今度は1914年の世代というのが普通考えるほど短くもなく、むしろかなり長いものであり得るということになったのである。

かくして『ものみの塔』1978年10月1日号では、1914年に「何が起こったのかを理解して」見た者たちではなく、この年に起こったことを「見ることができた」者たちの話になっている。単に見るというのと理解するのとはずいぶん違う。したがって「この世代」にいる人の最低年齢を引き下げることができるというわけである。

二年後の『ものみの塔』1980年10月15日号<日本語版では1981年1月15日号31ページ>でもこの流れを引き継ぎ、出来事が「人の記憶に永続的な印象」を生み出し始めるのは十歳だろうという『USニューズ・アンド・ワールドレポート』誌の記事を引用している。この記事では、もしこれが本当なら「今日、『第一次世界大戦に関する思い出』を持っている米国人は1,300万人を超すことになります」としている。

「思い出」の対象になる年齢も、「理解」できる年齢(これは上に引用した1968年の『目ざめよ!』では十五歳ということになっていた)より引き下げることができる。さらによく考えてみれば、1918年まで続いた第一次世界大戦にアメリカが参加し始めたのは1917年である。すると先ほどのニュース誌にあった十歳というのも必ずしも1914年に当てはめることはないのである。

こういう具合に数え方次第で一年かそこらの違いを少しずつ出せるかも知れないが、実際のところ死亡率が常に最も高いのは高齢者であるから1914年の世代はどんどん少なくなっている。このことは統治体でもよくわかっていて、何度も会議の議題に上ったのである。

まず1978年6月7日の統治体会議で取り上げられた時の経緯はこうである。統治体メンバーのアルバート・シュローダーはアメリカの人口統計報告をメンバーに配っていた。それによると、1914年に十代を越えていた人のうち1978年現在で存命中なのはその1%にも満たないということだった。しかしより注意を引いたのはシュローダーがヨーロッパの国々を訪れていた時口にしていたことである。

すなわちブルックリン本部に伝えられてきたところでは、シュローダーが他の人にこんな説を語っていたというのである。マタイ第24章34節に出てくる「この世代」というイエスの言葉は「油注がれた者たち」について言われたものであって、このうちの誰かが生きている限りはその「世代」は過ぎ去らない。これはもちろん協会の教義に合わないし、統治体の承認も受けていない内容である。

シュローダーが帰国してくるとこのことが取り上げられたわけである。結局シュローダーの言っていたことは却下され、次の『ものみの塔』の「読者からの質問」欄でこれまで通りの「この世代」についての教義を再確認しておこうということに決まった。 面白いことに、ヨーロッパにいた時に協会の教義に合わない意見を表明していた統治体メンバー、すなわちシュローダー本人に対しては何の非難も叱責もなかった。

このことは1979年3月6日と11月14日の会議でも取り上げられた。1914年のことが話題になっているのだからと思い、私はスウェーデンの長老から送られてきた報告のうち最初の20ページをコピーしておいた。これは第7章でも紹介した、年代計算の歴史を詳細にたどり、2520年という計算と1914年という年代がどこから来たのかを明らかにした調査報告である。コピーは統治体メンバーに一部ずつ配った。しかしちょっとした感想を述べた人があった位で、皆これについて話し合おうとはしなかった。

ライマン・スウィングルは、書記部門のリーダーとして、すでにこの調査報告のことをよく知っていた。スウィングルは1922年の『ものみの塔』に断定的にして執拗な書き方があったことに皆の注意を引き、また実際にその頃の記事の一部を読んで聞かせた。自分は1914年には幼かった(当時四歳ぐらい)のでその頃の記憶はほとんどないが、1925年のことについては家で話し合ったことを覚えている。 1975年については身をもってよく知っている。また別の年代について振り回されるのは自分としてはもうご免だ、というのがスウィングルの言い分だった。

この会議で私は、協会の紀元前607年という開始年代にまったく歴史的な根拠がないことを指摘した。また、1914年について、及びその当時生きていた世代ということについてはこういう疑問を呈した。仮に協会の言ってきたことが正しいとすると、イエスの次のような言葉が1914年に生きていた人たちについて当てはまると言えるのか。「これらのすべてのことを見たなら、彼が近づいて戸口にいることを知りなさい」「これらの事が起こり始めたら、あなた方は身をまっすぐに起こし、頭を上げなさい。あなた方の救出が近づいているからです」。協会出版物ではこれが1914年当時存命していたクリスチャンに対して当てはまり始めて今日に至るとしている。しかし一体その存命していた人のうちの誰に当てはまるのか。当時五十歳の人であれば、今(つまりこの話し合いが行われていた1979年の時点で)生きていても百十五歳である。四十歳だった人でも百五歳になっている。三十歳でも九十五歳であり、二十歳になったばかりだったとしても1979年の時点では八十五歳になっているだろう(今生きておれば百歳を越えている)。

「あなた方は身をまっすぐに起こし、頭を上げなさい。あなた方の救出が近づいているからです」という切迫した言葉が1914年当時の人々に本当に当てはまり、この人たちが終結を目にすることができるというのであれば、これはなかなか刺激的な話ではあるが、しかし条件が付かないといけないことになる。「そう、まさにあなたが目にすることができるでしょう ― 今あなたがかなり若く、しかもうーんと長生きすれば、ですが。」私は自分の父を実例として挙げた。1891年生まれで1914年には二十三歳の若者だった父は、人生七十年ないし八十年と聖書にあるのも越え、八十六歳まで長生きをした。もう死んで二年になるが、もちろんそれまでに予言されていた事柄を目にすることはなかった。

ここで私は仲間のメンバーにこう尋ねてみた。マタイ24章33, 34節にあるイエスの言葉が向けられているのは結局1914年の段階で十代かそれ以下だった子供たちしかいないということになるが、これにどれほどの意味があるのだろうか。しかしはっきりした返答はなかった。

ところがそれでも協会の「この世代」の教義と1914年という年代をそのままにしておくべきだというメンバーは多かったのである。ロイド・バリーの意見は次の通りだった。この1914年について統治体内で疑問がわくというのは驚きだ。ライマン・スウィングルの持ち出してきた1922年の『ものみの塔』の内容については、別に気にかけることはまったくなく、あれが当時の兄弟たちにとっての「現在の真理」だったのである。 1914年の世代が高齢になってしまうことについては、ソ連などでは百三十歳まで生きる人がいる地方もあるのだから問題ない。とにかく統一した見解を兄弟たちに示してあげるべきである、そうすれば差し迫っているという気持ちを持続できる。このロイド・バリーの意見に他のメンバーも賛意を表明した。

少し後で議長に発言権をもらった私はこういう意見を述べた。今日「現在の真理」である教義がそのうち「過去の真理」になるのであれば、その「過去の真理」の代わりに出てくる「現在の真理」もそのうち「未来の真理」が出てくればなくなってしまい得ることになるのではないか。こう言ったときの私としては、こんな風に「真理」という言葉が使われるのでは真理の意味がなくなってしまうという気持ちだったのである。

するとメンバーの中にこんなことを言う人が二、三現れた。もし現行の教義が正しいものでなければ、例のイエスの言葉はどう説明すればよいのか。どうやらこの質問は私に向けられていたようだったので、私はこう答えた。聖書にも現状にも合うような説明があるように思う。しかし何であれこういうことはその場の思いつき的なものであってはならず、きちんと調べて検討したものでないといけない。これのできる兄弟たちもいると思う。しかしこれにかかるためには統治体の承認が必要かと思う。統治体としてはやってみても良いと思われるだろうか。こう尋ねたのだが返答はなく、したがって質問も取り下げとなってしまった。

会議の終わりにあたって、二、三の例外を除いては皆1914年と「この世代」についての教義は続けられるべきだという意見を示した。書記部門コーディネーターのライマン・スウィングルはこう言った。「わかりました、皆さんそうなさりたいのならそれでよろしいでしょう。でも少なくとも皆さん、1914年に関しては全部、一切合切再臨派からもらったというのはご存知ですよね。」

私にとって最も不快だったのは、兄弟たちに向かって1914年に基づく予言を絶対信頼しろと言う一方、協会責任者の方では自信がないと明言していることだったかもしれない。

注目すべき例を挙げよう。1975年2月19日の会議において統治体でフレッド・フランズの1975年に関する演説テープを聴いた際、予言は確実ではないという話になった。その時、当時会長だったネイサン・ノアはこう発言したのである。

 「私の知っていることもある。エホバが神であること、キリスト・イエスがその子であること、イエスは我々のためにその命を購いとしてくれたこと、復活があること。しかしまた余りよくわからないこともある。1914年、これはよくわからない。我々も1914年の話はずっとしてきている。正しいかも知れないし、そうであってほしいとも思う」

その会議のとき問題になっていたのは1975年であったので、それよりはるかに重要な1914年についてこんな意見が出るというのは驚きだった。しかも前述の通り、ノア会長はこれを誰かに個人的に話したというのではなく、統治体を前にした会議の席で発言したのである。

1914年についての本格的な話し合い(これは1979年11月14日に統治体全員が出席して行われた会議である)に先立ち、統治体の執筆委員会では1914年を打ち出し続けて良いものかどうかという話し合いをしていた。 この時、少なくともこの年代を「強く出す」必要はないのではないかという意見が出た。この時、確かカール・クラインがこんなことを言っていた。時々使うこんな手がある。ある教義についてしばらくの間黙っておいて、それから変更を加えるとあまり目立たない。

執筆委員会では、まさにこの意見が全員一致で選ばれたのである。ところがこの方針はすぐに消えてしまった。1979年11月14日の統治体会議では、1914年をこれまで通り押し続けることに多数決で決まったからである。

一方、1914年についての疑問はブルックリン本部だけのことではないこともはっきりした。私が1979年の秋に西アフリカを回っていた時のことである。ナイジェリアの支部委員会のメンバー二人、それに長年そこで奉仕活動をしている人の三人に案内してもらい、支部の中心となる新しい建物の敷地として協会が購入した土地を見学に行った。その帰り道、新しい場所に移るのはいつ頃になりそうですかと尋ねると、その答はこうであった。まず土地を整備して建築計画を承認してもらい、それから許可が下りて、しかる後に建て始めるのだから、1983年になってやっとというところでしょう。

そこで私は聞いてみた。「ここの兄弟たちから、1914年以来の年月の長さについて何か聞かれることはありますか。」一瞬の沈黙があった後、支部のコーディネーターが言った。「いや、ナイジェリアの兄弟たちはまずそんなことを聞いたりしません。聞くのは我々です。」間髪を入れず長年奉仕活動をしている人が言った。「フランズ兄弟。イエスが『この世代』と言っていたのはあの当時エルサレムの崩壊を目にした人たちのことだった、なんてことはあるんでしょうか。そうだとすれば、すべてがきっちりおさまるように思うんです。」

明らかに現行の教義ではすべてがきっちりおさまらないと言っているのである。その時私は、確かにそういう可能性もあるだろうけれども、それ以上確実なことも言えないだろうとだけ答えておいた。この会話は帰国してから統治体に報告した。世界中でかなりの権限を与えられ、尊敬を受ける位置にいる人たちが疑問を持っていることの証拠ともなろうと思われたからである。ナイジェリアであの二人が言ったこと、そしてその言い方からも、私が行く前から問題の点について自分たちで話し合っていたのは明らかだった。

私がアフリカから帰国してまもなく、1980年2月17日の統治体会議でのこと。ロイド・バリーは、1914年と「この世代」についての教義はやはり重要だろうと述べた。ライマン・スウィングルは、1978年に「読者からの質問」に出した記事では兄弟たちに納得が得られなかったようだと言った。アルバート・シュローダーは、ギレアデ学校や支部委員会のセミナーで兄弟たちが言ってくれたところによると1984年というのが新しい予言の年ではないかとささやかれているらしいと報告した。1984年は1914年から七十年後だというのである(七十という数字がどうやら何か特別のものとされていたものらしい)。このことについては次の会議で検討するということになった。

さてここで、アルバート・シュローダー(司会者)、カール・クライン、グラント・スーターの三人からなる司会者委員会が極めて不可思議な文書を書いており、統治体全員がそのコピーを受け取った。結論から言うと、この三人は「この世代」が当てはまるのは1914年からではなく、驚くべし、その四十三年後の1957年からだと言うのである。

以下にその時配られた文書をそっくりそのまま紹介する。

<訳>

統治体メンバー各位 1980年3月5日(水)議題について

この世代(ゲネア)」とは?(マタイ24:34; マルコ13:30; ルカ21:32)

TDNT(その他註解書の多く)によると:ゲネアは「同時代者の意であることが多い」 第1巻 p.663

ゲネアはゲノスとは違うとするものがほとんど。ゲノスは子孫、人々、人種の意。TDNT第1巻p.685参照。(ペテロ第一2:9のゲノス)

この答はマタイ24:33に関連か。「これらのすべてのことを見たなら」とは?

ランゲ註解(第8巻)によると、「これらのこと」が指しているのは西暦70年でもなく、1914年のパルーシアでもなく、29節、30節の天体現しょうであり、これは1957年の宇宙時代の幕開け以来目にしている。すると問題の世代は1957年以来生存している現代の人類ということになる。

三区分

ランゲの註解ではマタイ24章を「三つの周期」にわける

第1周期:マタイ24:1-14

第2周期:マタイ24:15-28

第3周期:マタイ24:29-44(シンテレイア、すなわち終結) (第8巻pp.421, 424, 427参照)

マタイ24:3にある質問に基づいて三つに分けられている

 

『ものみの塔』と『神の千年王国』でもマタイ24章をいわば三つに分けている

(1)マタイ24:3-22 1世紀の成就と1914年以来の今日の成就が対応している(も75 p.273, 千年 p.205)

(2)マタイ24:23-28 1914年のキリストのパルーシアに至る期間(も75 p.275参照)

(3)マタイ24:29-44 「天体現しょう」が文字通りの成就、1957年以来宇宙時代が始まっており、キリストのエルクメノン(「大患難」の始めに執行人としてやってくる)(も75 p.276 18段、千年 pp.323から328参照)

 

「これらのすべてのこと」はこの三つのうち文脈上一番近いものだろうから、29、30節の天体現しょうになる。*

 

もしこれが正しければ「この世代」は1957年以降の、知識を持って生存する現代の人間を指すことになる。

「ゲネア、同時代にあって、すぐ前に示したしるしを目撃する人々」第4巻p.604

 

司会者委員会 1980年3月3日

 1957年はロシアのスプートニク号が初めて宇宙に打ち上げられた年である。司会者委員会はこれが次のイエスの言葉が成就する始まりとして受け入れられると思ったわけである。

「… 太陽は暗くなり、月はその光を放たず、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされるでしょう」

 この解釈に従って、上にも見た通り結論はこうなる。

「この世代」は1957年以降の、知識を持って生存する現代の人間を指すことになる

この三人は1914年をやめようと言っていたのではない。こちらはこちらで「異邦人の時の終わり」として残るのである。ただ「この世代」が当てはまるのは1957年からだというのである。

1914年の世代がその数を急速に減らしているということを考えれば、この新しい解釈は、ソ連のどこかに百三十歳まで生きている人がいるとか言うよりは助けになるかもしれない。何しろ「この世代」の指す期間を1914年から数え始めるのに比べれば四十三年分ずらせるのだ。

統治体では、いかなる委員会であれ何かを提案するに際しては委員全員の一致が必要とされている(一致が得られない場合はそのまま統治体に提出し、その決定に委ねる)。したがって、この1957年についての新しい提案というのは司会者委員会の三人全員が納得したものだということである。

今、これについて尋ねたとしても、「まあ、あれは単なる提案さ」という答えが返ってくる程度だと思う。それはそうかも知れないが、それでも会議における真面目な提案だったのである。アルバート・シュローダー、カール・クライン、グラント・スーターの三人がこういう提案を統治体に持ってきたということは、この提案を受け入れてほしい、変更を加えてほしいと思ってのことだったはずである。協会で長年教義となっている「この世代」のこと(1914年から開始というもの)を本当に心から堅く信じているのであれば、あんな新解釈を持ち出したりはできなかっただろう。

統治体で三人の新提案が承認されることはなかった。多くは奇抜だという意見だった。それでもシュローダー、クライン、スーターという統治体のメンバーがこれを真面目な提案として提出したのは事実であり、すなわちこの三人は現行の教義について納得していなかったというのは明らかなのだ。

しかし今日に至るまで、1914年と「この世代」については大胆で断定的な内容が出版され続けている。これは聖書的に打ち立てられていると「預言者」組織が言うのである。エホバの証人はすべてこれを信じ、また世界中で人々に宣教して回らないといけない。1914年の世代がいなくなっていくという懸念を押さえようとして「この世代」の人々の年齢を十歳まで引き下げようとする記事については先ほども紹介した。この同じ『ものみの塔』1980年10月15日号のp.31<日本語版『ものみの塔』1981年1月15日号31ページ>にはこんなことも書いてある。

世界のすう勢や聖書預言の成就から見て、この世界の邪悪な体制が世紀の変わり目まで続く可能性は非常に少ないように思われますが、たとえそれまで続いたとしても、第一次世界大戦の世代は依然として残っていることでしょう。

世紀の変わり目には、1914年に十歳だった子供は九十六歳である。それでも生きているものはいるだろう、だからイエスの言葉が成就するのにはこれで十分というのである。そしてもちろんこれは、イエスの言葉が十歳の子供に当てはまるとしてのことである。

今日では、十歳の子供の話は一切出てこなくなり、その代わり「1914年に生きていた人」というような表現になった。こうすれば無論赤ん坊でも含まれる。しかし第三千年期が近づいている1990年代の今日であるのだから、これも長くはもたないことになろう。1914年に生まれた人でも今は八十代である。

これから統治体がどうすることになるのか、さっぱり見当もつかない。1914年をまた改めて強調してしまっているのだから、これは言ってみれば、自ら墓穴を掘ってしまったのでそこに入らざるを得ないことになっているような具合である。しかし1914年の世代期間は、ゆったり休むには短すぎる寝台の如く、またこの「寝台」という教義を包むための理屈付けは狭すぎる夜具の如く、冷たい現実から身を守ることはできない。

もちろんいつか何らかの調整をすることになる可能性はある。だが、信者数が少しでも増えている限りは、これに踏み切ることはないだろうと思う。シュローダー、クライン、スーターの三人による「この世代」1957年開始案を採用するだろうとも思えない。

それでもまだ方法はいくつかある。エルサレム陥落が協会の言う紀元前607年よりも二十年後であるという歴史的な証拠があるのだから、これを認めればよい。すると異邦人の時は(協会の2520年という解釈を使えば)1934年頃に終わってくれる。しかし1914年という年代そのものがあまりにも重要になってしまっており、またすでに見た通り教義全体に1914年と連動している部分がかなり大きいので、これが採用される可能性もなさそうである。

そうすると多分、「この世代」というのが「油注がれた者」級のことだということにしようというアルバート・シュローダーの考え(これはもう何年も前から協会内部で何となく言われていたもの)が一番ましだということになるかも知れない。自分は「油注がれた者」級になったと決める人(中にはかなり若い人もいる)は毎年のようにいるわけであるから、「この世代」をいくらでも引き延ばせることになる。(さらに詳しくは巻末の追記を参照。)

ここで私にはっきり言えるのは、統治体内部で行われているこういう理屈付けはひたすら途方もないと感じられたということだけである。悲劇的でもある。予言が世界中に広められ、これは確実だとされる。みんな自信を持ってそれを当てにして人生設計もそれに合わせることができる、いや合わせるべきだ、と言われる。ところがこれを言っている方は、自分たちが全員そろって心から本当にそう思っているわけではないことが一番よくわかっている。協会が今まで何十年にもわたって行ってきた年代設定とその変更の歴史を振り返ってみれば、この態度にも少しは理解できるところがあるかもしれない。

さらに途方もないと思ったことがある。司会者委員会のメンバー、つまりアルバート・シュローダー、カール・クライン、グラント・スーターが、「この世代」に関しての新提案を出してから二ヶ月と経たないうちにやったことである。この三人は、キリストの臨在が1914年に始まったという教義を重要教義リストに載せたのだが、この重要教義リストというのは、「背教者」であるかどうか、したがって排斥に値するかどうか、を一人一人(本部スタッフのメンバーも含めて)テストするためのものだったのである。その少し前までは当の本人たちが「この世代」について、すなわち1914年の教義について、疑問を呈していた。これが自分たちでもわかっていてこういうことをしていたわけであるが、これについては次の章で述べることになる。

さて、以上の部分は本書が最初に刊行された1983年に書かれたのであるが、その後十年間、ものみの塔協会はさらに1914年と「この世代」の持つ意味について謳い続けた。ところが『ものみの塔』1994年2月15日号<日本語版も同じ>で、ついに教義調整の第一段階が始まった。マタイ24章とルカ21章に基づいた記事が二本あり、そこでは聖書と根拠のない断言の二つを何とかくっつけたいささか回りくどい話が展開されている。正式な教義としての決定的な変更は、主としてマタイ24:29-31とルカ21:25-28においてなされている。

半世紀ほどの間ずっと、『ものみの塔』では「太陽と月と星にしるしがあり、地上では … 諸国民の苦もんがある」というイエスの言葉が1914年以降に当てはまるものだとしていた。(その例は数多いが、例えば『ものみの塔』1946年7月15日号p.217参照。)ところが今度はこれが未来に移されて、これから来るべき「大患難」の始まった後ということになり、さらにこの患難はもっと長い期間続くものということになった。

また、五十年以上の間ずっと、「四方の風から … その選ばれた者たちを集める」というのは1919年以降のことであるということが教義としてはっきりと教えられていた。(前述の『ものみの塔』1946年7月15日号参照。)ところがこの度これも未来に移されて、「大患難」の始まった後ということになった。エホバの証人は長年にわたってその十四万四千人が1935年までに選ばれてしまっていると教えられているので、これを言うためには「集める」という言葉をそのまま同じ意味で使うわけにはいかず、そこでどういうわけか「集める」が「証印を押す」に言い換えられ、同時に「14万4,000人の『選ばれた者たち』のうち、まだ地上で生きている残りの者」は「エホバにより、… 明らかに見分けられるようになる」ということになった。「集める」が「証印を押す」になったことについて何の聖書的根拠も挙げられていない。「集める」が普通の意味のままでは言いたいことに合わないから変えてしまうというだけのことで、明らかな循環論法である。

出来事を古い年代から切り離して新しい年代にくっつけ直すというのは、結局1799年、1874年、1878年について行われたのと同じパターンである。ものみの塔が過去において何度もこのパターンを繰り返しており、今なお繰り返しているところを見ると、協会の教義変更の裏にあるのは心からの真理に対する気持ちではなく、主に時間がどんどん経っていくことのプレッシャーであるということがわかる。

さて、本書のペーパーバック版1994年9月第8刷ではこの『ものみの塔』1994年2月15日号の記事についての話を載せたのだが、それに続けてさらに次のようにも書いた。

ここで最も注目すべきは、『ものみの塔』が常に繰り返すマタイ24:34とルカ21:32の「この世代」という言葉がこの二つの記事においてはまったく出てこないことである。あれほどあったものがないので非常に目立つ。協会がマタイ24:29-31をこれから来るべき「大患難」の開始後のことだとしながら、一方でその三節後に出てくる「この世代」についてのイエスの言葉を1914年以降のことだと言い続けられるかどうか、これは難しいところである。しかしすでに見た通り、統治体の方では「この世代」という言葉(そしてこれが「これらのすべての事が起こるまで決して過ぎ去りません」という言葉)が1914年から年月が経つにつれて段々と重荷になってきているのであるから、ここから逃れたいと思っているのであろうことは十分考えられる。

ここで見た協会側の新しい解釈が何らかの準備であって、これから「この世代」という言葉について決定的な変更につながっていくのかどうか、これは様子を見なければ何とも言えない。しかし間違いなく言えることは、1914年が「終わりの日の始まり」だというのをそのままにしておいて、「この世代」の方をうまく1914年から引き離すのが一番の逃げ道だということである。すでに述べた通り、協会側としては1914年を完全に放棄してしまうとこれにつながっている教義もすべて土台を失ってしまうことになる。しかし「この世代」さえ何とか1914年から引き離し、いつだかわからない未来のことにしてしまえれば、2000年が来て第三千年期が来ようが2014年が来ようが何とか理屈は付けられる。特にエホバの証人は「思慮深く忠実な奴隷級」並びに統治体が言うことは何でも受け入れるようにという訓練を受けているのだからなおのことである。

さて、すでに述べた通り、これを1994年9月版の『良心の危機』に載せたのだった。ところがその一年後、『ものみの塔』1995年11月1日号にはまさにそこで言っていた通りの記事が載ったのである。統治体にとっての一番の「逃げ道」として挙げていた通り、「この世代」(マタイ24:34)を1914年から切り離し、しかしその一方で1914年は聖書的に重要な年であるとしている。

「世代」という言葉に新しい定義を与えるというのがその方法である。七十年ほど前に『黄金時代』が1926年10月20日号で「この世代」についてのイエスの言葉を1914年に結びつけた(これはそれ以降の『ものみの塔』誌でも同様である)。それから二十五年ほど後の『ものみの塔』1951年6月1日号には「したがって我々の世代というのは、ハルマゲドンも含めてこれらすべてのことが始まり、また終わるのを目にするであろう世代なのです」とある。

1951年7月1日号でも、「この世代」が1914年に関連づけられていて、マタイ24:34については次のように言っている。

これらの言葉の持つ実際の意味は、まったく疑問の余地なく、マルコ8:12や使徒13:36にあるような「世代」の普通の意味であって、つまりある時に存命している人たちのことです。

またこれに続けてこうも言う。

したがってこの意味するところは、ある世代が1914年からすべてが成就されるまでは決して過ぎ去ることはない、それも苦しみの大いなる時のただ中において、ということなのです。<私訳>

この時以降四十年以上ずっと、ものみの塔出版物はマタイ24:34の「世代」が時間の意味であると言い続けたのである。1914年の世代の人たちが高齢を迎えていくことが何度も取り上げられ、残された時間が短いことの明らかな証拠であるとされた。

ところが今や定義が変わり、「世代」には限定された期間であるとか特定の開始時点があるというような時間的な意味がなくなった。代わりに今度は、例えばイエスの時代の「邪悪な姦淫の世代」に見られるような、性質に基づいた質的な意味を表すことになったのである。そこで「この世代」は「キリストの臨在のしるしを見ながらも自分たちの道を改めない、地のもろもろの民のこと」であり、したがってハルマゲドンで滅ぼされるに値するということになった。

それでも1914年がなくなったわけではない。これがなくては協会の教義体系が揺らぎ、いわば看板が失われてしまう。1914年は今まで通り、キリストが天で王座についた年、すなわち目に見えない再臨の始まりの年であり、また「終わりの日」ないし「終わりの時」の始まりであるともされている。また、「この世代」の新定義においても、いささか間接的にではあるが、1914年が出てくる。つまり、「キリストの臨在のしるし」(滅びる連中はこれを目にしても拒んだり無視したりするというのだが)が1914年以降世界中で目に見えるようになったということになっているのである。

要するに大きな違いは何かというと、今では、「この世代」の一員であるためには1914年の時点で生まれていた必要はないということである。いつでも、誰でも、キリスト臨在のしるしとやらを見るということができる。1990年代に初めて見たというのでも「この世代」の一員になれるし、それどころか来世紀に見るというのでも構わない。結局こうすれば「この世代」はいつからでも始まるということになり、1914年からかなりの年月が経ってしまったとか、その当時生きていた人がどんどん少なくなっているとかいった困ったことを説明する必要がほぼなくなる。(それでも2014年が来ると問題が生じるかも知れない。エホバの証人が信じやすいと言っても限界がある。)

1982年以降、『目ざめよ!』誌の発行人欄には「本誌は、1914年の出来事を見た世代が過ぎ去る前に平和で新しい世をもたらすという、創造者の約束に対する確信を強めます」と書かれていた。ところが1995年11月8日号をもって1914年に関することはすべて消えてしまった。<日本語版についても同じ> これは教義の変更を最も明確に示すものであり、また「創造者」がその1914年に関する「約束」を破ったということを示すものでもある。

この変更がエホバの証人にどのような影響をもたらすかはまだわからない。恐らく長年の信者である人ほどこれを深刻に受けとめるであろうと思う。何しろ神の約束が完全に果たされるという希望が実現するまでは死ぬことがないだろうと思ってしまっていたのである。箴言13:12にもこうある。「望みを得ることが長びくとき[「延期される期待」(新世界訳)]は、心を悩ます。願いがかなうときは、命の木を得たようだ。」<口語訳> 現在こういう人たちが心を悩ませているとすれば、それは創造者の責任ではなく、年代について誤った希望を植え付けた人間たちの責任である。

若い信者、あるいは最近加わったばかりの信者であれば、この変更についてそれほど深刻なことは感じないかも知れない。結局協会側の誤りを認めるような言葉は見あたらないし、変更も「漸進的な理解」とか「増し加わる光」という言葉でごまかされてしまう。何十年もの間ずっと「1914年の世代」というのが執拗に言われていたことにも気づかないだろうし、これが「終わりが近い」ことを示すものであると断言されていたことにも気づかないかもしれない。これが人間によるものではなく神によるものであるとか、人間の約束するものではなく「神の約束」だと断言していたことなど、わからないかもしれない。神を、そして神の言葉を、四十年にわたって自分勝手な考えに結びつけておき、この考えが結局駄目だとなる。これでは責任の重大性が増すばかりである。エレミヤ23:21にはこんなエホバの言葉があるではないか。

 わたしは預言者たちを遣わさなかった。だが、彼らは走った。わたしは彼らに語らなかった。だが、彼らは預言した。<新世界訳>

 もちろんこの変更は統治体の決定以外の何物でもあり得ない。すでに見た通り、このことについてはもう1970年代の頃から会議に取り上げられていた。 現行の統治体メンバーが何を考えているのか、どういう責任感を感じているのか、と不思議に思わずにはいられない。統治体のメンバーは全員、協会が年代を設定しては予言するというのを繰り返してはどうなったかということを、昔も今もよく知っているのである。出版物ではこれが「自分たちの時代に神の約束が果たされるのを目にしたいという熱烈な思い」のあまりのことだとして許されている。神のために予定表を勝手に組んだりはしないでおこう、予言をしてそれを勝手に神のもの、神の言葉によるものだとは言わないでおこうというような熱烈な思いは持てないらしいのである。また、統治体のメンバーには、これまで協会の指導者側が誤りを繰り返しているのにもかかわらず常に新しい予言を作り出してきたということもよくわかっている。そして指導者側がそのような誤りに対してちゃんと責任をとったこともなく、自分たちがまったく間違っていたと認めたこともないこともよくわかっている。ところが数々の誤りはエホバの証人全体のものであるということにして、自分たちのイメージや権威の方は守ろうとするのである。『目ざめよ!』1995年6月22日号<日本語版も同じ>では、「偽りの予言と真の預言」について次のように書いている。

 1931年以来エホバの証人として知られている聖書研究者たちはまた、1925年にすばらしい聖書預言の成就がある、と期待していました。その時になれば地的な復活が始まって、アブラハムやダビデやダニエルなど、昔の忠実な人々がよみがえってくる、と思っていたのです。比較的最近でも、多くの証人たちは、キリストの千年統治の始まりに関連する出来事が1975年に起こり始めるかもしれないと思いました。彼らの期待は、人類史の七千年期がその時に始まるという理解に基づいていました。[下線は筆者]

 「この世代」についての新しい教義を載せている『ものみの塔』誌<1995年11月1日号、日本語版も同じ>も同じような言い方をしている(17ページ)。

 これまでにエホバの民は、このよこしまな体制の終わりを見たいと切に願うあまり、「大患難」の始まる時を推測することがあり1914年以降の一世代の長さを算定しようとしたこともあります。しかし、わたしたちは、一世代が何年あるいは何日に及ぶのかを推測することによってではなく、喜びにあふれてエホバを賛美する点でどのように「自分の日を数える」かについて考えることにより、『知恵の心をもたらし』ます。(詩編90:12)[下線は筆者]

こうして指導者側は本来自分たちのものである責任をあっさり振り捨て、信者たちに向かって、あなたたちの見方が間違っていたから問題が起きたのですよと教え諭す役に回っている。信者の方はまったく何を言い出したわけでもなく、ただ協会の指導者側が色々な年代について期待を持たせるために書いたものを読ませたからそれを信じたのであるが、それは認めようとしない。年代も、「思いました」とか「推測することがあり」とか「算定しようとした」とかいうことも、すべて信者側のしたことではなく指導者側のしたことなのだが、これを認めようとしない。これは言ってみればこんな状況に似ている。子供が消化不良を起こして苦しんでいるのを見た母親が、「食べるものに気を付けないからよ」と言うが、子供の方は母親に与えられたものを食べたに過ぎない。しかも、食べ物を与えられるばかりか、これはすぐれたもので他では手に入らない素晴らしい食べ物だと思わないといけない、と執拗に言い聞かされる。少しでも不満を漏らせば罰が待っている。

1914年についての教義の変更以前にはこれに疑問を呈したり納得しなかったりすれば排斥の対象になったし、また実際排斥があったということが統治体にいる人たちにはよくわかっているのである。『ものみの塔』が現在押し進めている「知恵の心」は年代に関する推測を慎もう、ただ毎日を神の手に委ねて生きていこうというものであるが、これこそまさにかつてブルックリン本部スタッフの何名かが言おうとしていた「知恵の心」なのであり、まさにこのことでその人たちは「背教者」とされたのだということも、よくわかっているのである。統治体のメンバーが実際どう思っているのか、これが私にはわからない。今私に言えること、それは、もし私自身がこの教義変更に関わっていて、誠実なクリスチャンを誤った方向に導いたり、その人たちについて誤った判断を下したりした責任を堂々と認めようとしない人たちの一員であったなら、とにかく心のやましさを感じずにはいられないだろうということだけである。

私は統治体の人たちを知っているし、自分たちが神に奉仕しているのだという誠実な信念を持っている人が多いということについては納得している。ところが残念ながら、自分たちが率いている協会は神の連絡経路であり、地上にある他のいかなる宗教組織よりも優れているという信念も同時について回っている。この信念は、協会のたどってきた誤りの多い歴史の実態を直視しようとしない心理の証拠であるとも言える。世界の終わりについての予言がはずれたら落胆の気分が生じ、結果として聖書が信頼すべき価値のあるものだと思う気持ちを弱めてしまい得る。神に奉仕しようという気持ちがいかに誠実であったところで、このことについては驚くほど鈍感なままであったようなのである。


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